February 13, 2006

今も昔も

連日、眠い目をこすりながらオリンピックを観て、カーラジオから流れてきた札幌オリンピックの歌を口ずさみ、選手たちの悔しそうなインタビューを見ながら、聖書を読んでいる。

テレビでは、時折、アルプスの生活が紹介され、家の中の家畜の様子や家畜を飼っていた場所がレストランになっているのを眺めると、活字からイメージするのとはずいぶん違うことに驚く。厳しいアルプスの寒さをしのぐために、人も家畜も一緒に暮らしている。昔ながらのイタリアの町を歩いていると、通りに面して足下に明り取り用の窓が並んでいるが、多くは地下室の窓。地下室といっても窓があり、明るい。石で造られた部屋。今でもそのまま使われている。

わたしは実物を見る機会には恵まれなかったが、ローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会にミケランジェロ作の角の生えたモーゼ像がある。わたしは最初、ミケランジェロ流のジョークの一つだと思ったけど、聖書の注釈を読んでいるうちに、あながちウソでもないんだなぁ・・というの率直な印象。

聖書というのは作者がおり、ヘブライ語をギリシャ語に翻訳したり、時代とともに編纂されていくうちに、どうも意味不明な部分や理解不可能な部分、あるいは複数の書き物が一緒になったせいか重複する部分も多い。モーゼの角も彼が怒り狂って生えてきたわけではなく、ヘブライ語の「カラン」(光り輝く)という動詞が、「ケレン」(角)に語源があるために「頭に角が出ていた」と誤訳されたのが起源らしい。

モーゼが海を渡ったという話も、実際には海なのか湖なのかわからない。ただ、葦が生えていたということから紅海ではなく、その当時には、湖とスエズ湾がつながっており、潮の満ち干きの影響があったことから、どこかその辺だろうと言われている。ヘブライ人の歩く道が晴れて乾いており、エジプト軍が波や嵐に襲われたというのもおそらくは事実なのだろう。

タイの海のスコールに遭遇すると、一瞬にして島すら深い霧と雲に覆われ、しかも少し進めばカラッとした真夏の海。天変地異を想像すれば、天にまつわる話は想像に難くない。

シナイ山での出来事も、考えてみればエジプトから出発したヘブライ人たちは430年もエジプトで暮らしており、モーゼの姿が見えないときに、アロンがエジプト風の牛の像を造って拝んでいたからといって決して悪気ではないのである。彼らにとってはそれが当たり前の感覚なのだから・・・当時の風習として、神の姿をかたちどったものが必要だったのだろう。

が、しかし・・・・
モーゼは激しく怒った。神が書いたという石板すら投げて破壊してしまうほど。

肥沃な土地へ行くどころか、飲み水や食糧にも不自由するような荒野へ行くことになったのだから、そりゃ大変だった。エジプトを出たヘブライ人たちが後悔したのも無理はない。奴隷とは言っても、食糧に不足するわけではなく、案外大切にされていたのだろうから。自由はないけれども、生活には困らない。

神に感謝して生きるというのは難しい。ヘブライ人たちが荒野で得たマンナというのも果実だと言われている。エジプトでの災いもいわば天変地異。

聖書を読んで学ぶのは、いつの時代もこんなものなんだろうな・・・ということかも。(こらっ)

投稿者 Blue Wind : February 13, 2006 02:51 PM | トラックバック
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