July 20, 2005

『パノラマバイブル』

近頃、わたしは聖書を読んでいて楽しくてたまらない。どうしてだろう。苦しみから聖書を欲しているのではなく、喜びから聖書を読んでいるからかもしれない。昔と今で大きく違うのは、若ければ箴言も苦い言葉だけど、老いてくればどれももっともなことばかりと思ってしまうからかもしれない。

これは、ババアの自己中化現象なのだろうか?
自分のことは棚にあげてしまう。

一つの諦めに近いものが出来上がってくる。

モーリヤックを読んでいても、そう。若い頃ならそうはなりたくないと怯えた話でも、今はストーリーを読んでいて、自分が幸せに思えてしまう。つまりはどこか他人事としてストーリーを追う。そして、書かれている話がどこにでも落ちているような平凡な話に思えてしまうことが不思議でならない。

神に感謝と言うけれど、こんな気持ちで感謝してよいものかどうかいつも逡巡する。そういった類の逡巡もやがては気にならなくなるのかもしれない。どうやって生きていても誰でもいつかは死ぬ。長生きする人たちが増えて、やがては何もすることもなく死を待つようになる。何もしていなければ暈けるし、何かしようとしても怪我を心配するようになる。

どうやって生きても、いくら財産があろうとも、そういうものがやがては何の値打ちも持たないようになる。だからといって、むやみな生き方もつまらない。世の中にはまだまだ未知の世界が存在していると思うだけで楽しい。聖書を最初から最後まで読んだとしても何がわかるというのだろう。実は何かを読んでいるようで何も読んでいないことに気づき、言葉が自分の中で生きたものとなるまで、何度も同じことを考える。そしてそれは自分だけではなく、皆が同じようなことを考えつついまだに解決には至りそうにない難題を含みながら、結局は受け入れるしかないことだと諦めるようになる。

それは若い頃にはかちんときた箴言が何となくもっともなことに思えるような諦め方に似ている。

そういう辛口な発想から逃れたいというわけではないけれども、『パノラマバイブル』だって…。立体的に聖書を解説してあるらしい。解説なんてどうして必要なのかわからない。それでいて、素直に解説を楽しんでもよいのかもしれないと、近頃何となく思うのである。それは記述としての聖書であり、自分の感性としてのみことばではない。

『アートバイブル』を読みながら、聖書の世界をこうやってイメージしたのかと、それぞれの画家の世界を比較するのも楽しいし、そうやって誰かが解釈した記述を眺めるのもそれなりに趣がある。

『パノラマバイブル』はまるで百科事典のような聖書だと思いつつ、人体解剖図を眺めても人間が理解できないのにも似ている。それでも人体解剖図は人間の一部を語っているには違いなく、それで聖書が理解できるはずもないと思いながら、そういう聖書の読み方もあるのではないかと。

パノラマバイブル


『パノラマバイブル』  9月1日発売予定。先行予約受付中(期間:5月1日〜10月1日まで)。一割引。

投稿者 Blue Wind : July 20, 2005 10:33 AM | トラックバック
コメント
コメントする









名前、アドレスを登録しますか?