September 30, 2004

曖昧なラジオ放送流れては待っても空はうるわしく晴れ

高天原だから
わからないのだと思う、よくもわるくも。シオニズムも中東戦争もイスラエルもユダヤ教もユダヤ人も。なんで喧嘩しているのかまるでピンと来ない。どうしてイスラム教徒とキリスト教徒が戦争するのかも。歴史の教科書に出て来るくらいの認識しかない。

その昔高天原に神住まう深々とした霧立つ山々
天の鳥高天原に降り立てば深山の原に雲海の森
われの祖は神の国から来たものと探せど天は見守るばかり
神々の住まえる国は伝説とかわりし今もみおやをさがす

なんせ建国も新しいし、文字もないし、すべてが伝説。少なくてもユダヤ人とはまったく逆の生きかたをしてきた国だから、メシアと言われてもそれすらよくわからないのだと思う。使徒たちの苦労と言われてもわからない。律法というのがそもそも嫌いなんだろうし・・・敷島は。なんでこんなに理屈っぽい国になっちゃったんでしょうね・・・

窓の外台風なのかとワイパーをゆるめて雨をながめて走る
気まぐれにぱらりぱらり打ちつける雨のもように窓を開けたり
風の息風の音さえクルマには木陰を走る雨の小道か

曇り空びっしり埋める電線のうえにとまった小鳥の抗議
山や森夕暮れ時は飛び去れと小鳥の抗議つづく風の日
帰る山失いたれば電線が宿木だよと文句はつづく
一斉に飛び立つ鳥はいずこへと群れなしゆくか騒音となり

言の葉の舞い散るみちはかなしけれ現実というメシアのありき
言の葉をもたない国はこころなかこころこころとそうぞうしけれ
虫の音の聞こえぬ庭は雨の音くりかえしつつ風の音待つ

歌詠みのこころのひとつ歌心魂のきくいにしえのうた
今ひとつ添いてうたえばみそらにはきくもののあり雨の降る音

エゼキエル書 46. 4-10

君主は、おそらくは今も昔もこんな感じなのかも。決まっていることは変えられない。神事ってそういうものなのよね・・・ささげものから参拝の仕方や位置まで決まっている。ってことは、ユダヤ人のことを言えない。神の座る場所まで決まっている。どこから入ってどこから・・・、だって見えないから。見えないから言われたとおりにするしかない。

落雷が怒ってみても夜は更けぬ畏れる人のなかりし秋は
荘厳な儀式をながむテレビかなみおやの神も一緒にながむ
落雷の怒っているか笑ってか風は敷島歩いてわたる

ヨハネによる福音書 20. 1-10 復活する

本当に台風だ。

福島は夜から朝へとつづく距離激しき雨は今現れり
落雷はおまけじゃないかと雨音はいつものような夕立のごと
ラジオから流れるニュースぼんやりと受け流しては気まぐれな雨

やっぱ、聖書なのかも。聖書に書かれてあることは真実。
読んでもわからんほうが多いような気がする今日この頃・・・
聖書と敷島ねぇ・・・・・遠いよ。

しづしづと鳴き出す声に雨の音消え去りしこと信じるもがな
虫の音に雨は去ったと家の中雨にも濡れず音だけを知る
曖昧なラジオ放送流れては待っても空はうるわしく晴れ
虫の音に耳を澄ませば今の空知らせてくれる敷島の秋

列王記上 1. 22-40

深い・・・・
ラジオ放送と虫の音か。
ダビデ、ソロモン、イエス・キリスト。

投稿者 Blue Wind : September 30, 2004 04:49 AM | トラックバック
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