September 29, 2004

虫の音のいつまで続く秋の夜は車の音の走り出すまで

聖書の中の神という言葉は、おそらくは正確には天。少なくても、敷島(日本)にとっては、天というほうが分かりやすい。天だから・・・

日本語の神という言葉は、いろいろなものや人をすぐに神という言葉にしてしまうくらい多様な使い方をする言葉の一つなのだと思う。いろいろな宗教が入って来て、大抵の人たちはそれを一つの教えとして受け入れる。そして、混乱すると、天。

最後には天にゆだねるという感覚は、うまく説明できない。神々の上に天があって、天を仰ぐ。

ポルチウンクラに入った瞬間の感覚は、言葉にはできない。それを自分の言葉で説明しようとすれば、座禅とか、無我とか、すとんと落ちる感覚に近いのだと思う。それがどうしてたやすく訓練もなくそういうふうになれるのか分からない。でも、それを自分の言葉で表現しようとしたら、瞑想とか、禅、とか、無我とか、そういう言葉になってしまう。

日本人の宗教観を海外の人たちに説明するのは極めて困難。誰かが日本教と呼んでいるらしい。それくらい説明するのが難しい。が、しかし、ラテーノには、こう言えばよい。天を指差し、「フランチェースコ」。足りなければ、十字を切る。大抵の人たちは深く興味を持つわけではないから、これで十分なのかもしれない。

というわけで、いたって平均的な日本人としての私は、カルチェリの庵へ行った印象は、まるで出雲大社みたい、というとんちんかんな印象なのである。一つには森林がそのような雰囲気をかもし出していたのかもしれないし、苔のむした岩を見てそのように感じたのかもしれないし、実は、あれは山なのである・・・どちらも。聖なる山。何もない時代から、聖地だったらしい。そこに後から社がつくられた。

結局、建物などは後からつくられたもの。それぞれの文化や様式があり、一つの表現にすぎない。

私には私という媒体があり、言語がある。だから、その自分を通して語ろうとすれば、私の枠組みとして語るしかない。民俗学の人たちが語れば、もっと違うように語れるのかもしれないし、大抵は社がつくられる前から聖地というものは存在し、今でもそれはあちこちにあるらしい。私には分からない。

どうやら、私たちは互いに理解しあえないように分かれているらしい。それがひとつになるためには、混沌とした世界が必要なのかもしれない。何もかもが曖昧になり、何も分からなくなる。

一つ分かっているのは、キリスト教が伝わった時点で、誰かが神という言葉を使ったということかも。この言葉は、位で言えば、天より低い感じがある。そこが敷島なのであり、極めて慎重で受容的。神という言葉で語れば、素直に受け入れてしまう。何とか教の神さまとか、そういう言い方をする。が、しかし・・・天となるともっと神聖な雰囲気がある。

あんなに宗教熱心なユダヤ人に無神論者が多くて、こんなに宗教が嫌いな人たちが多い日本人が天という言葉には反応する。う〜ん・・・・こんなに立派な聖書があり、人類の発生の歴史まで克明に記されているし、事細かな律法。何もない敷島・・・何もないから黙契というものの中で動く。和と呼ぶらしいけど。すべてを超越した神のことを天と呼ぶらしい、私たちは。

エゼキエル書 27. 1-36

ティルス・・・うぅ・・・・・
たしかにティルス状態なんだろう・・・・・・なんかね。日本といえば、スズキやホンダらしい。敷島よ〜、さらば〜って感じ。秋刀魚にまで逃げられて、ロシアから戻ってこないというし・・・日本の秋も変わった。

身の丈のみじかきすすき枯れ野原あらくさ刈りの秋を待たずに
しょぼくれたすすきの野にも秋の月煌々として空に輝き
花の歌詠めないなどと言われても花屋の花を花と呼ぶかな
敷島よさらば敷島意味不明歌有らばこそ少し使えり
敷島よ人工衛星浮かべては天は死んだと遊んでいるか
わが眼には月の虹色美しく輪となり映るレンズの不思議
世にもまだめずらしきかな月の虹ながめてうれし雨あがる秋
虫の音のいつまで続く秋の夜は車の音の走り出すまで
松茸の産地を見れば彼方より送られたまま秋を迎えし
秋刀魚さえロシアか岩手悩んでは泳ぐ魚の気まぐれなるか
嘆き歌開口一番秋刀魚とはすすきの穂さえお気持ちていど
夏休みもすこし長くしてほしい秋はなかなか来ることもなく
秋の月うさぎの季節迎えても過ぎゆく夏はなごりをとどめ

たしかに月も見えない、花は花屋となったら、花の歌なんて詠めないよね・・・台風も来ない秋。喜ぶべきか、悩むべきか。

和の心求めて秋は新幹線模倣の都われらが京都
京都すら異国情緒に溢れてはわが敷島はいずこに消えゆ

マタイによる福音書 10. 40-42 受け入れる人の報い

もう敷島は死んだんだろうか?

敷島よわれらの天は死んだのか天を仰げど寂しくもあり
滅びゆく天にも似たりわが町はロケットを見て天を語れり

もう無理なのかもしれないな・・・・諦めるか。もう無理なのかもしれない。太古に戻って考えても、ティルス。

アフガンの長老会議みるような神有月にこたえをたくす

たしかにユダヤ人と比較されても負けないね・・・敷島は。

投稿者 Blue Wind : September 29, 2004 01:51 AM | トラックバック
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