September 06, 2004

ちぐはぐとしたいつもの自分

8月18日(水)続き。急ぐ旅ではなかったけれども、ESスターに乗ってみたかったので、フィレンツェからミラノまで乗ってみた。満席。しかもチケットの座席番号が順番ではなくややこしい。ようやく自分の席らしきところにたどり着いたら誰かが座っている。生後6ヶ月の赤ちゃんを連れたご夫婦。幸い一人旅の人がいたので席を移ってくれたけど、こちらも娘が嫌がるので替われない。ご主人が私の席に座っていただけ。
それにしても、あちらはカップルは向かい合って座るらしい。こちらは隣り合って座るものだと思っている。よく考えたんだけど、電車の中で寝る習慣がないからなのだろう。こちらは日本人なので、娘はしっかり寝てしまう。
それにしても、ずっとミラノに着くまで携帯電話が鳴りっ放し。赤ちゃんを連れての初めての帰省だったのだろうか。何となくぎくしゃくとした雰囲気のままミラノに到着した。
ミラノ・チェントラーレ。駅。大きい。地下鉄の乗り放題チケットを買い、ドォーモへ。いきなり地下鉄の階段を上がったとたんにジプシー。鳩おじさんたち。餌をポケットに入れて持ち歩いている。ドォーモは修復中で見えない。入り口には警官。

8月19日(木) ブレラ絵画館。この頃になると娘は美術館には飽きてしまい、十字架のイエス・キリストの絵を見ては、「どうしてあんな怖い絵ばかりあるんだ」とか、聖母子像を見ては、「赤ちゃんの顔が怖い」。不満たらたら。「だって、ラテンだもの」としか答えられない。

8月20日(金) おばあちゃんからプラダの”リュック”を頼まれていたので、とりあえずドォーモ周辺やモンテ・ナポリオーネ通りなどを歩く。本店で買い物するような代物ではない。そこで、アウトレットへ行ってみようと思い、トラムに乗る。なんで、ドォーモに行ってしまうのだろう? 夏のミラノは休みの店ばかりで、チャイナタウンを抜けてようやくたどり着いたら結局休み。くねくねとトラムは曲がる。そのうち面倒になり、来たトラムに適当に乗り込み、好きなところで降りる。迷ったら地下鉄マークの見えるところで降り、地下鉄でチェントラーレに戻る。

8月21日(土) 後一つだけ。ドォーモ近くの美術館に入る。何気なく階段の踊り場にミケランジェロのピエタが置いてあった。というわけで、ローマへ行く理由も無くなった。

8月22日(日) セストリ・レバンテへ。ミラノからお昼にインターシティが出ている。こちらはESスターより快適。宿までは地図によると駅から歩いて行けそうだったけど、道を尋ねたら駅に戻ってタクシーに乗れと言われた。納得。半島の町。私たちが泊まったのは東側の湾。西側は大きなビーチだけど、東側は小さい。砂浜が狭いので、湾をせき止めて、そこにヨットやペダル・ボートが浮んでいる。まるでプールみたい。
陽に誘われて、サンセット。一直線の光。動いても着いてくる。8時を過ぎないと日没にならないために、子どもが兄弟でカステーロを作っていた。つまり、砂の城。二重に城塞があり、お堀があって本格的。本物を知っている。娘が作ると山を作ってから形を取ろうとする。ところがイタリアの子どもたちはまずはスコップで堀を掘り、その砂で城塞を作り始める。

8月23日(月) 朝から娘は海の中。ビーチ・フロントの部屋なので、バルコニー(というよりもベランダ)から呼ぶと、海の中にいる娘が返事をする。ちゃんと会話もできるところがすごい。ずっと遊びっ放しで午後発熱。軽い日射病。アイスクリームを買いに一人で教会へ。うそうそ。
セストリ・レバンテの教会は、白く美しい。それでいて、入り口にカーテンがあるほど中は暗い。地元の人らしきおばさんたちが四人と、旅行者らしい女の人が一人離れて座っている。教会の中で世間話。マリアさまだけが舞台装置のように浮かび上がっていた。
その脇を抜けて坂を上がる。とたんに人通りは途絶え、途中に猫の溜まり場。上りきるともう一つ教会。裏に車が停まっていたので誰かいるのかと思ったけど、閉鎖してある教会なので、誰かが勝手に駐車しているみたい。入り口は閉まり、窓には鉄条網が張られている。よく見ると一箇所破られていた。誰かが手で埃を拭いたようで、そこから中を見たら、何となく明るく整然としており、使われていないような雰囲気ではないのだけれど、それでいて鉄条網は錆びているし、埃で中の様子も見えないほどには使われていない。破れた鉄条網の窓の桟に、下の教会から持ってきたと思うロウソクのアルミカップが置いてあった。枯れ葉やゴミに雑じって。
下へ降り、ジェラートを二つ買って、大急ぎで部屋に戻る。

8月24日(火) すっかり元気になった娘は、ビニール袋とパンを持ち、海へ。黒い小魚がたくさんいる。水は透明。意外。ほかの子たちがやっていたのを真似している。大きな魚を捕まえたのにすぐに逃げられたらしい。悔しがっていた。
セストリ・レバンテは田舎。ビーチの椅子も予約制らしい。同じ席を予約すると同じ人たちが座っている。レストランも一度行くと私たちの席がすでにあるらしい。
隣の部屋の人と洗濯物をベランダに干しながら挨拶しているうちに、世間話をするようになる。ほとんどがミラノ辺りから来ている人たちなので、おそらくはこうやって毎年同じ時期に同じ人たちがやってきては同じ席に座り、夏が過ぎてゆくのだということが何となくわかる。
私たちは、フランチェスコ(レストランのマネージャー)に出くわさないようにそそくさとホテルを脱走し、通りのレストランで食べていたら私服のウエイターが通りかかる。目が合う。そのうち彼は携帯で話しながら再び私たちの前を通り過ぎ、行ったと思ったら再び来た。一体彼は何をしていたのだろう?

8月25日(水) ピザへ。チェックアウトしてタクシーを呼んでもらおうと思ったら、ホテルの車で駅まで。そのまま駅の構内まで荷物を運んでくれた上に、ホームまで連れて来てくれたのはよいけれど、季節運行のために来た電車は反対方向。キアーバリで慌てて降りる。これにより、延々と普通電車でピザまで向かうことになる。車なら1時間だというのに、5時間もかかってしまった。
こういう不運にもかかわらず、ピザが斜塔以外見るべきものがなく、川は臭く、長居したくない街だったのでありがたかったかも。ちなみに、ピザの斜塔は本当に斜塔だった。塀の内側は別世界。ただし、ヴィトンの偽物がたくさん売られている。中には、ヴィトン模様の上に桜がプリントされたものまで売っていた。なんなんだ。

8月26日(木) フィレンツェ経由でアッシジへ。セストリ・レバンテについて書き足すとすれば、窓からサンタ・キアーラ教会。湾を取り囲むように右にも左にも教会がある。なんか、女性に囲まれてしまったようでバツの悪い夏の海。

マタイによる福音書 19. 16-22

たしかに、「金持ちの青年」のような町だった・・・

投稿者 Blue Wind : September 6, 2004 04:34 AM | トラックバック
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