July 22, 2004

広き土地対角線に並ぶ家孫だけ歩くみちはつづきぬ

芝をはる前に花壇の場所などを決めろと言われて、石灰を買って来ました。せっかくだから庭の隅に野菜などを植えようと思って言ったら、また叱られた。畑にするなら駐車場の横らしい。日当たり。
石が家にあるから持って来てくれると言われて、何の話かと思ったら御影石が庭にごろごろあるので、ウッドデッキの跡にそれで階段をつくれという・・・あまりの気前のよさにクラクラしてお断りしました。
朝起きたら、タイヤの空気が抜けていて、パンクしていたらしい。そしたら、工事の人があっという間にスペアタイヤに取り替えてくださいました。うれしい。
親切なのよね・・・ただし、あちらを畑にして、スイカを植えたら、またつるがマンションのフェンスにからまったりして・・・植物の勢いはすごい。トケイソウでも、根を見たら木のようになっていて、だから、あっという間にフェンスを壊す勢いで成長してしまう。
植木名人というか、昔ながらの伝統で、樹齢の高い松ノ木などを手入れに歩いている年寄りがうちの庭で遊んでいるので、もしかするとひよこの木は忘れた頃には立派な木に成長しているかもしれない。
わたくしも秋になったら、また庭をつくろう。こりない。

オレンジの三日月浮ぶ熱帯夜われより先に吾子みつけ告ぐ
装丁の立派な歌集届きてやわれ知らぬうちわれは歌人か
狭き世の狭き敷島ちりばめる地球も狭きつくばの森よ
筑波嶺に赤穂の稲の実る頃わが庭とても生まれ変はらむ
山百合のいつしか消えゆ筑波山いのししの食むゆりねなるかな
御影石かいだんよりも歌碑にしろうふふとおもう昼寝時かな

ホセア書 6. 1-3

古代のお米をつくって配っているそうです。赤穂。美味しくはないらしいけど。昔は百合がたくさん咲いていたのに、いつの間にか筑波山から百合が消えてしまったそうです。小野小町ゆかりの地でもあるらしいし、万葉と郷土愛を学んで一からやりなおしか?まだまだ地元では自分が歌人とは言えない。なのに、大阪から立派な歌集をいただきました。礼状を書かないと。暑い。

ネット歌人つくばらしきとおもいきや筑波の山は万葉のさと
宇宙へとつづくみちすじのびきったガムのようだといにしえの山
のびゆけばちぢむ時空のよぎる森樹齢のようだ人知れぬ今
地中へとのびる木の根をさぐるよう親と子と森たちはだかりし
肥大する世を支えたる年金はいくえの世代交代させず
広き土地対角線に並ぶ家孫だけ歩くみちはつづきぬ

詩編 119. 57-59

あっちもこっちも不満だらけで、疲れた。

人生、85年として、男性は中高年の自殺者が多いから、統計的には低い。親はお金があってひまでやることがない。子どもは教育費がかかってお金がないから働かねばならない。だから、親の世話どころではない。そこへ、年金、託児所、介護保険、その他諸々福祉の充実。まるきり接点がないのよね。しかも、長生きだから、ひ孫まであっという間。そうなると、接点が薄いところにさらに薄いから、年寄りばかり増えて、子どもの数が少ない。子ども一人に親二人、そのまた親二人。さらに、その親。そして、その倍。どーにもならん。

なんか、疲れる世の中だな。
だんだんわかってきた。そりゃ自分が60歳を過ぎたら、親の危篤よりも孫の運動会だよね・・・あるいは、70歳過ぎてもまだ親が生きているわけだし・・・それでいて、4世代同居なんてありえないし、今時、農家こそ全部別々の家に住んでいるから・・・土地、あるし・・・・しかも、嫁さんがどこも高学歴。ねんじゅう喧嘩。
で、みんな、どこかへ行ってしまう。離れていたほうが気楽だもの。どこも同じか。

マタイによる福音書 9. 18-26 指導者の娘とイエスの服に触れる女 35-38 群集に同情する

子どもは別格か。そりゃそうだ。

投稿者 Blue Wind : July 22, 2004 03:49 AM | トラックバック
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