July 12, 2004

母憎く勝ち誇りたる嫁の顔背の高き弟むなし

転院が決まって、そのとたんに老衰が始まってしまった。普通の人より10歳くらい早く。大病(脳の損傷)したのが原因だと言うのだけれど、あまりにも突然で驚く。それと同時にすべてが分かりました。母が私に伝えたかったこと。一生懸命に言おうとするのだけれど、言葉が出ない苦しみ。

この10日間のうちに、母の10年間の月日が。わたしの知らない10年間。何があったのか。病室で意識のないはずの母が何を聞いていたのか。わたしが娘を育てているうちに、母に何があったのか。もう、これでは死んでも死にきれない。もはや、母の葬式に出るのもいやだ。

イザヤ書 30. 27

枯渇したこころの谷にあふるるは炎のごとく魂の立つ
悲しみをつたえるもののこころにはすでに愛など枯渇した文字
死す者の敗者のごとく伏す床は鬼火のごとく炎舞い立ち
鬼女のごと立つ人みれば弟の身の者と知る情けなき死よ

親が死ぬほど反対していた人と親が動けないことをよいことに結婚してしまった。ただそれだけのことなんだけど、次第にその理由が明らかになりつつある。あんなに仲のよかった叔母さえも、わたくしでさえ、悲しみも怒りも嘆きも死に対する悼みすら失せる。なんでだろう。母はまだ生きているとは言うけれど、そういう実感もない。

そう・・・・動けなくなったら終わり。死んだら終わり。何も言えなくなったら勝手につくられる。すべてがむなしい。母が動けないのをよいことに、あの人たちが好き勝手にしてきたことを考えると、そういう気にもなる。動けなくなったら負けなんだろうか? 一人で何もできない母は無力すぎる。あれでは拷問と同じだ。わかったわ。

母が言いたかったのは、わたしのところに来れば母は楽なのよね。恵まれてるよ、普通の患者さんに比べれば。にもかかわらず、弟のところで厄介者扱いされている。なんでだ? 弟が心配だからだ。母の実家で母の悪口言うな、あほ嫁。どーにもならん。みんな怒ってるし・・・あーあ。叔母さんたちが言う意味がわかってきた。彼女たちにしてみたら、わたしのところのほうが気楽。母のことだけだから。家族で送れる。なのに現実はややこしい。死んだら終わりなんだろうか? でもなー、今さら母の気持ちがわかったからといって、わたしに何ができるというのだろう?

詩編 139. 15

魂は死なないのだよ。

弟の手をひき歩く母の背は若き想いぞゆくりめぐれり
母の背をかろく超えたり弟は背を丸くして母に語れり
弟に三つ子のように語る嫁あな現実はわびしくもあり
年月を矢のようにして夢の中あな現実は厳しくもあり
病床の母の想いは病人の戯言なるか苦しみの顔
母憎く勝ち誇りたる嫁の顔背の高き弟むなし
小姑になってむなしきわたくしはつくばの夏をすぎゆくばかり
夏の日は繰り返したる吾子の友姉弟の姿のんびりながむ
今は過去すぎゆく未来子らの背に青々としたみどりひろがり

ヘブライ人への手紙 10. 15-17

投稿者 Blue Wind : July 12, 2004 05:57 PM | トラックバック
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