July 01, 2004

薄氷

なんか救われるなぁ・・・この街は救われる。
へいわだ。
最初、イール・シャロームのイメージが湧き上がってきたとき、朝靄の中のような静かな湖で漁をしている人がいた。聖人。つまりは、聖人というのは、そういうイメージ。音もなく静かな世界で静かに漁をしている人がいる。
ミーハー的に考えれば、それがペトロだったりするとひっくりかえりそう。だって聖人だもの。われらとは違う。
ところが、あまりにも平和で静けさに包まれた世界では、あまりにも静かに人がいるために、すでに何も感じない。ああ、この国ではこれが普通なんだな・・って思っただけ。

そのように静かな癒しの世界が、一気に破壊される。パリパリと音を立てて何かが崩れていくように、一気に壊れていく。薄氷に亀裂が走るみたいに。
その原因が、ヴァチカンの宮殿の上に聳え立つ軍人のような聖人の像だったり、われらがジーザスをローマ兵のように軽やかに銀の杖にしている人だったり、ましてやそこにどうやって愛を感じろというのだろう?
いたって純朴な人たちを知っている。素朴だもの・・・なんかうれしそう。神の国はかれらのものだと思っていた。もしかするとそうなのかもしれないけれど、それに対しても、薄氷が割れる。

結局、宗教大会や教祖のイメージから逃れることができない。あっさり語ると、そういうの、大嫌いだし、群集心理というか、カルト的心理というか、偶像崇拝の世界を見ているよう。カトリックをそういう狭い価値観で捕らえてはいけないし、このように批判的な見方をすることに対して、いささか罪悪感というものを感じさせてくれる人たちがいるとすれば、純朴な人たち。素直に信じているし、祭りがあれば楽しんでいる人たち。
ただし、シエナのパリオみたいなお祭りは、どうも・・・
競馬に勝つと、復活できるという話にもついていけそうにないし、それでいて、あの意気込み。レースの前に、教会でミサがある。勝つと報告する。そして、負けると本気で泣く。パレードがあって、中世の装束をした人たちがおしゃぶりを咥えながら歩いているらしい。伝統のある社会なんだろう。

そういうのを観に行きたいか?
もう、いいや。

天皇陛下万歳的宗教観にもうんざりだし、それとほかの宗教とどこが違うのか理解できない。それよりも、もっと軽やかにホップステップジャンプ。
自分が中世の時代の人間ならば、これだけ書いたら殺されていただろう。あるいは拷問とか?(あーやだやだ)
そういう集団心理にもうんざりだし、正直、眺めているだけで、静かにセロトニンが失われていくような世界はどうでもいい。せっかく静かに与えられたセロトニンが一気に欠乏していく。
あまりにも権威主義的社会にも人間にも疲れてしまう。せっかく与えられた静けさが崩れていく。もううんざりですな。

一番いいのは、そういうのを見ないこと。
疲れる社会。

薄氷のようだ。

マタイによる福音書 19. 16-30 金持ちの青年

イール・シャロームは湖しかなかった。

投稿者 Blue Wind : July 1, 2004 05:02 PM | トラックバック
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