June 25, 2004

オラリ

キーワード「パラッツォ」から始まる。理由は不明。アッシジのど真ん中からスタート。というわけで、13日の金曜日にはアッシジ。15日の昇天祭にはヴァチカン。ショートカットでフィレンツェを中継し、大衆海岸。ビーチはタダではないことを知る。もうどしゃぶりかもしれない。気にしない。チンクエテッレを通りセストリ・レヴァンテ。海岸線を放浪した後、ガリレオに挨拶して、アッシジへ戻る。ただし、外。

アモス書 9. 14

荒れ野にはぶどうの畑つづきゆき壊さるる野のひろがりゆかめ
平和への祭典なのかオリンピア予約ひとつもとれぬ隣国
つかのまの休息もとむオリンピア戦乱の世に生まれたるかな
遠のけばメダルの数もものがなしいつ世いつ国わこうどの旅
うきうきと旅する吾子の予定には海岸・プール並んでおりし
しまいにはどうでもいいと美術館かっとばしたる夏休みかな
パーチェとは平和のことかと語感みゆそぞろあるきに台風よぎる
うらがえす真実もまた水面にはうつるまもなき光は踊る

何なんだろう・・・・脳の中がぐにゃっとなるような感覚。

エレミヤ書 4. 1-31

ガリレオ・・・だ。
ガリレオが産みの苦しみ・・・・なのかも。天幕。壮大。ガリレオから昇るとね・・・・スケールが違う。カテゴライズされた宗教意識から昇るより、大きさが違う。しかもほんの一滴。その一滴が、脳を変える。

投稿者 Blue Wind : June 25, 2004 05:33 AM | トラックバック
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