June 10, 2004

結局

先入観がないというのは、おそろしいことなのかも。
ヘンな男の人が、ジーザスを棒にして振り回している!
と思った。
だれであっても関係ない。
こういうのは、単なる感受性の問題なんだろう。

使徒言行録 7. 1

法王ならゆるされるのだろうか?
それがわたしの躓きの原因となるならば、理解できない。
何もないほうがマシだ。

だれでも怒ると思うよ、家族なら。
悲しいというか、ショックというか。

もはや何も感じないの?
あまりにも長いから何も感じないのかも。
どんなことにも慣れがある。

もうそれだけで嫌いになる。
それが、人だ。

何の権利があって、彼を棒にして振り回すのだろう。
それが愛なんだろうか。

先入観もしがらみもないというのはありのままにしか見えない。
あれがありのままだ。

いや、自分が屈折しているのだろうか?
そうかもしれない。
両方をあわせて計算しても、プラマイ0。

目が違う。

コリントの信徒への手紙 二 2. 5-11 違反者を赦す

サタンのやりくち。
そうかもしれない。
忘れよう。

投稿者 Blue Wind : June 10, 2004 03:00 AM | トラックバック
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