先入観がないというのは、おそろしいことなのかも。
ヘンな男の人が、ジーザスを棒にして振り回している!
と思った。
だれであっても関係ない。
こういうのは、単なる感受性の問題なんだろう。
使徒言行録 7. 1
法王ならゆるされるのだろうか?
それがわたしの躓きの原因となるならば、理解できない。
何もないほうがマシだ。
だれでも怒ると思うよ、家族なら。
悲しいというか、ショックというか。
もはや何も感じないの?
あまりにも長いから何も感じないのかも。
どんなことにも慣れがある。
もうそれだけで嫌いになる。
それが、人だ。
何の権利があって、彼を棒にして振り回すのだろう。
それが愛なんだろうか。
先入観もしがらみもないというのはありのままにしか見えない。
あれがありのままだ。
いや、自分が屈折しているのだろうか?
そうかもしれない。
両方をあわせて計算しても、プラマイ0。
目が違う。
コリントの信徒への手紙 二 2. 5-11 違反者を赦す
サタンのやりくち。
そうかもしれない。
忘れよう。