March 16, 2004

どちらがどちらなのか

毎日聖書を読んでいるうちに、といっても開いているだけなんですけど、来る日も来る日も明るい話がない。やれ戦争だの飢饉だの滅ぶだの絶望だの暗い話ばかり。癒しを求めているんですけど、ま〜ったく逆です。癒しを求められるのがいやで聖書を鬱々読んでいるほうがマシだと思ったんですけど、聖書のほうが遥かに暗い。暗い人の話よりもまだ暗い。よく考えたら、上は下になり下は上。つまりは地球はまるいから、上は下で下は上なんです。ピラミッドですら、実はあれは地球を支えようとして誰かがつくったのではないかと疑っているという。つまりは、星、だから。いつも上が上だと思っているから勘違いするけど、実は垂直方向というのは特殊な方向なんです。垂直を感知するというのはあまりにも個人差が大きい。目で感知するか、体勢バランスで感知するかの違いなんでしょうけど。途中で研究をやめてしまったので、よくわかりません。おそらくはやっていてもよくわからないだけなのかもしれませんけど。頭わるいのかも。だんだんわからなくなってきた。
そだそだ・・・その垂直方向の知覚がどうして重要かというと、それこそパーソナリティから知能、さまざまな人の特徴と相関関係があるということだからだったような。つまりは外界との関わり方が人によって違う。思考の柔軟性から権威主義的尺度、フォビアと周辺視、知覚は実は判断であるという発想。
なんで、天、というのはいつも垂直なんでしょうね。上ってことは垂直に存在するというだけのことなんです。そこがわからん。
大体、十字架というのはヘンなんです。同じ長さでもそれを縦にするか横にするかでまったく長さが違って感じられるものなんです。だから、同じ長さでクロスをつくると違った長さに知覚されるはずなんだけど、クロスというのはヘンだ。つまりは、その存在自体が知覚の恒常性を破壊しているんです、すでに。
あれ?
あなたはあなた、わたしはわたし、だから、もしかすると違うのかも。
いずれにせよ、最初に精神物理学を思いついた人は尊敬します。どうやってもあなたはあなたわたしはわたしの世界に尺度というものを持ち込んだわけですから。

ルカによる福音書 17

投稿者 Blue Wind : March 16, 2004 07:27 AM
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