March 13, 2004

愛がないんだよね・・・

まとめて歌集を買ってみた。どれもおもしろくない。おそらくは有名な歌人の歌ばかりなんでしょうけど、自分から見て魅力がない。簡単に言うと、愛がないから。宗左近さんの歌集というか、詩集のほうが魅力がある。
なんでなんだろう?
短歌だけではなく詩を書いている人は歌人というよりも詩人というジャンルに含まれるせいか、歌集というのは何となく人気がなく書店の書棚に並んでいる。歌集よりも句集のほうが数が多いのも特徴。短歌と俳句は同じ書棚にあり、詩はまったく別の書棚に並んでいる。
うちの近所の本屋がたまたまそうなのだろうか?
でも、雑誌の類の配置を考えても、詩と短歌はまったく区分が違うらしい。
カエルおやじに、世の中の人が皆、川崎さんだったら、日本の現状もあっという間に解決すると思うんですけど、などと言っても無意味なことにも似ている。親のために家を売って臓器移植をするのが愛だと勘違いしている時代だ。どうにもならん。実際にはボツになったその話も裏を返せば、相続でもめるのがいやだからそれならば母親のために、といういささか屈折した事情があるらしい。まあ、なんていうか、嫁いびりではないけれども、核家族で共稼ぎの家庭が多くなった裏側には一人でも生きていけるような強さが要求されるような背景文脈があるのかもしれないと、チラッと思うこともある。そういうつまらない事情も、自分の家庭の中だけならあほらしくて話にもならない。姑さんと話していると、話しても無駄なことがあまりにも多いことにも似ている。
長子相続という発想があるから、いつまでも本家とか分家とか古臭い世界などではややこしい。まあ、困れば兄を頼るとかそういう伝統なのだろう。うちのダンナみたいに無責任だと、相続を放棄して知らん顔している。めんどーなことは母親に押し付けようという発想なのかもしれないし、自分の家庭のことだけ考えている分には何も困らない。要するに、皆のことを考えるからややこしくなるわけで、責任が発生する。そのツケがあたしにまわってくる。それがあまりにもかったるいから、嫁さん辞めると宣言した。嫁さん辞めても妻だからね、何も困らなかった。そうなると何もしてやらないとかあれこれ思うんでしょうけど、あたしにはあたしの家族がいる。だから、ダンナの家族は要らない。なんでそこまで自分が強いのか不思議だったけど、要するに、あたしの家族は仲が良い。従妹たちでも姉妹のように育ってきた。だから、本当に困れば、金はくれないかもしれないけど愛はくれるだろう。今の日本の社会は、寡婦や母子家庭になったとしても遺族年金とかね・・・とりあえず、家があって、ささやかなる生命保険と遺族年金で、あたしが食べるだけ働けば娘くらいは育てていけるのではないかという甘えもあるかもしれない。そうなると、金よりも愛がほしい。大変だろうなーって思ってくれるだけで救われる。
簡単に言うと、こころのつながりがあるらしい。
ある程度、親などを見送ってきたり、災難などに遭遇したり、過酷な状況を経験すると、最終的には人柄ということが見えてくる。特に何をしてもらおうとも思わない。実際にはもっと大変な人たちもいるわけだし、それを考えると恵まれているよね。でも、叔母さんなどが、まあちゃんのところも大変なことになってとおろおろおろおろしてくれると、何となく救われる。
友達でも、女同士のほうが気楽だ。困っても何もしてくれないことはわかっている。それぞれに自分の家庭や都合というものがあるし、それはこちらも一緒。だから、つまらないグチでも話せるような気がするし・・・ネットの友達が気楽なのも、生きるに必要なつながりではないせいかもしれない。
まあ、たしかにお金があれば生きていけるのかもしれないけど、ダンナのお姉さんに結核の話をしたら、いきなり、「貯金ないの?」と言われた。「は?」 いや、そうではなく、弟が結核になったんだからいくらか心配したりおろおろしてくれてもよいのではないかと内心思ったけど、話すのをやめた。もしかすると、愛に飢えているから、癒しを求められるのがいやなのかもしれないと思ったし、金のことしか考えないから。よく考えたらそれが普通なのかもしれないし、まだうちの弟のほうがやさしい気がしたけど、比較しても意味ない。悪い人ではないのだけれど、愛がないのよね。
かく言う自分も、もはや他人に癒しを求められるのがいやだ。それなら、娘やオトと遊んでいるほうがマシ。可愛い。家で聖書読んで、下手な歌を詠っているほうがマシ。いや、本気になればこんな自分でももっとはマシな人間になれるような気がすることもあるけれど、そうなるとまたあーだこーだうるさい。あーだこーだとうるさい人たちと付き合うより、のんきに歌を詠む。平和。しかも、カエルに言っても無駄だとわかっていることをちまちま詠む。癒し。おらおらおら、カエルの代わりにやったうちのダンナの講義、めちゃくちゃ評判がよかったらしいではないか。今年もリクエスト。無視。なんで医者が必要なのかとかね、そういうささやかなるつまらない話のほうがカエルの講義より学生には受ける。素直なんだろうな、学生は。だったら、自分でがんばる?やだ。もう話しても無駄だもの。愛のない世界には戻りたくない。ガツガツ生きるより、たまには哲学やら詩やら。そういうほうがいいような気がする。それでいて、なんか、本屋で買ってきた歌集には愛がないような気がする。時代なのかな。

列王記上 20. 1-21 イスラエルとアラムの戦い

投稿者 Blue Wind : March 13, 2004 04:16 PM
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