Internet Junkie

 

著作者としての自分が・・・いる

このサイトはね・・・
ひたすら自分のこころのゴミ箱にするために作ったサイトなのよね・・・
なんかね・・・
言いたいことすら言えないというかったるさをバーチャルな世界に感じて、それは一言で語れば「人間関係」を気にして言えないから、ひたすらウンザリして自分のBBSやサイトを作ろうと思ったにすぎない。
どーして世の中の人たちは言論の自由の欠如した生活を余儀なくされて、それでも黙っているのだか不思議・・・
何が、誹謗・中傷なんだか・・・・
まぁ・・・サイトというのは知らない人たちがたくさん来訪するわけで、伏線の見えない人たちにとっては書かれていることがすべてだし、そこから勝手な邪推をするだけのことだから結局は彼らの想像に任せておくしかない。
で、すったもんだするから大変なのね・・・

パラノイアと言っても、ほとんどが関係妄想・嫉妬妄想・恋愛妄想だもの・・・
まじに病気の人たちはもちろんそれ以外の人たちだってごく普通にパラノイアに陥ってしまう。
狂気と正気の間に明確なラインが存在していればいいのに・・と思うことがよくあるけれど、なんかね・・・はっきりしない。
女性の27%、男性の15%が生涯のうちに何らかのダメージを被りながら何らかの症状が出てしまうらしい。

ほんとわからないよね・・・
あまりにもネット人格にこだわる人たちや区分を明確にしたい人だと、人格統合障害を疑ってしまったりして。

とは言うものの、どーなんだろう・・・
あまりにも毎日書いていると、或る意味、このサイトに書かれているものは駄文も短歌もあたしの著作物。
それをたまに気まぐれにBBSなどに貼り付けてみると、それを読んだ人たちはどう思うのかな・・・

結局、一人の人に言いたいことは他の誰かに言いたいことだったりする。
もしかするとそれがライターというものなのかもしれないな・・・
一人の人に語っている言葉が他の誰かに通じてしまう?
最初からたくさんの人たちを意識して書いているわけでもなく、単に独り言を書きたいという理由で書いている。
一体、どうしてあたしは毎日更新してしまっているのだか・・・

短歌みたいなフィクション性の高いものでも個人サイトにアップしておくと、それをいろいろな側面からあたしという人格に結び付けて考える人たちが多い。
うまく説明できないんだけど、或るテーマがあって、それが「愛と平和」だったり、「テロ」だったり、「恋」だったりするとその世界で揺られている自分が存在する。
そしてその中から言の葉が飛び出す・・・
それは別にその時の本当の状況や過去に体験したことである必要性がなく、単なる想像の世界なのかもしれない。
トレードセンターへのテロだって、実際にその場に居合わせたわけではない。
それでも、抽象的な「テロ」という行為そのものについて短歌を詠んだり駄文を書いたりすることは可能であり、リアルな体験である必要性は欠如している。
それがフィクション・・・・
それでいて、自分という人間の想念の中から生まれたフィクションはまったくのフィクションであるというわけではなく、自分という人間との関連性は高い。

そして、そういうあたしのイマジネーションから生まれた世界が言の葉として独り歩きしてしまった場合、イマジネーションを通していろんな意見交換が発生したりする。
つまりはそれだけのこと・・・
ただ、いつも問題になるのは、著作者である自分とまったく素のままの自分が存在しているということなのかもしれないな・・・
テキストを読みに来てくれる人たちは、自分も書く人であることが多いので、何となくその辺の違いを理解してくれる。
コミュニケーション・・・・
何となく種類が違うような・・・

夥しい数のテキストを整理するのは大変だ。
のほほんと子どもを抱っこしながら、失恋の短歌などをアップしているのかもよ?
人格統合障害というより、その違いをどーやって説明すればいいのか、たまに混乱することがあるだけなのかな・・・
バーチャル・コミュニケーションのややこしさ。

(『屁理屈にっき』 2002/05/26より)

 



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