Internet Junkie

 

海鳴り

『ネットはコミュニケーション・ツールになるか?』
という問いに対して、これは立派なコミュニケーション・ツールだとしか語れない気がする。

ネットを始めたばかりの頃は、せっせとチャット部屋へ行って、何となく常連になっていたり・・・そんな時もあった気がするのだけれど、今はまったくそんなことをする必要性を感じない。
ネット特有の場(チャット部屋やサイト)に密着した関係性や、ハンドル名などにより何となく形成されてしまう共通の磁場を介在した友人・知人関係などをまったく必要としなくなってしまっている。

サイトは自分のお部屋みたいなものなので、あちこちからサウンドをお借りしたり、イラストをお借りしたりしている。
これもひとつのコミュニケーションだろう・・・

以前、友人のイラストをアップしていた。
これが実は格好のパラノイアの誘因となってしまっていたことがあり、彼らにとってはBBSにカキコがあるとか、イラストを使っていたりとか、そーいうことがトリガーとなり発作へ繋がってしまう。
そういう人たちからの災難から逃れるためには、BBSのカキコを停止したり、サイトからイラストを外したりとか?
一時的には有効なんだけど、ちょっとでも彼らの目に触れるところに、『暗喩した関係』を示唆するターゲットが存在すると、さらなる妄想へと繋がってしまう。
カミングアウトを誘うのであれば、逆にこれは効果的なのかもしれない。

永遠にバーチャルの闇から出られない関係性の人たちにとっては、ネットがすべてだ。
それがオフをするとかしないとか?
そういうニュアンスが発生した時などは、サイトを毎日何回にも渡って来訪されてしまう。
それでも無視していると、やがてカミングアウトが始まる。
大抵は、嫌がらせサイトを作ってみたり、あたしの目に触れるところに嫌がらせを書いてみたり・・・
そーなると、自分の正体をあたしに伝えることが狙いとなる。

どうしてそんなことをしなければならないのだろう・・・
そこが理解できない。

呪いという言葉・・・・

なんか、その辺に何かがある気がするのだけれど仕方がない。

ネットもりんちゃんクラスになると、『一言で用事が終わってしまう』という人間関係が増える。
普段はまったくヤリトリしてなくても、何となくノラクラとした関係が続く。
特に会話をしなくても、自分のサイトを見て何となく様子がおかしいとなれば、普段はあまり来訪しなくても何となく様子を見に来てくれる。

そうした小さなコミュニケーションで気持ちが通じ合う関係が存在している。
一生懸命チャットで話したり、無理にオフをしたりしなくても、何となくコミュニケーションが成立している。
つまりは、こころの繋がりがあるからだと思う。
そういう人たちとは、言葉をたくさん重ねる必要がない。

人生は短い・・・

それでいて、ネットも長くなってくると、毎日サイトへ来訪しなくても、仮にネットをしている時間が無くなったとしても、それこそ1年ぶりにサイトにちょこっと来訪してくれても、相変わらず・・という安定した関係性が多くなる。
そういう小さなヤリトリが続いているから、長く続いている気がすることがある。
そのうちネットにも飽きてしまって、自分のサイトも見なくなってしまうかもしれないけれど、時間や場に拘束されていないから・・・関係性は変化しにくい。

リアルでも一緒でしょ?
一生懸命毎日一緒にいなければならない関係もあれば、たまにしか会わないけれどこころが通じている関係もある。
たくさんの言の葉をヤリトリしなければ通じない関係もあれば、一言で用事が終わってしまう関係もある。

日頃、誰かとうまくコミュニケートがうまく取れないと感じている人は、この辺のバランスが欠如していることが多い。

言葉って何なんだろうね?
ヘレン・ケラーでも大丈夫。
声が出なくても、パソコンで会話している人たちもいる。
すべての五感を使っても、苛立ちだけが募る人たちもいる。

貝になりたい・・・・・か。
貝でも巻貝の貝殻なら、海鳴りが聴こえるのに。

(『屁理屈にっき』 2002/05/11より)

 



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