Rin's Diary
July, 2003
(No.3)

 

普通の家庭がいいね

at 2003 07/31 17:24

娘にもわかるのね・・・
などとぼっけーっと考える。
4年生というのはすごいな。
今までとはまったく違う。
10歳の頃にちょうど社会や文化の洗礼を受けるというけれど、そういう年頃なのだろう。
いろいろな人間関係や親などを観察しながら何かを学んでしまっている気がする。
こちらがまったく気が付かないうちに・・・
戦争のことでもテロのことでも、社会のことでも友達のことでも、それこそ先生や親のことも極めてクールに観察しているんだろうな・・・
なまいきなお年頃へ突入するのだろう。

たしかに、モテる子もいれば全然相手にされない子もいるし、父親が冷やかしてもダメだもんね。

----あたしにも選ぶ権利があるのよ

・・・・・・・・・・あたしのセリフではございません・・・・・・・・・娘です。
お母さんに100%似ていると信じているから・・・本人は・・・娘のフリ見てわがフリ直さんと。
悪いところは父親に似ていると思うんだけど、どーなんだろう・・・

夏休みになると、アホが姉ちゃんに声をかけたりね・・・
ナンパというの?
そーいうのは大抵高校生とかさ・・・
それよりも上の話じゃない?
大体そんなヤツを相手にしないよ、普通は。
ガラが悪くて、ガラが悪くて、社会の癌だろう。
今は、小学生を狙ってるのか?
狂ってるとしか思えない。
昔はのどかだったような気がするのよね・・・
そーいう人が声をかけてくるなんて想像もしていないという時代が懐かしい。
小学生の通学路でそーいうアホが一体何を考えているのかわからんわ。
一般道で、普通の小学生・・・
海岸や繁華街で、いかにも・・という姉ちゃんを相手にしているのとは違う。

ネットなんてもっと酷い。
相手についての情報がわからないから、それこそアホが徘徊してしまっている。
普通だったら相手にしないでしょ?
あちらも声などかけてくるはずもなく、そうやって社会の秩序は保たれているような気がするくらいなんだけど、なんたってアクセスが簡単という情けなさ。

バリでもクタのあたりなら、ヒモというか、日本人のOLなどに結婚をほのめかしながら金を吸い上げているようなろくでなしが徘徊している。
あーなるとプロだからね・・・
OLさんたちがせっせと貯めた小金でも、バリだと200万円でホテルが買えるらしいもの。
しかも、熱帯の男たち。
日本の希薄な男とは違う。

それでもバカな女がクタでカモになる。
あーなると騙されてもいいんだもんね・・・
日本の希薄な男と恋愛の一つもせずに結婚してしまうという退屈さを考えると、少しくらい金を騙されても気にしないのかもしれない。
さすがリッチな国の女たちは気前がいい。
(何を感心しているんだろう・・)

たしかにこれでは日本人の男の子が弱いと言われてしまっても仕方がないような・・・
秩序があればいいんだろうな・・・
要するに、ヘンなヤツとかゴロツキは相手にしないという暗黙のルールがあり、親がそのように娘を躾けていたらそれもまた秩序なのかもしれない。

が、しかし・・・
リッチな女性はある意味自由だもの。
なまじか経済力があったら、ジゴロでもいいのかしらと思ってしまう。
これでは真面目に社会のルールに従って教育を受けた男の子は救われない。

しかも、風俗で普通の学生さんとかOLさんが働いているわけ?
金銭至上主義はパワー全開なのかもしれない・・・

なんでそれが悪なのか、娘に説明する必要があるかもしれない。
人間を人間として扱わないもっとも卑劣な人間のやることである、と。
言ってもわからないかもしれないし、それでいて他人のことはどーでもいいような退廃的な気分にも陥る。

こーさ・・・
人権とか、人間性とか、そーいうものがわからないから狂ってしまうだけのような気もするし、簡単に戦争をおっぱじめてしまうような気がするわ。
この前もヤクザの赤ちゃん亡くなったし・・・
タイ人の女性が世話をしていたらしいけど、そーなるとその女性が無事かどうかもわからない。
子どもの世話もできないのかよ・・・
死ぬということがわからないのだろうか・・・
その子が成長したら、また風俗などで働かされるのだろうか・・・
こちらから見たら、極悪非道なんだけど、どーなんだろう・・・

簡単に言うと、親の愛を知らないわけ?
よーわからんわ。

母が言っていた意味がわかるなぁ・・・
「普通の家庭で育ったお嬢さんだったらいいのよ」か。
普通の家庭というのがどういうものかピンと来ないけど、普通の家庭なんだろうな。
普通に親に大切に育てられたくらいの意味なのかもしれない。

この話題もあまり書きたくないよね・・・
なんか。

 

 

at 2003 07/31 01:57

夏休み。
油断大敵。

小学生とはいえ、ヘンな人にはついていかないようにと徹底的に指導。
すでに幼児期からそうだし、ついこの前も6年生の女の子二人が帰宅途中に白い乗用車に後を付けられたらしく、途中のコンビニに逃げたという事件があったばかり。
公園にヘンな人がいたとなれば皆で逃げる。
知らない人なら気楽なんだけど、いつぞやは同じクラスの男の子が家までついてきて、娘が泣いて怒って駆け込んできた。
母としては、男の子に声をかける。
すると戻って行った。

あの子が・・・
となる。
隣の席の女の子の耳を舐めて大騒ぎになった。
かまってほしくてそういう悪さをするのかもしれないし、男の子の親や先生からすれば小学校の低学年なら幼児性が抜けないと言ったところなのかもしれないけど、そんなヤツと口もききたくないよね。

おちびが絶交した女の子の悪さがまた発覚。
悪さというか、塾の宿題をおちびにやらせていたらしい。
1年生とか2年生くらいの時の話らしいけど。

----算数やってたのに、なんでアンタの成績は上がらなかったんだ?

なんか、とんちんかんなことを考えてしまったけど、それにしても宿題程度ならともかく、これが万引きとかね・・・
そんなことにでもなったら大変。
要するに、誰かに何かを押し付けるなんてとんでもない。
今は、娘はそれが悪いことだとわかっているからはっきり言うらしいけど、それこそ親に隠れて何かされていたらわからない。
ただでさえおとなしいから・・うちの娘。
単に外面がよいのかもしれないだけかもしれないけど。
ようやく4年生になって、はっきりノーが言えるようになったのかもしれないな・・・

あたしのカキコを見て、おちびが言う。

----逃げるが勝ちだよね

まさしくその通り。

----お父さんは負けるが勝ちだね

よお〜っく親を見ていると思って感心してしまう。

そーなのよね・・・
父さんは喧嘩しないから。
大抵は、負けるが勝ちで逃げてしまう。
自分的には頼りないような気がするけれど、そのほうが気楽なことも多い。

あたしやおちびみたいなノラクラと愛想のよい性格だと、いつも損をするような気がする。
このため、逃げるが勝ちとなる。
負けるが勝ちでは治まらない。
負けたら負けたでいつまでもバカにされてしつこい。
だから思い切って知らん顔するか、徹底的に無視するしかない。
大抵は、ノラクラしながら逃げる。
ビシッと言いそうで、言ったら逃げる。
深追いはしない。
娘は女の子なので、逃げるが勝ちなのだそう・・・
それでも「油断大敵」というのもおちびの迷ゼリフ?だろう・・・

隣の市の中学生の女の子がテレクラで売春?
あーやだやだ。
これが遠いところの話だったら、ぼっけーっと通過してしまうだけなのかもしれないけれど、そんなことをやっている連中と同じ中学へ通わせてとなったら心配で心配で・・・
ぜ〜ったいにイヤ。
小学生とか中学生とかね・・・
だんだん低年齢化している。
そーいう悪いヤツがいるとしか言えないよね・・・
大人も子どもも。
いくら同じクラスだからといって、同じ学校だからといって、そんな連中と仲良くする必要はないとすら思ってしまう。

かまってほしいだけ・・などという理由は最早今の小学校でですら通用しない。
じゃれあいでイジメなどになりやすいから、子ども同士呼び捨てもさせない。
ましてや先生が子どもを呼び捨てにしていたという理由で飛ばされた。
多少大袈裟すぎるような気がしなくもないけれど、それくらい徹底しているほうがすっきりしているよね。
悪いことは悪いのだから。

なんか、うちの娘、人気あるんだよね・・
なんでだろ・・・
特別に可愛いというわけでもないような気がするんだけど、公文へ行かせても、お父さんにおちびのことが好きなんですと言った男の子がいる。
世の中どーなってるんだか・・・
父親はバカだから喜んでいるけど、なんかね・・・
喜んでいいのか悪いのかわからんわ。
女子校が近所にあったら、それが一番いいんだけど、無いしな。
どーしよ・・・

やっぱ、自分が間違っているとは思えない。
ビシッとしてないと・・・
悪いヤツを隔離するより、わが子を隔離したほうが手っ取り早い。
他人を隔離してもらうより、自分を隔離したほうが手っ取り早い。

愛だの何だの言うけどね・・・
ダメなものはダメなの。
ビシッとしてないと。
わが身は自分で守るしかないし、わが子は親が守ってやらないと。
他人さまのオコチャマでも、あんなんになったら大変だと思って心配するのに。
それが社会ってもんでしょう。

が、しかし・・・
世の中、モラルが欠如した連中のなんと多いことよ・・・
あーやだやだ。
ビシッとしているくらいじゃないと生きていけない。
娘にもビシッとさせるくらいじゃないとあかん。

 

 

夏の合図だろうか・・・

at 2003 07/30 03:47

久しぶりに真夜中まで起きている。
庭が光る。
まさかと思ったら雷鳴が・・・

明日から夏になるのかもしれないとふと思う。

そろそろ旅行の仕度をしないと時間がない。
おちびはそそくさと自分の荷物だけ荷造りしてしまった。
さすが夏休み・・・
あっという間に7月も過ぎて行く。

それにしてもなんと言いましょうか・・・
まあ、・・・・・
サイトというのは、独り言を書いているくらいがちょうどいいのかもしれないとふと思う。

牧師さんのサイトにタイガースの話が書いてあったらレベルダウン?
あーあ・・・
そうやって思う人もいれば、親しみを感じる人もいるのだろうし、要するに、「なんとかのくせに」という系のいちゃもんなんだろうな。
いちいちそんなことを気にしていたら生きちゃいけませんぜ。

権威主義という言葉があるし、ステレオタイプとかね・・・
要するに、型をはめたり、誰それさんがこー言ってたあー言ってたとか何かの権威に寄りかからないと自分の意見すら言えないという人たちはどこにでも存在するわけで、たまに思うのだけれど、その人たちは一体どのような生活をなさっているのかと不思議になるのでございます。

なんでそんな不思議なことが発生してしまうのだろう・・・
とは言うもののこの話はあまり書かないことにする。
なんでかというと、またあーだこーだ言われそうな気がするからだけど。

いずれにせよ、知らない人たちというか、一般的には「世間」と呼ぶ人たちのことなどを考えているよりも、家で好きな音楽でも聴いているほうが楽しいに決まっている。
何か言う人たちにあれこれ説明しても無意味だし、しょせん人間というのは得てしまった知識に右往左往しながら支配されてしまうのだろう。
そーなると、行動から思想から思考回路の果てまでそれに束縛されてしまっているのかもしれないし、だとすれば一度形成されたシナプスが破壊されるということは困難なのかもしれないし、結局、諦めるという結論に達する。

言葉で説明してもなかなか伝わらないことが多すぎるなぁ・・・
どーして某所から逃げ出したくなって、某コミュニティからのメールが届くとビシッとしてしまうのか、雰囲気というの?
これを説明するのも困難なのよね・・

この、ダラダラとしたわがサイト・・・
ふんにゃりふにゃふにゃ融けたアンパンのように、なんかどーでもいいやという・・・
アンパンが融けるかどーかは知らんけど。

大抵はノラクラしているうちに通り過ぎるのだけれど、とにかくかごとが渦潮になった状態に巻き込まれたらそれこそ言の葉さえも無意味だもんね・・・
台風の時のように、それこそ雨戸を閉めて通過するのを待つしかないのかも。
とはいうもののわが家には雨戸はない。
だって、日本の家ではないし・・・
ちなみに網戸はあるけど・・・

雷鳴は一度鳴ったと思ったらすでに消えたらしい・・・
このように、ビシッとする時もあれば、何となく虫の音が鳴き出す時もあるわけで、短歌もロックなどを聴きながら詠んでいたら、気のせいかもしれないけど、だんだん過激なトーンに走ってしまいそうになる。
ボサノバくらいがちょうどよいのだろうと思いながらも、気分なのよね・・・

詠み過ぎない程度が薄味でよろしいのかもしれないし、エスニックなスパイスが入っていてもよろしいような気がしてしまうし、料理のメニューを考えているんじゃないと思いながらも主婦根性なんでしょうか・・・
主婦シナプスというのもあるわね、きっと。

それにしても静かな夜だな・・・
ちょうどよく冷えた夜。

 

 

今とは・・・・?

at 2003 07/29 01:45

もっと今を語らないとダメかもしれない。
が、しかし・・・
今が素晴らしいかどうかもわからないけど。

自分は宗教の人間ではないし、極東と呼ばれる島国の人間だから、中東で2000年以上昔に何があったのか知らない。
ましてや宗教戦争に先祖が参加したわけでもないし、今でも遠い世界の出来事に過ぎない。

ヘブライ人が大切にしていた門外不出のはずの布教活動をジーザスという人が行い処刑された。
ユダヤ人は神の子を処刑したという罪を背負い、それでいてジーザスが神の子かどうかでもいつも揉めている。
しかも、そもそもが一神教だから、イスラム教とキリスト教・ユダヤ教は同じ神さまを信仰していたはずだけど。
始祖というの?
ムハンマドかジーザスかの違いだけのような・・・

時代は流れ、アメリカというのは基本が清教徒がやってきて建国したというのだけれど、ユダヤ資本が強いためにイスラエルを支援しているらしい。
イスラエルというのも長い間迫害されてきたユダヤ人が自分たちのアイデンティティを求めて建国されたような・・・

このため年中すったもんだしているらしい。
らしい・・というのは実際に行ったことないし、イラク戦争にしても湾岸戦争にしてもなんで日本が金を出さなくちゃならないのかよーわからん。

なんかね・・・
もーいいや・・・
日清・日露、2つの世界大戦など、これを素直に日本の暗黒時代と呼べば終わるような・・・

大体ね・・・
うちの娘ですら・・というか、娘の小学校の世論ですら、小泉さんにはっきり言ってほしいらしい。
要するに、拉致をやめてほしいし、武器をつくったりミサイルを飛ばすのをやめてほしいとはっきり言ってほしいんだって。
たしかに国の代表なんだから、代表が言って、そのように話し合えばよろしいだけの話であって、それを侵略されたら大変とばかりに互いにミサイルを設置しあっているから終わらない。
小学生ですらわかることなのに、どーしてこんなにややこしいことになってしまうのだろう・・・
そーやって隣の国と話し合って終わるなら、アメリカの軍事力などをあてにしなくても解決するはずなんだけどねぇ。

結局、そういうわけのわからない脅威があるから、中東で戦争が勃発すれば金を出せと言われてしまう。
あれだけのテロが発生したのだから、アメリカがカッカしてイラクへ爆弾を落としたくなる気持ちもわからなくもない。
多くの犠牲者と恐怖を与えた罪は大きい。

イラク戦争中は、それこそブルース・スプリングスティーンを聴いてもイライラしていた。
あの国粋主義的な高揚感がイヤだったとしか語れない。
このところまたロックばかり聴いているけど。
タットゥーとか、エヴァネッセンスとか?
ロシアとアーカンソー州という・・・うぅ。

この手の話になると、なんかあーでもないこーでもないと激論になりやすいから、実際問題あたしは何も言いたくないというのが本音だけど。
だからといってお花の短歌ばかり詠んでいるというのも鬱々してしまうような・・・
スカッと言いたいことが言えるって気分がよいから。
有事になれば、あのアメリカですらあの始末だもの・・・
いつそうなるかわからない。
が、しかし・・・

いつになったら静かになるんだろう・・・
平和になるんだろうとはあえて言わない。
静かになったら終わる。
要するに、かごと渦だから・・・
不平不満やグチや怒りや憎しみやその手の確執が延々と続いているような・・・
で、それが見知らぬ世界への疑心暗鬼や差別や偏見につながる。

年寄りの戦争の話などを聞いているより、おちびの話を素直に聞いているほうが救われる・・・

 

 

今の自分を信じる??(う〜ん・・・・・)

at 2003 07/26 23:34

人間は後になってみないとそれが良かったのか悪かったのかわからないことが多すぎる。
たとえ不幸な出来事でも、後になって思えばそれにより救われていることも多い。
塞翁が馬だったかな・・・
要するに、あれこれ考えてみたところで何も変わらない。
野生の花にも棘があるように、うちの庭にも棘がある木が多い。
たまたまなのよね・・・
何となく綺麗だなと思って小さい苗木のうちに買って植えておくとすくすくと棘を隠しながら綺麗な花や葉を茂らせている。
それにしても酔芙蓉は見事に育ち、小さかったのにその奥に植えたカサブランカの前に生い茂っている。
が、しかし・・・
それは通りから見るとそのように見えるだけであって、角度を変えるときちんと太陽の方角に並んで咲いている。
要するに、道行く人のことを考えていないというだけのことなのかもしれないし、ヘデラにより覆われた木陰道の美しいこと・・・
そうやって思うのは親バカならぬ庭バカなのかもしれないけれど、植物のことはわからないから育つに任せている部分が大きい。
それでも見事に咲くものは咲くし、消えるものは消えてしまう。
不思議なのよね・・・
ある日突然何かが変わる。
それが小さな庭とは言え、自然界なのかもしれないと思う。
庭主の意図とは別に違う意図が働いているから・・・庭は。
よほどマメに手入れするとか、庭師を頼むとかしないとそれがそれとしてきちんと整備されているなんてことはありえない。

自分を信じるということは案外難しい気がすることがある。
なんで不意にそんなことを思いついたのかというと、今月の結社誌を眺めたからにすぎない。
あーだこーだと討論会みたいになって、女性の歌人が好き放題に語っているのは面白い。
それでいてなるほど・・という気もするし、主観の世界はそれなりに完璧というものは目指せない分、個々の意見はユニークな考え方を発するから面白いような・・・
詳しく読んだわけではないけれど、それなりに流し読みしながら拾い上げて行く。

結局、詠みすぎなくても伝わるものは伝わるとか、それだけではつまらないとか、その上の感情などを詠み上げても詠みすぎだとかいろいろな意見がある。
大袈裟すぎるらしい・・・
ネットだとたしかに恋愛やら不倫やらあまりにも大袈裟な一人の感情を詠む人が多いためにそれも詠みすぎだという・・・
「そんなのはアンタだけじゃないわよ」
と言いたいかららしいけど。
それでいて与謝野晶子を否定しているわけでもなく、抑えすぎればアララギとかね・・・
飽きたんだろうか?
そうかもしれないな・・・
要するに誰かがせっせとやったことをやっただけでは飽きてしまうのだろう。
それでいて、時代は変わるから今を詠んだとしても過去とは違うらしいし、そのように言われると、今の生活を記すことが大切なのかもしれないし、それが未来を思うということなのかもしれない。
が、しかし・・・
そんな先のことなんてどうでもいいような・・・
今の自分を詠むことが大切だというのはわかる気もするけれど。
だから、自分を信じろという結論なんだろうか?

自分のことなんて自分が一番わからないのだから、自分をどのように他人が眺めるのかなんてまるきりわからない。
未来で生きる人たちがどういう生活をしているのかもわからないし、誰がどのように何を考えるのかもわからない。
あたしは狭いんだな・・・
狭いというか、しょせん人間なんて変わらないと思っているからなのかもしれないし、昔ながらの生活をしている人たちにしてみればそれこそ今を実感することが多いのかもしれない・・・逆に。
自分には今はわからない。
だって、今は今なのだから・・・
それが時代のダイナミクスなのかもしれないし、それをキャッチするほうが困難な気がするし、飽きてしまうから・・・
迷ってしまうというべきか?

たしかに旧い時代の歌や小説は、解説がないとわからない部分が多いもの。
そこから当時の生活の一部などを垣間見て、しかも共鳴・共感する?
それが過去からのメッセなのかもしれないし、どうして過去から何かをキャッチしなければならないのかもわからないけれど、人間なんていつの時代も変わらないから何かがキャッチできるような・・・
それでいて死んでしまった文化や習慣がたくさんあることにも気づく。

いずれにせよ、迷ったら花に訊いてみる?
そんな風流な人間ではないんですけどね・・・あたしは。

 

 

コンテンツがないくらいがちょうどいいのかも・・・

at 2003 07/25 18:24

ネットってね・・・めんどくさい。
その情報なり知識を発信して何かメリットがあるのだろうか?
企業や商業サイトなら来てほしいのだろうし、儲からないまでも宣伝とか?
うちのようなサイトの場合、来訪者が増えても減ってもあたしの懐には何の影響もないわけで、単に自分のためにサイトが存在しているような気がする。

サイトをつくろうと思ったら、とりあえず検索すれば配布系のサイトはたくさんあるし、リンクをだどったりしながら必要な知識くらいはゲットできるような気がする。
お金出して本を買うほどのこともないと言われてしまうし、誰かがどこかで何かをしているし、その点、簡単便利な3分クッキングのような・・・

ホテルを予約しようと思って検索すれば、それこそそんなサイトはいくらでもあるし、ホテルのサイトにはない情報も個人サイトなどからピックアップできる。
BBSのないサイトも多い。
雨季のタイがどんな具合なのか知りたいような気がするけれど、知らないと言われればそれまでだし、それこそお天気だし、書き方や印象によっても情報を正確にキャッチするのは困難な気がする。
ある人はお天気に恵まれたと書いているかと思えば、毎日雨だったと書いている人もいるし、泊まったホテルの印象は部屋によっても応対してくれた職員の人でも変わるのかもしれないし、それこそ当たり外れが多いし、食事の好みだっていろいろあるからどこが美味しいと言われてもドンピシャだったら喜ばないと・・・
という具合に、それぞれの主観に基づいて何かが発信されているわけだから、そこから何かをピックアップするのは本当に難しいと思うわけです。
ホテルの住所とか、アクセス方法とか、実際的なことについては簡単なんだけどね。
何というか・・・雰囲気とか、比較とかを上手にピックアップするのは無理な気がするくらいだわ。
それでも口コミが好きなあたし・・・

友達や家族だったらね・・・もっと突っ込んだことまで話してくれる。
つまりは、そこはあたしの好みではないとか?
こっちのほうがお勧めとか、何となくあれこれ説明しなくても、何となく察してくれる部分がかなりあるような気がする。
ましてや、家族で行くとなると、結局、娘の意見が通ってしまったという情けなさ?
(単なる親バカかもしれない・・)
繁華街がどの程度うるさいとか危険とか便利とか、コンビニやスーパーがあるかとか無いとか、細かいことを挙げればキリがないくらいだわ。

結局、そういう意味でいろんな人たちが紆余曲折しながらサイトをつくっているのかもしれない。

が、しかし・・・
パックツアーやインターネット予約が安いのは、こういう愚かな客の質問に答える必要性がないからかもしれないな。
客が勝手に調べて申し込むだけ。
それこそ旅行会社のカウンターでも、実際にそのツアーに参加したわけでもなかったらわからないことのほうが多いし、必要な情報くらいは知っているかもしれないけど、主観を排除しないとややこしいだろうし、トラブルの元になる。

ネットでも一緒だな。
勝手にアップして、BBSもなかったら、それこそ質問にも答える義理もないし・・・
来訪者がいくつかあるサイトから必要な項目をピックアップするだけ。
BBSがあって、ヒマがあるから質問に答えることもあるというだけのことで、次にはカキコミュニケーション?
いわゆる口コミ。

無責任に口コミで書けるというのは世の中で一番気楽な気がする。
でもね、それだけというのも退屈だ。
うちの日常生活をダラダラと書くだけでも情報発信か?
・・・・・・・・・・・いろいろあって書きたくない。

すでに何かが飽和しているね。

知識がほしくてやって来るだけならそれだけがいいのだろうし、「うちのサイトへ来ないで」というのはおかしい。

でもさ・・・
なんかね・・・
何か書くと、嘘だとかね・・・自慢しないでくださいとかね・・・ましてや、他人のBBSに書いた話をさらに歪曲した情報として噂話発信するとかね・・・デマとかね・・・自分とは乖離した自分が一人歩きするとかね・・・
知識だけ並べてもどこかから盗んできたような話を書けばそれも情報発信なわけ?
何も書かないよりは親切なのかもしれないけど。

ニーズを理解していないからなんだろうか?
でも、なんであたしが誰かのニーズを考えながらサイトをつくらないとダメなんだ?
だからね・・・インスタントサイトくらいがちょうどいいのよ。
己を知っているから・・・
だってコンテンツなんて要らないんだから、この世界は・・・
書きたいことだけを書いている、無責任な三流サイト・・・

 

 

自分なりのパラダイス

at 2003 07/24 16:02

人間には自分なりのパラダイスが必要だと思うんですよ・・・

知り合いの台湾人の奥さんが甘ラッキョウを漬けたというのでおすそ分けしていただきながら、ポリポリと一人で齧りながら短歌でも詠んでいると自分は幸せだなぁ・・と思ってしまう。
うちの家族は主人がお米が嫌いなので、この手の代物をポリポリ食べるのは自分しかいないわけで、お米を食べないで一体何を食べているのかとよく訊かれたりするんですけど、何も困らないですね・・・

親日家の台湾人ファミリーが朝から和食を食べて、カラオケを歌って、永住権を獲得したらしいので、子どもは日本で生まれて日本語しか話せない。
となると、彼らにしてみれば、わが子はすでに日本人なのだそうです。
つまり、台湾人的日常が過ごせないという意味で。

主人がお米が嫌いで甘ラッキョウすら未だに漬けたこともなく、カラオケも好きではなく、ひねもすをロックなどを聴き、ときおり娘が下手なカノンを練習しているというわが家の場合、しかも関西出身の主人の場合、最初、茨城弁が通じなくて困ったという・・・
田舎のお年寄りで、未だに90歳以上長生きなさっているような場合、いわゆる標準語が話せない人も多いんです。

つくば市自体が新しいせいかもしれませんけど、とにかく外国人も多いし、日本人ですらそれこそ全国から集まって来ているし、それでいて地元の人たちも昔ながらに生活してると、年中どこかで誰かがすったもんだしているはずなんですけど、子どもが小学校へ行くようになると、それすらどうでもいいような気になってしまう。

のんびりショッピングセンターを歩きながら、本物のロケットが見える。
ドライブしていれば突然緑の中にぽつねんと現れる奇怪なドーム。
気象を観測しているらしいですけど。

それこそあらゆる宗教活動が行えるように施設もあるような気がしますけど、誰も気にしない。

誰も気にしないというところが好きなんです。

テロが発生しても、イスラム教徒というだけで差別があったかどうかは知りませんけど、そういう話を聞かないところを見ると、どこか遠くの世界の出来事なのかもしれません。

なんだか、こう、宗教や国に文化に惑わされず、異教徒の文化というだけで学校行事まで否定したり、ましてやその原因がおじいさん(ギリシャ人)がギリシャ正教会の長老をしているからという理由・・・それを理解しろと言われも迷惑としか語れなかった。

世の中が大袈裟で大袈裟で・・・

こんな風に書くと、自分が社会というものに参加せずに、ネットひっきーをしているのかと勘違いされるんですけど、子育てして地元で生活していると、母親がひきこもりというのは無理なお話でして、地域のことなどにもそれなりに参加していますし・・・そこのところがうまく説明できない。

 

 

潜在的クリスチャン

at 2003 07/23 11:18

通常、誰かとの摩擦を避けようと思った場合には、宗教の話はしないに限ります。
何故なら、人間同士が理解できるというのは奇跡に近いものがあるからです。

唯一、自分が日本人でよかったと思う点は、宗教に対して極めてアバウトだからかもしれないと思うほどです。
赤ちゃんの時のお参りに始まって、七五三などの宮詣。
その間、学校などをキリスト教系の学校に通ったり。
次には結婚する頃になると、家同士の摩擦を避けるためかどうかわかりませんけど、神前かキリスト教会でお式を挙げる人が多いと思います。
で、お葬式はお墓のあるお寺、ないしは共同墓地や斎場などで行うというのが一般的な気がするんですけど、どうなんでしょう。
そのような国家の暗黙のルールに従って、宗教は保護されているような気もします。
少なくても宗教の自由は憲法でも保障されているはずであり、反社会的な行動を規制する目的もあるでしょう。

とにかく、政治や宗教の話となると、どうしてこんなにしこりが残るのだろうというくらいですから、のんびりお花やお天気のお話をしているほうが平和な気がします。

そういう中で、「え、この人が?」と思うような人がポツリポツリお話をされたりすることがあります。
登校拒否になり、しげく教会へ通っていたとか・・・

「どうして今は行かないの?」
「自分の人生を誰かに決められたくなかった」
「そかそか・・」

つまりは学校に失望して、教会に失望して、あちこちを徘徊しているんだね・・・
彼の言う「誰か」の中には神さまも含まれていらっしゃるようで・・・

大抵の場合、同じ国の人たちや同じ宗教の人たちは自分の行動を誰かに一生懸命に説明する必要がありません。
自分が何気なく行動していること、服装などを誰かに説明する必要性がない。

自分が鬱々したり、自己嫌悪などに陥ったり、精神状態が悪くなると、大抵の場合、「自分を理解してほしい」という願望が先立ちます。
そして、理解者を求めて徘徊してしまう。
ところが人間同士が理解し合うことなど無理な気がするくらい、個々の人たちは違っている。(と本人は思っている)

ヘンな話、自分のこのようなジレンマを救ったのは、イスラム教の影響かもしれません。
潜在的クリスチャンというか、自分のように教会にもどこにも所属せず、それこそ宗教活動などは一切しないにもかかわらず、精神世界を徘徊しているとどうしてもそういう話題は避けて通れないと、さまざまなジレンマや憤りがあるわけです。
それこそ、自分のことは放っておいてほしいとなってしまう。
批判があれば沈黙する。
不毛ですから・・・
カトリックでもプロテスタントでもカルトでもいいですから、とにかく放っておいてほしい。
あなたはあなた、わたしはわたし。
誰ともお話しないほうが平和。
教会などへうっかり通うより、海でも眺めていたほうが神さまは近い。
自由契約なんでしょうね・・・
発想の根底が。
信仰は自由だから。
自分を救いたければ・・というだけのような気がすることもあります。
自分を救うということは、精神が軽やかになるくらいの意味ですけど。
そしてそれを誰かに押し付けたりしないこと。

精神は自由ですから。

こう・・誰かに自分がわかってもらえないという憤りはどんな人にも大なり小なりあると思います。
で、諦める。
諦めきれないで、それこそかごと渦というか、グチや不平不満や憤りとなって誰かを諍いに巻き込んで行ってしまったり・・・
それこそ宗教を理解してもらえないという憤りを抱えた人たちは、同じ宗教の人たちの中に入れば自分を説明する必要がありませんから気楽ですよね。

すべての人間が理解できるとしたら神さまですから。
この矛盾・・・・

で、日本人の話に戻すと、アバウトだから救われているような・・・
宗教的なことを理由に、子どもをハロウィンなどの学校行事には参加させないというトラブルを聞いたりすると、アバウトというのは値打ちがあるな・・というか・・・
理解してほしいとは思わなくても、理解されていると思うことはさらに値打ちがあるのかもしれません。

ルドビーさんには大変申し訳ないんですけど、教皇さまのお写真を眺めても、「キリスト教も最初はカルトだったんだよ」という脱カルトの呪文を思い出してしまって何も感じないのでございます。
カルトの勧誘にも、脱カルトにも使われるこの写真・・・

またお叱りのメールが届いてしまうかもしれませんけど、それでも自分という人間は黙っていられないという・・・
すでに誰かに理解してもらおうなどというおこがましいことは諦めているからかもしれません。
それでも語ってしまうから、短歌であり駄文なのかもしれないし、本当は批判のベクトルがあったほうが自然体で詠めるのかもしれません。

潜在的クリスチャンを見つけるのは簡単なんです。
要するに、何かを説明する必要がないからなんですよ・・・
案外、日本人には多いような気がします。
自分のような曖昧な人間が・・・・

 

 

ジャンキーズ・パラダイス

at 2003 07/22 15:39

近頃、そういう気力もないね。
どういう気力かというと、勝手に書きたいことを書きたいだけなら、てきとーにサーバを借りて、そこに書きたいことを書く。
単なる受容と供給、共鳴・共感の世界。
完全な匿名の世界。

最初はうちのサイトもそのノリだったんだけど・・・
今でもそれに近いような気がすることもあるけれど、それは最早無理だと思う。
逆に実名のサイトにしちゃったほうがさっぱりして気分がよいような気がするくらいだし・・・
そのほうがつまらんジャンキーからメールが届いたりしないし、カキコもない。
あっさり語ればそちらのほうがすっきりしているという・・・

結局、どちらかなんだろう。
ここまで長くやっていると、逆に(って何が逆なのかわからないけど・・)実名(だと思う)でメールを書いてくる人のほうが多いのです。
実名ではなくても、実名は知っているという関係性というの?
そっちのほうがサバサバしているような気がして、ジャンキーを相手にしているよりよいと思っていたけれど、結局、そーなると望まないメールまで届くという・・・
結局、BBSが悪いのだろうか?

う〜ん・・・・

「うちのサイトに来ないで」と書くと荒れてしまうとか、「アンタなんて相手にしないわよ」と電子文字にすると怒るでしょ?
ネットはムズカシイ世界ですわ・・・ほんと。
あたしなんて素直だけどな・・・
「鬱々するから話しかけないで」と言われたら、話しかけないもの。
たしかに自分ですら鬱々するような話を他人に語るのは愚かなり。
はっきり言ってくれたほうがわかりやすくていいわ。
特に、電子の世界では実際に相手の様子がわからないので、そのほうが親切だと思うのです。

が、しかし・・・
誰かを傷つけたとかさ・・・・
そーいう人たちはそーいう人たちだけで固まっていると静かだと思う。
それも一つの受容と供給の関係なんだと思うし、それをすべての人に理解してもらおうなどと愚かな押し付けを考えない限り、静かでよろしいような気が・・・

ジャンキーズ・パラダイスか・・・

ジャンキーズ・パラダイスにも2種類ある気がする。
一つは快楽主義ね。
ディカプリオくんの『ザ・ビーチ』を例に挙げれば、サル(女性の名前です・・ちなみに)が愛しているのは彼女の島だけ・・・
島には、仲間と嫉妬深い大工の恋人がいるだけ。
完璧な快楽主義者・・・
恋愛なんて無いもの。
ディカプリオくんの扮するリチャードと一緒にパンガン島へ買い付け。
当然、一緒に寝てしまう。
それを彼女の恋人もわかっているのよね・・・
違いというのは、リチャードは単なるセックス・パートナー。
恋人は彼女の愛する島の世界をつくってくれる人。

リチャードと一緒に島へ行くフランス人カップル。
リチャードの横恋慕が面白いけど、恋人と友達は違うから・・・そーいうはっきりしたところがすっきりしていて楽しい。
リチャードに恋人を奪われても、彼女の幸せしか願わないという快楽主義もある。
その辺がフレンチっぽくて好きだけど。
でも、彼女はリチャードとサルの関係を知り、リチャードを捨てる。
すごくまとも・・・
つまりは、根底に流れる快楽主義と、それでは満足できずに恋愛を求めるのも人間誰しものような気がするし、単なる恋愛一つにしても酷く理屈っぽい。
なんだかすべてが受容と供給の世界なんだろう・・・

心が傷つくのがイヤで、恋愛そのものにまつわる精神世界を否定し続ければ、単なるラット。
過剰な刺激を求めて変態街道を突っ走ってしまうのだろう。
そんな人たちに、愛だの恋だのと説明しても無意味。
それでいて、誰しも幸せになりたいんだろうな・・・

おっと・・・
ジャンキーズ・パラダイスの話だった。
アダルトやポルノサイトのような快楽主義的な一過性の刺激もあれば、ジャンキー化して恋愛妄想に揺られてしまうと世界もある。
恋愛妄想になると、それこそ単なるイメージだからね・・・
ディカプリオくんみたいな彼氏がほしいと思っているところに、「ディカプリオに似ていると言われるよ」などという嘘をつかれたらどーしませう?
しかも、バーチャルだと割り切っていたら、未来永劫、脳内パラダイスは続いてしまうんだろうか?
きゃーーーーー!!

快楽主義、恋愛、あと結婚か?
結婚は、魚を取ってくる人がいてそれを料理するという関係性なんだろうな・・・
与う悦びなんだろう・・・分かち合う悦び?
共に生きる関係。
で、子どもから愛をいただく。
親というだけで無条件に愛してくれるというのはありがたいのう・・・

インターネット・ファミリー軍団?
これが行き着くところ究極のジャンキーズ・パラダイスだったりして・・・

道具を使うのは人間なんですけど、人工知能の与うもの・・・
それを考えると、どこの誰だかわからんような人たちのことを考えて、せっせとサイト更新ジャンキーと化すのも虚しいような・・・
結局、環境因子からのアフォーダンスを学習(キャッチ)することにより、脳内にイメージが構築されているとすれば、どーやって考えても箱は箱に過ぎない。(本物じゃないでしょ? 海の壁紙は海ではなく壁紙です。)
でも、箱の刺激により、学習されちゃっているという事実が怖い今日この頃・・・

あたしはインターネット社会に何を供給しているんでしょう・・・?
よーわからん。

 

 

あたしって可哀想に見える?

at 2003 07/21 20:31

コミュニケーションが他の人たちに見えないということが大切なのかもしれないとふと思う。
というわけで、とうとうサイトからBBSを消し、放置サイトのほうもそれっぽく放置仕様にしてしまう。
要するにサイトにBBSもメルアドもないというだけのことなんだけど、コンテンツがあればサイトなんて充分なのよね・・・
ジャンキーが暴れないようにということで、コミュニケーション部分をカットして、ほかの人のサイトのBBSなどにもあまりカキコしないようにする。

結局、日本だからなのだそう。
村八分社会というの?
なんかね・・・暗いね。
仲間外れということに対して、すごく敏感なんだろうな・・・
だから、「○○さんが可哀想」という発想につながってしまうのだろう。

ほれほれ・・・
うちのサイトを見てみろ。
カキコもないし、なんと寂しいサイトだろう。
今までの短歌仲間のところにもカキコしないし、知らん顔されてるぞ?
おおお・・・・

は〜、せいせいした。

ネットというのはしょせん一方通行社会だということがしみじみ・・・
あー、なんてあたしは可哀想なんだろーーー!!
誰か同情して〜〜〜!!!

ほれほれ・・・
あたしに同情しろ・・・

アラシにサイトを荒らされて、とうとうBBSまで消えてしまった。
どーやって考えても可哀想なのはあたしのほうだよね。
犠牲者というのはこういうことを言う。

それでもサイトは閉鎖しない。
だって閉鎖する理由はない。
アホらしくてさ。

実際問題、サイトがあってもなくても関係ない。
BBSなども必要ない。
短歌も淡々と一人で詠む。
何も困らない。

短歌の本を3冊と新しいCDを3枚買い、娘も夏休みに入ったので、このところ連日して友達と一緒にお出かけ。
映画、プール、今日は幼稚園の頃の園まつり・・・
それぞれの親が交代で連れて行く。
そういうヒマにカフェへ行き、さりげなく自分の時間を確保。

子育てしていたら忙しい。
一人の時間が癒し。
つまりは、のんびり鬱々していたいのだけれど、実際問題、鬱々しているヒマもないというのが実情かもしれない。
それでいて鬱々しているのが好きなあたし・・・

そうやって日常から離れて一人の時間を大切にしているという習慣は長い。
そういう時にあれこれいろいろなアイデアが浮かんだりするし・・・

それをだね・・・邪魔される。
誰それさんが可哀想だとか、皆はどーたらこーたらとか・・・
あーやだやだ。
他人のことを気遣わなければならないくらいならネットなんかしてないって言うのに、なんでそんなこともわからないのだろう・・・

何にもわかってないのはあたしだというカキコもあったな。
たしかにわかってないのかもしれないし、それでいてわかるような気がしなくもないし、結局、村社会なんですね・・・
わからんのよ・・・というか、そーやって村社会にしがみつくという習慣がないために、そもそもそこのところがよくわかっていないのかもしれない。
わかりたくもないし・・・あえて。

いつになったらこの忌まわしい事件から解放されるのだろう・・・
とっくに終わったと思っていると、まだ何かやっていると思われてしまうというのは単なる妄想だ。
妄想を破壊しようとしても無意味なのよね・・・
それなら・・・というわけではないけれど、寂しいサイトというのが清々しいということで、このまま鬱々していますので・・・かといって、迷惑だから癒しを求めないでくださいね。
近頃、癒しを求められるといい加減にうんざりしてしまうというか・・・

そんなことより、好きなサウンドでも聴いて、「写実よりも自分の短歌は捨象ではないか?」などと優雅に考えているほうが楽しいから。
それが自分にとっての最大の癒しなのでございます。

サイトを見た限りでは、あたしはすごく寂しく見えると思うんだけど、どーだろう・・・
可哀想なの?あたしって・・・
ヤレヤレ・・・・
どーなっているんだか・・・この社会。

 

 

 

 

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