Rin's Diary
February, 2003
(No.3)

 

優雅なパソコン・ユーザ

at 2003 02/28 19:20

楽しく更新をさぼり、メモリの増えた余裕のパソコンでページをつくっている。
何となくぎすぎすとしたサイトの一連の出来事に疲れ、一人のことに没頭していると時間があっという間に過ぎて行く。

癒しを求めないでほしいというのがどういうことなのか、わからないんだろうな・・・
やさしさを求めないでほしいということなのかもしれないし、誰でも誰かに大切にされたいというのは本能なのかもしれない。
セロトニンが不足していると、誰かのやさしさや温もりが必要になる。

世の中の人が、みんな親切でやさしかったら、社会はさほど予算が必要になるとは思えない。
子どもたちが愛に満ち溢れ、せっせと親の世話をしてくれる社会なら、誰も老後の心配などしないだろう。
至れり尽くせりのリゾートホテルがどうしてあんなに高いのかを考えると、サービスや奉仕というのが最大限のお金の値打ちのような気がする。

好きと嫌いは天国と地獄・・・
好きな人のためだったら、何かをすることも喜びとなる。
逆に嫌いな人のためなら、おっそろしいほど大金を積まれてもやりたくないことも多い。
「金を貰ってるから、いやいやなのよ〜」ということも世の中にはいくらでもあるだろう。
旅行に行くと思うけど、笑顔もサービスのうち。
愛想もサービス。
愛想を求めなければ、案外、経済的に旅行ができる気がするほど。

一緒に歌って踊れれば、どこでも友達ができる。
友達ってどういうことなのかわからないけど、あっさり語ればフレンドリーという意味なら相手に危害を加えなければどこでも好意的に接してくれる人がいるだけのことなのかもしれない。
ネットでも同じだなぁ・・・
ノラクラと誰にでも親切に接していれば、トラブルは発生しない。

嫌われるから見栄を張って高い買い物をしてしまうのかもしれないし、好かれれば買い物しなくても楽しい客だもんね・・・
どちらが得かと言えば、好かれたほうが得に決まっている。
あまりにも学生が長かったために、何となく一般の人とは違うような待遇に慣れすぎているな・・あたしは。

こきたいない格好でパソコンを買いに行く。
どーやっても学生のノリだもの・・・
店員さんとあれこれ楽しく話しながら機種を決める。
ほしい機種が品切れだったので、メーカーに在庫があれば1週間で取り寄せできるという話をする。
その上のテレビが観れるタイプならお持ち帰りができる。
差額は1万6000円。
日頃、テレビなど観る習慣がないために迷う。
おそらくは通販などならもっと手軽で安い機種も手に入るだろう・・・
何もインテルにこだわる必要性もない。
プリインストールされているアプリケーションも不必要なものが多い。
迷ったけど、メーカーに在庫がなければさらに1ヶ月くらい待たされるような気がしたので結局高いほうを買ってしまった。

店員さんの「だいじょぶですか〜?」という言葉が印象的。
普通の主婦がパソコンを買いに行って、しかも速攻で購入しているわけだから心配になるんだろうな・・
買った後に後悔するとか、返却になったらとか、第一そこの店にクルマを走らせてわざわざ買いに行くところも変わってるかもしれん。
主婦は電気街とか、大型ショップのパソコン館が普通だよね・・・
だってパソコンも家電だもの。
通販価格のその店のことは、マニアな友達から聞かされたからたまたま知っているだけで、1日遅れたら売り切れということもあるし・・・
店員さんが親切にあれこれ教えてくれるのも、女性のユーザだからなんだろうな・・・
何となくものめずらしいからかも。
パソコンショップを3軒はしごして、センターから遠ざかるたびに雰囲気の違いが価格の違いのような気がしてしまうし・・・
綺麗にディスプレイされている店ほど価格が高い。
倉庫のような店は安い。
サービスを求めなければ安く買い物ができる。
店員さんに懐具合を心配されながら買い物するというのは平和だなぁ・・・

優雅なパソコンユーザか・・・
癒しを求めるなと語るほうが無理なのかも。

 

 

揺られていてもいいのよ・・・・

at 2003 02/24 01:26

バーチャル・コミュニケーションというものを考える場合、歌人同士の付き合いというのが一番わかりやすいという気がすることがある。
BBSなどで恋の短歌などをヤリトリしていても、何かどこかが違うという・・・

大昔、短歌の好きな人が語っていたのだけれど、捻って一生懸命詠むより、朝起きてトイレの中とか、電車の中などでぽろっとこぼれるように言の葉が浮かんだほうが気に入る短歌が詠めるらしい。
一日中、短歌のことを考えているわけではないのだろうけど、BBS上に現れる恋の短歌などが、そういう日常的な何気ない場面を通して生み出されるものかと思うと、しみじみ歌人というのは一人の世界であり、バーチャルというのは便利な世界であると感じたもの。

まあ、一生懸命、言葉を捻っても逆に言いたいことがから遠ざかってしまうということが言いたかったのかもしれないけれど、夢もロマンもない現実を背景に、詩や短歌に何かしらの想いをしたためるというのは不思議な気がしたものでございます。

あたし自身に関して言えば、短歌は即興。
流れるように消えゆくように気ままに詠んでいるくらいがちょうどいい気がしている。
にもかかわらず、互いに理解しあえる部分があるから、短歌でも連歌になったりするのだろうし、それでいて、それは一人の世界の積み重なりにすぎない。
うすらぼんやり、好きなサウンドを聴きながら、気ままに想念の世界に遊んでいることもあれば、子どもたちがきゃーきゃー騒ぐそばで、失恋の歌などを詠んでいたりする。
あー、この現実と歌のギャップはどうやって語りつくしたらよいものやらと悩む。

短歌や詩だから、そういうものだと思ったら大間違い。
そもそもがバーチャル・コミュニケーションというのは一方通行であり、それぞれが発信者であると同時に受け手であり、互いに一人の世界に揺られているだけかもしれない。

HPを友達つくりの場にするのはヘンなのだろうか?
インターネットというのは、情報発信の場であり、知りたい人が勝手に来訪するというのが元来の姿なのだろうか?
情報伝達というのが、コミュニケーションのそもそもの考え方であることを思い合わせると、やはり基礎となるのはそういうことなのだろう。

が、しかし・・・・

揺られていてもいいんじゃないかな・・・
電子文字社会というものを眺めても、ウマの合う人合わない人ってあると思ったし、根底が共鳴・共感の世界であれば、それが日常を共有していようといまいと深い意味はないと思うのよ。
機械の世界に人間性を求めるというのもどこか矛盾に満ちていて、滑稽な気がするけれど、人間なんて、しょせん機械から脱却できないとするならば、精神や魂という存在を認識・識別できないのであるならば、機械が相手で充分な気さえしてしまう。

それでいて、そこに人間を求めすぎるから、ワイドショーになるんだねぇ・・・
箱の世界は、テレビ並みに無責任な世界なんだろうな。
無責任にこころが浮遊してしまっている。

 

 

スイッチ

at 2003 02/23 01:51

早いな・・・
もう8万ヒット。
実は半年間、このサイトは日記だけを別のミラーサイトにアップして半ば閉鎖していたために、軽く10万ヒットを超えている。
ガイアックスのシステムを考えると、特別アクセス数があるとは思えないけれど、それでも長く続けているから我ながら不思議。

昔の日記のほうが面白いかもしれないな。
自分で自分のことを、りん、りん呼んでおバカぶっているから、そういうアンバランスなところが童話風?
(^◇^;)ゲロゲロ〜

単なるチャット部屋の習慣だったんだな・・そうやって自分のハンドル名で自分のことを呼んだりするのは。
軽いノリのまま、サイトへ流れ込んでしまったということが日記を読んでもよくわかる。

自分で語るのも何なんだけど、書いてある内容はまともだと思うのよ。
なのに、ノリがヘンだからヘンなサイトと言われても仕方がない。
いつから、少しはまともに見えるように書き出したのかよく覚えていない。

おそらくは、あまりにもパラノイア被害が多いので、「(アンタは、アイツは、etc.)狂ってるのよ〜〜!」ってことを的確に偏見のないように伝えるためにドライな書き方を始めたのかもしれない。
じゃないと、説得力がないから。

ファミリーや友達に、おバカやっているのがバレても何も困らないんだけど、さすがに神父さんに出くわした時にはキマリが悪かった記憶がある。
「どうかあたしとバレませんように・・」という情けなさがあったかもしれん。
バレてもいいんだけど、なんかね・・・

ネットをしていると、子育て部屋で遊んでいても、10代からギャルママとかね・・・
短歌でも、短歌というより、詩・・・
どこが違うのかよくわからないけれど、口笛のような軽いトーンの詩だった気がする。

シュルレアルな時代の詩を読んでいたからかもしれないし、どこかそういう影響があったような気がするというのは欺瞞かもしれないけれど、自動筆記という素朴なやり方の影響はあったと思う。

歌人は一人の世界。
だから、それでもかまわない。
理屈が飽和した瞬間に、何かのスイッチが変わるだけなのかもしれない。

いわゆるネット人格というものでもなく、自分というものでもなく、自分の中に内在化した言葉がごく自然にどこかから落ちてくるような感覚にも似ている。

 

 

寡黙な出逢い

at 2003 02/22 11:36

インターネットの可能性は無限大・・・・か。
ネットもサイトも長くなってくると、何のためにBBSがあるのか不意にわからなくなることがある。
チャットで話したネタなどが、何となく飾りカキコ的に書いてあるのを見たりすると不思議な気分になる。
大抵、そういうまどろっこしいことをするのは、女性同士と相場が決まっているのが不思議だ。

BBSもメルアドもなく、単に自分の言いたいことだけを発信しているサイトもある。
要するに、『知りたい』派と『知られたい』派が存在するのだそう・・・
未知なる出逢いを求めて俳諧しているというのが、案外、正解なのかもしれないな。
ネットは、『ほんとはね・・・』の世界だから、どこかに自分を理解してくれる人がいるかもしれないと勘違いしながら俳諧している。

人間同士が理解しあえるなんて、奇跡に近いものがある。
ましてや、バーチャルというのは一方通行社会。
「この人なら自分を理解してくれる」と思えば、相手が実際にそうであるかどうかなどは関係ない気がするくらいだ。
この人なら理解してくれると思うから、毎日、誰も読まないメールを書き続けたりする人が後を絶たないのかもしれないし、それでいて、無理。
いろいろやってみたけど、無理だ。

サイトに書いたり、BBSを利用したり、メールを書いたり、さまざまなバーチャル・コミュニケーションを使ってあれこれやってみたけど、一つわかったのは無理ということ。
誤解だの勘違いだの、結局、どうやって書いても受け手の問題はあるし・・・

人間同士が集まればすったもんだするのは当たり前。
チャット部屋でも、サイトでも常連化するほどに、いつも誰かと誰かがすったもんだしている。
ネットから誹謗・中傷を排除するなんて不可能だろう・・・
つい知らない人だからと思って、近所の人の悪口や家族や先生の悪口を言ったり?
たしかに知らない人に語るのであれば、よくある話がほとんどだからそれがきっかけでトラブルになることは少ない。

誹謗・中傷や軽くは陰口・悪口が飛び交うのは、喧嘩が原因ではないな・・・
誰かが自分を理解してほしいと思うから、結局、他人の悪口につながるだけ。
感情の捌け口が必要になるだけなのかもしれない。

それもまた未知なる出逢いの世界の『日常』なんだね・・・
『ほんとはね・・・』の世界だと、人間関係が重ならないほうが遥かに気楽だろうし・・・
仲良くなっても、互いにオフなどの話を語らないままにバーチャルな関係は続いていく。
一方通行社会とはいえ、何となく理解しあえるものがあると互いに勘違いしているから、ノラクラとした関係は続いていくのだろう。
そういう関係は、どこか非日常的であり、生活必需品ではないからこそ気楽な側面がある。
それでいて、日常を共有しているからこれまた不思議な気分に陥るけど。

特に誰かに理解されたいとも思わない代わりに、理解を求めないでほしい。
そういう意味では、ネットは無限大。

 

 

認識の違い

at 2003 02/21 10:48

久しぶりに神父さんのサイトで、オリーブの木の写真を眺めながら、愛らしい薔薇の花に癒しを覚える。単なる写真だというのに、不思議なパワーすら感じる。

インターネットはオープンな世界なんだけど、人の心はオープンではない。
ネットの常識で言えば、「あたしのHPに来ないで!」というのは非常識であり、それでいて、今の時代はいきなり自己紹介を書いただけでアラシ扱いされてしまうこともある。あたしだったらそんなサイトには2度と行かないけれど、そういう風潮もまた一つの常識となりつつある。

ネットを始めるきっかけの差なんだと思う。
何となくプロバイダを申し込んで、チャット部屋で遊んでいるうちに自分のサイトをつくりたくなる。
それが、『あたしのHP』の原点。
そこはパブリックな空間ではなく、むしろ閉ざされたプライベート空間であり、いきなり知らない人が現れたら驚いたりする。
サイバー上に公開している以上、リンクをたどってあちこちから知らない来訪者がやってくる。それが当たり前なんだけど、そもそもが狭い動機でつくられたサイトだから、そういうものに対応しているとは思えない。子どもの写真をアップしたり、知り合いにURLを知らせたりするだけであって、『誰も知らない』というニュアンスすら存在している。
そういうところでトラブルが発生すれば、大抵は狭い話題であり、嫌われた人が怒って腹いせしているだけ。
そんなことにいちいちサーバや警察が関与していたら、時間や予算がいくらあっても足りない。
にもかかわらず、そういうささやかなトラブルが結局警察沙汰にまで発展してしまうのかもしれない。

----広告と同じだ

展示板に詩を投稿しても広告ではない。
単に自分のサイトに来てほしいというだけのカキコは広告なんだろう。
BBSは基本的にコミュニケーション・ツールだから、広告カキコというのはプライベートなサイトでは削除の対象となる。

問題はそういうことにあるのではなく、結局、ネットは「ほんとはね・・・」の世界にあるということに不意に気がつく。
第三者には関係ないということなのかもしれないし、おそらくは自分の知らないところでいろんなことがあったのかもしれない?

広告カキコが酷くて潰れた板。
あれは嫌がらせではないかと思っていたけれど、実際、嫌がらせだったんだろうな。
うちのサイトにさんざ嫌がらせが発生していた頃、その原因がそこのサイトにあるということでこちらも書いていたし・・・
メールで書くより、BBSに書いたほうが公平だ。
サイトのネタにもなる。
次から次へと、犯人が特定できないままに嫌がらせが発生する。
どうしてそこのサイトが原因なのかは、一種の勘でもあり、根拠がある。
パラノイアだからね・・・
何を言っても無駄。
普通だったら知らん顔しているんだろう。
それが嫌がらせから逃げるためには最良の方法なのかもしれない。
逃げたいわけではなく、単にネタにして喜んでいたと言われてしまえばそれまでなんだけど、常に時代の流れというものがあり、ネットが「ほんとはね・・・」の世界である以上、常にそういうトラブルが発生してしまうことを覚悟しなければならない。

友達が面白いことを教えてくれた。
本当のサイトのファンというのは、カキコなんかしないということ・・・
この辺の認識の違いに何かがあるんだろうな。

 

 

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