Rin's Diary
November, 2002
(No.3)

 

座標

at 2002 11/30 02:31

どうして世の中が不景気に喘いでいるのか、その顛末を横目に眺めてきた自分にとっては、すでにすべてが過去の遺物のような気がしてしまっている。
例えば、バブル以前には渋谷のマンションは2000万円で買えた。その後、のんびり学生をしているうちに1億円以上に跳ね上がり、徐々に値を下げて最終的に5000万円前後のラインを推移しながら未だに生命保険会社の所有になっていたりする。そのくせ家賃はあまり下がらない。大家に借金があるものだから、そんなには簡単に下げられない。
池袋、文京区、渋谷、世田谷区と転々としていたのですね・・あたしは。
バブル時代の学生か・・
当時のサラリーマンは新幹線で通勤している人までいたという話。
福島県に自宅があって、そこから都内まで通勤しているのだもの・・普通の人はなかなか家を買えないという不満があって、バブルが破綻した記憶があるのよね・・
宮沢さんが蔵相をしていた頃に、”年収の5倍で家が買える”という政策が推進されて、それから軒並み不景気路線を突っ走ってきた気がするんだけど、旧い時代のことは誰も語らないから不思議。
だからね・・デフレでもインフレでも関係ない気がしてしまう。
或る日突然、ダンナがアミダくじで負けて東京を去ることになった。
すぐに戻る予定だったのに、何となく田舎に根を下ろしてしまったというところが不思議で・・
そのおかげで不景気の本当の怖さを知らずに生きてこれたのかもしれないと思ってしまう。
時代は自分を通過していってしまうだけ。

このように、自分では何もしないのに、ぼっけーっとしたまま時間だけが経過していき、時差ボケしたままMIDIを聴きまくっている。
学生運動世代・・もっと語ればヒッピー世代のろっき〜さんから、のんびりウェブの手ほどきを受けながらバブル世代のあたしは美しいイラストやMIDIをウンザリしながら時間を掛けて選んでいる。
こんなんでいいのか?
いっつも思うんだけど、誰も悪いとは言ってくれない。
悪いと言いたいから、嫌がらせが発生するのかもしれないとは漠然と思ったりするんだけど、こればかりはどうにもこうにも世の中が自分とは違うところに存在しているような気がするために、実はどうでもいいとすら思ってしまう。
「一生働いても家も買えない」って怒っている人たちが多かったから、結局、インフレを緩和したわけでしょ?
で、世の中の大多数の人たちは同じ年頃に就職して、同じ年頃に結婚して、同じ年頃に子どもを産み、同じ年頃に家を買う。
つまり、時代背景というものがあって、若干の個人差はあるもののみんなが似たような時期に同じようなことを考え、同じようなことをしているから、同じような苦労が発生してしまうだけのことであって、そこに社会や経済という波が連動しているにすぎない。

ところで、その頃、地方にいた人たちは何をしていたの?
それがわからないんだなぁ・・

 

 

孤独という名の異常性

at 2002 11/29 11:05

マイケル・ジャクソンの場合、常に”今の顔”というのが話題になってしまう。子どもを連れて外出する時にも子どもには赤い布を被せて顔を隠しているという異常さ。誘拐を警戒している以上に、すでに”マイケル・ジャクソン”をしていることに疲れ果てているような気さえしてしまう。
「ポップ音楽は嫌いだ」、「普通の人が買い物するように買い物したい」・・・
あんなに整形して、どーやったら普通に人になれるのか・・
そういう異常さが彼をいつまでもトップスターに押し上げているのかもしれないと思うと、不思議な気分に陥る。

大体ね・・タレントなんて忘れられたらお終いというわけではないだろうけれど、常にファンに見捨てられるのではないかという恐怖があるような気がしてしまう。
マライア・キャリーや郷ひろみ?
いきなり渋谷の交差点でビデオ撮影やゲリラライブ。
ものすごく迷惑この上ない気がするんだけど、それでもやってしまう。
渋谷、原宿、青山、六本木などなどタレントの出没スポットは多いけれど、すれ違っても同じ店で飲んでいても彼らはさほど目立たない。人気のないタレントほど目立つところにいて、さりげなくポーズをとっていることがあるな・・というのは気のせいだろうか?
某カフェでは年中誰かいた。一人なら大きな声で話している人もいた。
当時はあたしなどは若く(美しく?)、大抵は一人か友達と群れをなしているかだったから余計に気になるんだろうな・・女性の反応には特に過敏だったような記憶が。(当たり前か・・)
連れの女性がいてもね、ほかの女性客の反応が気になるというのは芸能人根性なのかもしれないし、男性タレントだったら男はその場に存在しないに等しい。
「あー、うるさいな」
と思って顔を上げると某ミュージシャンと目が遭ったこともある。
だって、うるさいのだもの。
音楽ネタを女性相手に薀蓄をかましているわけで、こちらは読んでおかねばならないタスクを山ほど抱えているというのにうるさいではないか。要するに当時は休憩しながらも何かを読んでいたわけで、たしかに年頃の人間のすることではなかったかもしれん・・が、しかし、うるさいから無視してたらますます声が大きくなっていってしまう。(芸能人を無視するとそういう目に遭う?)
かと思えば、いかにもグルービーみたいな姉ちゃんを連れてクルマで来ていると、姉ちゃんが店で騒いで通路で躍らん勢いだったりして。まぁ、よっぽど嬉しかったんだろうな・・気持ちはわからなくもないけれど、そこのカフェだとどっちかというと無視されていたかも。
夕方のテレビ局の近所の喫茶店あたりだったら、誰かいるだろうけどね・・ちなみにそういう場所ではない。

テロリストにも似ている。
このところ反米テロという雰囲気になってくると(だってバリ島ではアメリカ大使館やアメリカ人を狙ったでしょ?)、その後にイスラエル人が襲撃されてしまうのはどうしてなんだろう?
”パレスチナ問題”に話を戻したいだけなのかもしれないし、宗教戦争をアピールしたいだけなのかもしれないし、ルーツがそこにあるからなのかもしれないし、ややこしい。アメリカが核査察など世界平和という名目の下にドンパチしていると、宗教問題へ話を戻してしまう。

クリスマスの季節にはサンタクロース。
どこが悪い?
イスラム教徒でも仏教徒でもサンタさんが好きな人は多いと思うな。
ただそれだけのことなのに、オーストラリアでは幼稚園でサンタの登場を禁止しようとしている?
たしかに、年寄りなどは嫌がる人は多いのかもしれないけど・・宗教がちがちだと。

ゲリラライブも異常だけど、子どもの顔に布を被せているというのも異常だし、サンタさんを禁止しようというのも異常(だと思う)。

 

 

優雅に険しく

at 2002 11/27 12:20

早いですね〜♪
来年のお正月でネットを始めて丸3年になってしまいます。
ついこの間まで「ビギのことならあたしに訊いて!」などというわけのわからんことを語っていたわけで、誰でも最初は初心者だからPCの使い方もわからなくて当然だということを主張していただけなんですが・・・

海外だとタイプライターの使用歴だけがやたらに長いお婆さんがIE3.0などを未だに使いながらのんびりネットをしているのが普通らしく、それでいて画像は重いし音楽が流れるようなサイトをイライラせずに眺めているという優雅さを教えられ、ドッグイヤーにイライラしながらネットをしているあたしなどはまだまだ未熟者。
初心者だから未熟者というわけではないと思うんです。
精神的にどこか余裕が欠如しているから未熟であると感じるだけであって、文化としてインターネットが普及していないせいなんでしょうね・・

というわけで、「雛形があれば簡単につくれるのに」などといううっかりした一言を発してしまったために次なる課題がやってきてしまいました。
単なる気まぐれなんですよね・・
つまりは手抜き主婦の戯言というか、”この手間でこの味!”というのが主婦ポリシーというか、家事なんてものはやろうと思えば際限のない世界でどこかウェブの世界にも似ているわけです。どこかで手抜きすることを覚えないと一日中働いていないとダメになるし、手を抜こうと思えばそれこそ何もしなくてもかまわない。
が、しかし・・・
”Moon Tanka E-mailのRindoバージョン”をつくれという課題なんですけど、雛形のソースをうっかりフロントページに貼り付けてしまったら形が崩れてしまったり・・そのまま細かいところを書き換えて、そのままアップしたほうが簡単だということに気が付いたのは後になってからで、タグを手書きする習慣が欠如しているために、こういう時に困りますね・・
将来的には有料サーバを借りているのならCGIを使わないともったいないということで、そちらのほうも教えてくださるらしく、いくらヒマな主婦だからといって、過疎化した脳をどうやって活性化していこうかとそちらのほうが悩む。

まぁ、ネットなんてものは単なるコミュニケーション・ツールに過ぎないという観点から、少しは自分でサイトをつくろうという気分になっただけでもマシなのではないかと。
コミュニケーション系のサイトの管理人をしていると、当然BBSがコミュニケーション・ツールになるわけで、それこそ陰でこそこそ隠してあるBBSにまで来訪者があるというややこしさやフレンド・リンクのウザサにネを上げたのはそういうのを利用して誹謗・中傷などをふれ回る人や嫌がらせなどが後を絶たないからで、それがイヤならサイトを閉鎖したりネットをやめたりというのは何となく違うような・・・
だからといって、レスを書かないような板(コミュニケーションの欠如した板)をつくって管理人が「こんなことを書いてね〜」という内容指定・制限付きの板ではダメなんですよね・・逆に書こうと思ってもその趣旨から外れてしまっているかどうかを気にして書けなくなってしまうことが多い・・・というか、書かないよね・・めんどーだから。
投稿するには投稿するなりの目的というのがあるし・・

ポエム系の来訪者が自分のサイトに来てほしいと思って投稿する際、「詩を書いているから来てね〜」というコピペ投稿は意味がない。それよりズバリ詩を投稿しないと・・
管理人がレスを書かなくても何となく投稿してくださる人がいるのは、詩を通してのコミュニケーションがあるから・・つまりは、作品の”展示”を通して、人の出入りやコミュニケーションがとりやすいからなんでしょうね。
自分で詩を書いたり、イラストを描いたりしている人にしてみれば、展示板というのは大切なのかもしれないですね。

などとウダウダ考えているより、自分で短歌の雰囲気を味わっていただこうと、Tanka E-mailのニュー・バージョンをつくらねば・・
それを見ながら、何となく自然と短歌を口ずさんでしまいそうになるようなのをつくりたいんだけど、どーもね・・その下準備のためにイラストを眺めていたらさすがに何もする気になれなくて。
理由?
フフフ・・・
イラストの約80%が”ヌード”なんですよ〜!
さすがにこれを数時間に渡って眺めて画像を集めていたら疲れて疲れて・・
ろっき〜さんには、これが”癒し”になるって・・?
(あーあ・・ずっとつくってもらうだけのほうがいいな・・ナイショだけど)

 

 

自主流通ネタ

at 2002 11/25 03:23

素材などをお裾分けしていただいきながら、サイトもクリスマス風に飾らなければと年末が近いことを思い出しているうちに、不思議な気分に襲われている。
今更なんだけど、一体みなさまうちのサイトに何をしに来ていらっしゃるのか不思議で。
サイトも長く続けていると、それなりに常連さんがいるのはわかるんだけど、ログジャンプしないからガイアックスからの来訪者は意外と少ないし、BBSのカキコもレスをさぼっているせいかめっきり少ないし、短歌BBSなんて夏のヴァカンス以来すっかり放置したままになってしまっている。
短歌関係?
これも実はめっきり少ないかもしれない。
というのはすでに1年半以上にもなると、そんなにあくせくカキコしたり短歌を投稿したりしない。
自分の短歌をアップしてもらったりしても、時間があれば報せてくれるけど、それもなんか後回しになってしまっているような気がする。
或る意味、定着しちゃったからかもしれないな。
近頃めっきりサイトへの嫌がらせも無くなったし、新しい攻撃が出没してもそれがうちのサイトみたいな平凡なところにまで被害が落ちてくるようになるまではそれなりの時間と悪意が存在しなければならないだろうけど、いくらやっても時間の無駄なんだろうな・・
どこもかしこもこういう嫌がらせの根底は人間関係のトラブルだもの。
そこに便乗犯というか、愉快犯みたいな人が加わるから複雑になるだけで、実際、そーいうアホなことをするかどうかくらいは長くヤリトリしているうちにわかるのよね。
或る意味、固定して安心感・安全感のあるステイブルな関係がバーチャル上に存在しているから、匿名でありながら匿名とはまた違った人間関係というのはあるかもしれない。
ってことは、そういう中であれこれやっても無意味。
少なくても犯人にとっては無意味。
ここまで繋いでくるのが大変だった気がするけれど、それでも細々とサイトは続けられていたわけで、今でも同じ。

という中で、うちのサイトは閉鎖的か?
何となく仲のよい人だけが来訪するような、とか?
そんなこともないな・・
まったくログも残さない姉妹サイトに来訪者があること自体、不思議と言えなくもない。
コミュニケーションが目的なら、カキコがないと意味が無いでしょ?
でも、無いし・・・・
となると、なんで来訪者があるのか不思議。


☆今日のCNNは面白かったな。
雄牛の名前に「ベッカム」というのはわかるんだけど、雌牛の名前に「カミラ」というのはどうも納得がいかないな・・密かに何の関係もないのに「カミラ」王妃には反対しているあたしとしては、どうも納得がいかない。
かと思えば、選挙の得票が同数だったためにカードで決着をつけるとは!
そこまではいいんだけどね、日本だっててきとーにカードで決めれば選挙にお金が掛からなくなっていいなと思うくらいだし・・が、しかし、問題は両者ともジャックを引いて、結局、ダイヤとスペードだったらスペードの勝ちというのがどうも納得がいかないのよね。なんでだ?


☆☆休みの日には映画ネタ。
ハリウッドには飽きてしまって、映画といえば香港かフレンチだと思っていたら、このところ面白そうな映画が話題になるなぁ。香港映画は俳優さんが面白いのかもしれないな。日本映画にはないキャラという気がするし・・同じアジア人だからインパクトが違う。
フレンチの場合は、どこか理屈っぽい。ファッションと理屈の世界よね・・
ディオールの立ち襟がいいな・・などと思いながら眺めているだけでも退屈しないし。


☆☆☆近所の大学の農学部のコたちが野菜を売りにきた。
自分で作った野菜を自分で売る。自由でしょ?
就職難がネックになっているのかもしれないけど、いかにも都会育ちというひ弱な学生がめずらしい品種の野菜などをつくっている。クセのない野菜が多いと思ったけど、それも個性なのかもしれないな。生産者の個性まで見えるというのは面白い。
「実験台にされるぞ?」
などと悪いことをおっしゃる人もおりましたが、どーせいつかは死ぬんだからこころもからだもボロボロに?
何もしなくてもボロボロになるってことを忘れている人たちのなんと多いことよ・・

 

 

うずら卵

at 2002 11/23 14:57

おでんの中にうずら卵をささささ〜っと放り込んだときの天下を取った気分というのはうまく説明できないなぁ・・・
ゆで卵。
さて、あなたはゆで卵を上手につくれますか?
沸騰したお湯に放り込んでも割れてしまうし、醒めないうちに殻をむいてぐっちゃぐちゃにしたり、半熟にしようと思ったらゆですぎたり、黄身がちゃんと真ん中にないと言って怒る人もいたりなんかして、半熟でも温泉卵風にぐっちゃぐちゃなのが好きな人もいれば、ちょっとゆですぎたくらいで人生に絶望してしまうような人もいるかもしれない。
もしそういうタイプの人がいたら、自分で納得するまで卵をゆでさせてあげましょうね。
いくつ無駄にしてもいいではありませんか〜!
失敗したらタマゴサンドにしてしまいましょう!(「フライパンで焼いたほうが好きなの〜!」って言うと喧嘩になるので気をつけましょう・・)

これに対してうずら卵!
うずらのゆで卵を上手につくれるなんて、天才ではないかと思ってしまう!
そのせいかスーパーへ行くとちゃんとゆでたうずら卵が売っている!!
しかも小さいし邪魔にならないし味が沁みやすい。

という具合にね・・この手間でこの味!
手抜きの醍醐味というか、鬱々とマニアックにいろいろ考えすぎる人間の欝に巻き込まれたときには料理はすごくいいストレス発散になる気がする。
サイトにアップしても特に毒のつくりかたでなければ問題も発生しないだろうし、事実、世の中には鬱々した人間だけではなく、ゆで卵もつくれない人間が存在しているわけで、それを考えると世のため人のためという気がしてしまう。

トマト料理をつくるなら、”ミディアム・トマト”がいいよ〜!
っとかね・・
酸味のないタイプは加熱料理に使っても美味しくないから。
”桃太郎”(だったかな・・)だけがトマトではないのですよ〜!
日本のスーパーの定番のトマトを料理に使うと不味いのよね。
オーブンで焼いた時には思わずクレームが発生してしまいました。
せめてオムレツに入れるくらいにしておきましょう。

まぁ、食糧が不足すれば雑草でもねずみでもカエルでも食べてしまうのが人間なのかもしれないですが、草団子の材料である蓬は立派な雑草なんですよね・・
その証拠にうちの庭でも増殖しているものの食用にはならん。月桂樹の葉っぱですら虫食いだらけでどーにもならんし、どーして瓶詰めのローリエの葉っぱに穴が開いていないのか不思議で不思議で・・・(乾燥地帯なら虫食いは少ないという話も聞いたのですが・・)
薔薇でもチューリップでも農薬を使っていないからアブラムシだらけだし・・
たまに寄生虫と農薬とどっちが怖いか考えたりして。

----料理のコーナーは人気があるよね、写真なんかを入れてさ

----( ̄□ ̄;)!!・・・・・・・・・・・(写真→デジカメ)・・・・・・・・・・

サイトにアップするために料理つくってるわけじゃないからな・・
食べる前に記念撮影?
ぐわっ!(大量のブーイングが発生してしまいそうな・・)

サイトでも天下を取ってみたいのよね・・

 

 

それでもマイペース

at 2002 11/23 00:16

あーやだ、欝が移りそうだ。
ウイルスがイヤならIEやアウトルックを使うな、無料サーバを使っているんだから諦めろ、スパムも日常的な出来事、人間関係的パラノイア事件は当たり前・・・その他諸々あらゆる嫌がらせもこれだけ頻発しているとどうにもこうにも・・・
せいぜいグチを発散させるくらいのことしか出来ないような不毛な気分に陥る。
悪いヤツはどこにでもいるし、サルはなんでも真似をするし、オコチャマに説教してもこっちが荒らしと呼ばれるのが関の山だし、いつまでもどこまでもつまらんいざこざやいたちごっこが続いていく。

たしかにまともな記事よりヌードグラビアを掲載したほうが売り上げが伸びそうだし、噺家が何と言おうとシモネタのほうが笑いをとりやすい。それが大衆文化というヤツだから仕方がないよね。

が、しかし・・・
毎日同じようなニュースを眺めているうちに、それがニュースでもなんでもなく単なる日常に過ぎないような錯覚に陥ってしまう。数年前なら警察が荒らしの犯人を検挙してくれていた時代もあったらしいし・・・(夢のような話)

↑こういうことをね、真面目に考えてはあかんのよ。発狂してしまうから。
こういうのをどうにかしようとか生真面目に考えると、世の中すべてを自分独りで支えなければならないというブルーな気分に陥ってしまいやすい。真面目であればあるほど欝になる。
無力な自分に喘ぎ、絶望感に叩きのめされるせいかもしれないけど。

笑えないのよね・・
なんか笑えない。
つまらん記事を眺めていて、不意に嫌悪感が発生してしまう。
ってことは、まずいな。

手抜き料理のレシピのコーナーでもつくったほうがいいかもしれん。
花より団子か?
そーなっちゃおしめえよ!
ってか?

 

 

心理的過疎地帯

at 2002 11/22 12:46

退廃の匂ひ虚しくたちこめて愛は無かりし愛は証か

というわけではないのだけれど、結婚は遺伝子を遺しやすくするための戦略だと語れば、次には精神の大切さを問われ、そのくせ愛こそすべてなどと語れば世間知らずと言われるのはどうしてなんだろう?
駆け落ちしてとか親の反対を押し切ってとか、そういう人たちはせっせと精神性を強調するわけ。するとね、大抵あたしみたいな人間は批判の対象になってしまうらしい。それに対しては夥しいほど反論したいことがあっても、結局は、形とか証なんだろうね。他人に見える形が必要になってしまうらしい。
自由恋愛ということで結婚を求めない関係もあるし、古くは契約結婚というわけのわからんものまで流行した時代もあったわけだし、自分をアイデンティファイするものとして主婦でも仕事を持つ人が増えたし、それでいてそれが不思議で不思議でたまらないという友達も多いし、とことん自分という人間が中途半端に育ってしまったのは親の責任ではないかと責任転嫁をしてみるものの、逆に考えれば自分が中途半端に思えるのは単に社会や時代の風潮に流されて他人と比較した結果なのかもしれないとますます混乱してしまう。
(その点、何も考えていないって素晴らしいと思うのです・・こころの底から・・)

アグレッシブか・・・

そんなこともないのだけれど、そうやって受け止められてしまいやすいというのはわかるなぁ・・
何も考えずにぼーっと生きていけたらそれが一番だと思う。
ところがだ・・現実は違うな。
精神がいびつになるまで放置しておく。
臭いものに蓋をしながら何かを我慢し、日常に埋没しているうちに、仮面の下の人格が静かに破綻していってしまう。
そうなる前に・・
って言うのは簡単なんだけど、そういう簡単なことがどうして出来ないのかが不思議で。

「ネットは怖いね」って言われることが多い。
匿名性のキラクさから本音が飛び交うかららしい。(溜め息・・)
慣れてしまえば、特に誰が何を語らなくても何かが見えることに気が付く。
ちょっと考えればわかることなんだけど、何かを考える習慣が無いのかもしれないし、語る習慣が無いのかもしれないし、世の中の多くの人たちは自分なんかよりも遥かに繊細な気がすることが多い。
ちょっとしたことに大袈裟に驚いたり騒いだり・・

古今東西、人間なんて同じことをしてきたわけで、何をどうやって驚いたらいいのか困ることがある。
「そんなヤツの話を聞くと自分のこれまでの人生観が狂ってしまうよ」か。
ネジが狂ったまま意固地に生き続ける。

意固地の裏側なんて知りたくないでしょ?

自分がアグレッシブというわけではないと思うのよ・・
意固地に自己正当化に必死ってことは、自分の人生観や価値観を守りたいからであり、特にそれを批判したり非難しなくても、まったく逆の価値観を提示するだけで反感を持たれやすいだけなのよね。

それよりも、あたしにしてみれば、「わからない」ということのほうが怖いな。
誰かの本音がわからないってことが怖い。
そこに心理的過疎の原点があるのかもしれない。

 

 

無関係空間

at 2002 11/21 05:13

人間というのは不思議な生き物なのかもしれないな。
ニューヨークのキャリア・・・仕事を辞めたくないよね・・・ほんで、恋愛や結婚を諦める。で、鬱病か・・・・
仕事辞めたらね・・欝も治る可能性が高い。
すっきりしちゃうし。
ところが辞められないから鬱々鬱々悩むわけだ・・・

猫の広場の話は面白いけど。
メスが母猫の周りにいるのはエサのためだし、オスがいるのはエサではなくて、母猫の傍にメス猫が集まってきているから何となくウロチョロしているらしい。
すでに目的が違うのね・・・
動物は正直だと思ってしまう。

妻の座を争う女は多いけど、夫の座を争う男はいない?
そーやって語られてしまうとすべてがそこに集約されている気がする。
お見合いで1度くらいしか会ったことがないのに結婚を決める人が存在するのも不思議だけど、そーやって結婚しても何となく幸せに暮らしている人が多いという不思議さよ・・・
自慢じゃないけど、逢ったその日にプロポーズされたことがあるのだよ・・あたしは若い頃。
冗談かと思ったら冗談でなかったところが怖いよね。
レンタカーを借りるのを手伝ってもらった時に何気なくパスポートを見られてたんだろうな・・
まさか、実家にまで電話が掛かってくるなんて想像もしてないから、親父をバカにしてはいけないとつくづくしみじみ反省してしまいましたね〜!
働いたことがないから、そういう社会のノリにはついていけないのよね。
OLしてた友達の言ってた意味がようやくわかるように・・(なんかのんきでとんちんかんなんだろうな・・あたしは)

----いや、会社にいるとね、結婚が先で恋愛が後になるから・・

----?

今なら何となくわかるかな・・
要するに、子どもを自分で産めないから結婚するわけだ。
だったら遺伝子がすべてだもんね・・
ゴードンの話ではないけれど、遺伝子なのね・・
望ましい遺伝子を求めて結婚するという社会の風潮があるから、風俗とか不倫ということになるのね・・
オスならエサのために結婚する必要性はめったにないからな・・
だから、風俗みたいなのが無くならないのかも。

人間のメスは複雑だな。
今の時代は自分でエサを得ようと思えば得られるし、特にキャリア組だったら尚更よね。
エサのために結婚する必要性はないし・・
どんどん子どもを他人に預けて働こうと思えば働ける。
でも、実情は違うな。
ダンナに経済力が無ければ別なんだろうけど、どっちかというと女性は結婚差別があるからわざと結婚しない人がいるくらい鬱々しているよね。
それに子どもが生まれると仕事を辞める人が多いのも事実だし・・
しかも再就職が難しい仕事も多いし・・

少子化か・・・・
当たり前だよね。
メスが自分でエサを得られるようになったら母猫の傍にはいないのだよ。
オスが自分で出産できるようになるってことに近いな。

自然淘汰なのかもしれないな。
メスがエサを自分で得られるということと少子化ってことが妙に因果関係があるってことは・・
自分がどうして生まれてきたのかわからない、生きているという実感がない、愛に飢えたる者・・か。
要するに、自分を残すってことは生きた証を残したいだけなのかもしれない?

平凡なのがいいな・・
ややこしいことは何も考えず、愛だの恋だの騒いで、ウキウキして、子どもを育てながらワイドショーを好奇心ランランの眸で眺めて・・
亭主を蹴っ飛ばしてエサを運ばせて、へそくりで化粧品を買ったり、ネットをやったり。
うんざりするような中に生物の生き残り戦術が隠されているのかもしれないなあ。

コンピュータが人間になれないのは仕方が無い。
子孫を残さないし、死を認識しながら生きているわけでもないから・・単純作業や純粋思考作業ならコンピュータのほうがいいかも。
ほんでも機械の世界に愛だの恋だのを持ち込むのも女だよね。
近頃、ちったーウェブの技術を学んで自分でコンテンツをつくってみようと思っているから、そういううまく説明できないほどの矛盾で躓いてしまっている。
素直にねー、何も考えないで恋の短歌を詠んだり、イラストをアップしたり、音楽を選んだり、タグだって要するに技術じゃないのよね・・
「こーいうのをつくってみた〜い♪ d(⌒o⌒)b♪」としか思ってない。
そーいうのがいいな・・・・
じゃないと自分がいつまでもどこまでも屈折していってしまいそうになるから。
でもさ、いくらなんでも人身売買というのはね・・
女は売られるわけだ。
男が自分で子どもを産むようになれば、風俗や売春は無くなるわね。


★ 関係ないけど、光ファイバーのドレスより、光ファイバーのジージャンか革ジャンがいいですね〜!(20万円くらいで売り出されないかな・・日本でも)
その日の気分でデザインを変えるの〜♪

 

 

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