Rin's Diary
August, 2002
(No.3)

 

わからん・・・・

at 2002 08/31 17:52

サルのことはたしかにサルに訊いたほうが早いかもしれない。
サルの森か・・・
ホテルの中を野生のサルが歩いている。
たまにベランダに干してあるゲストの洗濯物を盗んで行く程度で、特に彼らを追い出そうという意識はない。
逆に、サルの写真を撮影しようとしたりして、サルのほうはカメラを嫌ってそそくさと逃げたり・・・

崖の中腹にあるオーシャン・カフェでサルと目が合う。
屋根の上などに座っている分にはいいんだけど、こちらへやってきて、ずっとテーブルの上を見ている。
至近距離で、すでに柵の上に座っているんだもの。
来る・・という予感がする。
やっぱり来た。
悲鳴を上げたら逃げた。
ボーイさんが、「シッシッ」と柵の外へ追い払う。
止せばいいのに、隣のテーブルに座っていた人が、サルを写そうとしてビーチまでの階段を下りて追いかける。
すでにサルはバーの屋根の上だったりして・・・

ビーチはあかんのよ。
サルより怖い「ミチュアミ」おばさんが居る。
1日中ビーチに昼寝して、誰かが下りてくるのを待っている。
男の人ならいいんだけどね・・・
女性は下りたと思ったら、あっという間に戻ってくるのはそれが原因。
プライベート・ビーチでもないし、流れが速くて近くに川があるために渦巻きまであるらしく、遊泳禁止。
普通だったらビーチ・チェアーなどが置いてあってもいいんじゃないかと思うんだけど、うっかり寝てるとず〜っとミチュアミおばさんがすごい剣幕でやってくるので、どーやって逃げようかと思ってしまうくらい大変なのよね・・・
いいんだけどね。
プライベート・ビーチじゃないみたいだし・・・

ホテルが後なんだから・・・・

それにしてもだ・・・
他にもゲストが居るのに、どーしてあたしなんだ?
隣のテーブルのほうが豪勢な食事をしているぞ?
何となく空いてる席へ座りたくなったのだろうか?
隣のテーブルのほうが空席が多いだろうに。
それに、空のテーブルなら他にもいくつもある。

目が合ったからかもしれないな・・・

 

 

「人間的だなー」その2

at 2002 08/31 17:18

バリ島へ行ってきました。
なかなか素朴な島で、ホテルの中を野生のサルがのんびり歩いてますからね・・・たしかにサルの森が先で、ホテルは後なんだなぁ・・・などとぼーっとしています。
街を歩いていても、レストランでも、クルマの中でもお供えがあるから踏まないように気をつけないとダメだし、それでいてどことなく「人間的だなー」という感じで、あらゆる物の価格も”時価”だし、金のある人は高く買い、金のない人でもヘンな話乞食をしている人でも正装してこざっぱりしているという不可思議な世界でもあります。
お祭りかと思ったら、お葬式だったり・・・
ガムランやダンスは寺院。
子どもの頃から親から習う。
まだ宗教というものが宗教ではなかった遥か彼方の大昔、誰かが「十戒」を落としていったとしたら、あんな感じだったんだろうなぁ・・などとぼっけーっとしながら考えています。

「聖なるもの」が聖なるものとしてスカッと存在しているからかもしれないですね。
神聖な領域が存在し、魔物の棲家が存在する。
人間はそのどちらの領域にもみだりに近寄らない。
癒されてきました。


(「独り言という名の対話」より)

 

 

生きるのも才能か・・・・・

at 2002 08/30 22:44

今にして考えると、あたしは単なるワガママなんですよね。
こーね・・・社会というところを知っていると、とりあえずニーズのようなものを考えるでしょ?
ところがそういうところがまるっきり欠如しているんです。
「空がどうして青いのかを知りたかった」
というのは80%くらいは本音なんですよ。
残りの20%は惰性というか、成り行きというか、「でもしか」院生だったのかもしれないし、何か考えてるよーで実は何も考えてないという・・・

できればこーいうおバカなことをずっと続けられて食べていけたら幸せだったのかもしれないけど、その反動で30代はやたらと苦労したのかもしれないです。
人並みに家庭を維持して子どもを育てているうちに、ピントハズレなところもかなり軌道修正されたのではないかと自惚れてるし、ぼっけーっとした母親でも娘は100%お母さんに似ていると信じてるし(信奉者がいるってつおい・・(笑))、今は99%が家庭人なんだけど、残りの1%で歌人をしたり研究者ぶってるのかもしれないです。
きっとね、研究やって食べていきたいというより、研究者ぶるのが好きなだけだったのかもしれないし、そーいう部分が自分自身のとんちんかんなところをカモフラージュしてくれていたからラクだったのかな。
鬱々してるから歌人になってしまうという環境順応性の高さというか・・・
母がね・・あたしは生き方上手だと言っていたから。

なんかね・・・夢見る夢子というか、よくこんなことでは生きていけないとか食べていけないとかって言われたけど、気が付けばそういうヘンなところを大学院の学生証がカモフラージュしていてくれてたのかもしれないし、学生ならプラプラしていても誰も非難しないし・・・
主婦はね、引きこもりとは言われないわけで、かったるい人間関係をしたくないならとても便利な肩書きなんですよ。(←家庭優先の模範的な主婦)
ちょっとくらいはみ出ていても、学生が長かったから・・ってことで大抵は通ってしまうのね・・世の中ってところは。
ぼっけーっとしていても、それで世の中を渡っていられるところが不思議なんだけど、まるで化石のように自分を温存させることが上手なのかもしれないな。
なかなか適応上手な生き方だと思う。
いろんなことを考えると、そこだけだな・・・鬱々したアートな人たちは多いけど、よーするに仕事とかさ・・社会とかさ・・そーいう意味で何かに押し潰されてしまっているだけのような気がすることもあるよ?
だから切符のように、世間に認められようともがくだけなのかな。
わからん。

誰にも何にも言わせない・・ってことではすごいパワーと順応力があるかもしれないです。


(「独り言という名の対話」より)

 

 

出発前にヒッピーの話をしていたからだろーか?

at 2002 08/30 23:16

今回のバリ島の印象は、・・・・「どーしてインドネシア・ルピーがあんなに強気で安定してるんだ?」という素朴な物価高に対する疑問が大きかった。
というのは、前回行った時にはちょうど東ティモールの独立で荒れていた時期であり、滞在しているうちにどんどんルピーが値下がりしていた印象が単に強かっただけなのかもしれないと反省しているけど。
しかも円が安いために、ホテル料金でも個人で予約しようと思ったら3年前の2倍以上、ジンバラン・カフェ(いわば”海の家”だろー!あれは・・)だって2倍以上の価格。
あれではホテルで食べたほうが安い気がしたくらいいい加減な国なのよね・・・
そこの国で、すでに何かを諦め、疲れて果て、今回は値切ることも放棄し、ひたすらぼっけーっとしていただけなのに、それはそれでまるで60年代ヒッピーのような有様だったかもしれないし、今回はどこへ行ってもあたしだけパスポート・チェックに引っかかってしまうという情けなさだ。
(なんで?)
なんかね・・・・日本人に見えないらしいのだわ。
そういう傾向は今にして始まったことではないのだけれど、今回はどこへ行っても買い物してもジャカルタ空港(経由地だからちょっと降りただけだろー!)で飛行機へ戻ろうとした機内の入り口でさえ、どーいうわけかパスポートの提示を求められてしまう・・・
(なんかヤバイ人に思われたとか?)
う〜ん・・・・・・わからん。

もしかすると、真っ黒に日焼けしてしまったからかもしれない・・・
あたしの年でこんなに日焼けしてもいいのか?
どーしよ・・・・・・・鼻の頭が黒い。
こーなるとシミになるだろーか?
(あーーーーー、どーーーーーーーーーっしよ?)
なんかそそくさと仕度して、何かを忘れたと思ったらサングラスを忘れたために成田空港で新しいヤツを買い、とうぜんプールで泳いでいる時もそれをしていたから・・パンダというか、アライグマのようになってしまった目元は仕方がないだろう・・・
が、しかし、ほっぺから鼻の頭のラインの焼け方は異常だ!

ルピーは強気だし円は安いし、結局、成田空港が一番安かった気がするな・・・
出国手続きしたら、せっせと成田で買い物をして、インドネシアでは買い物をしないくらいがちょうどよかった気もするけど、ガムラン(正確には一部のバリの音楽のことらしいけど・・)のCDをデンパサール空港であちらの言い値で買ってしまったのは大失敗だったかもしれないと思う。
(空港でも値切るくらいじゃないとあかんよ・・あっこは)
ってことは、これじゃ売れないね・・・
仕入れ値が高いもん。
もっと安いCDもあったけど、人気のないタイプじゃ買っても意味がないし、なんか足元を見られていた気もするし、それでいてわざわざタクシーを使ってまで買出しに行く気力も無かったし・・・
ほんで、ガムランを聴いたら支払いを思い出してしまいそうなので、結局、エンヤを聴いている情けないあたし・・・
日本で買うよりは安かったと思って諦めるか・・・

バティックに馴染んでしまうと、あかん。
今回はその格好で帰国するのはやめた。
が、しかし、あまり変わらなかったな・・・
家族と一緒じゃなかったら、なんかね・・・
きっとバリ島へ住み着いてしまったヒッピーたちのような雰囲気を醸し出してしまっていたかもしれない・・・
バリ・フリークというのとも違うな・・・
でも、そんな雰囲気があったとしても仕方がないよね・・・
バティック巻いてTシャツを着て、真っ黒に日焼けして、髪の毛まで真っ黒で(こんな時代なのに・・)、片言のインドネシア語と巻き舌を混ぜた英語と・・・
すでに自分の国籍を忘れた危ないヤツにも似ているかもしれない・・・
あの国というか、あの島へ行くと、なんかあたしはヘンなんだな・・・
どことなく馴染んでしまって、たしかにあんまり日本語も話さなくなるかもしれない。

なんか、悔しいからプールサイドのヒマツブシに短歌を詠んできたから、後でそれをアップするか・・・

 

 

受肉

at 2002 08/25 05:10

受肉という表現はすごいですね・・・
どうして彼がイエスであり、キリストであることがわかったのでしょう?
考えてみれば不思議な話なのかもしれないです。

また理屈で語ってしまうところが情けないんですけど、異常であるということと狂気とは違うんですよね・・・
「神さまがいる」と信じていることは今の時代はマイノリティであるような気がすることがあるんですけど、それでは信じている人たちは異常か?
もしかすると異常なのかもしれないけれど、少なくても信じているだけでは狂気ではないです。
(いきなりなんでこういう話題になるんでしょう・・)

あまりにもよくある質問なんですけど、「モーゼはシゾ、つまり統合失調症(精神分裂病)ではないか?」という質問に対して、それこそ何かを証明することは不可能。「フランチェスコは狂ったのか?」−−−そうやって言われてしまうと行動だけを観察していただけでは、どこが違うのかわからないけれど、何かどこかが違っている。
つまり、異常な行動をするだけでは狂気ではないからなのかもしれないです。
ところが、狂気を判断する基準が行動であるために酷く混乱してしまう。
困りました。
でも、実は自分自身としては少しも困っているわけではなく、それを説明するのが困難だから、「さて、どうしよう・・」ということになってしまう。

逆に鬱病の患者さんなどは極めて素朴な一面がありますから、素直です。
バランス感覚なのだそうです。

善と悪とが素朴に存在しているからこそ、その偏りが発生してしまうけれども、その偏りを求めてこころのバランスの移動をしなければならない。それが人間なのかもしれないですね。
善きものに対してのベクトルが働けば、それは絶対的に善なるものなのかもしれないです。
こういうこころの働きに敏感な人とそうではない人がいるだけの話なのかもしれないです。

「信じている」ということと「信じようとしている」ということが微妙に違うのだということがわかりました。
今までそういうことを考えたことはなかったんですけど、もしかするとそれもまたこころのベクトルの問題なのかもしれないですね。
わざわざ信じているのに、それに対して懐疑的であるということは逆に不自然なのかもしれません。
だから、宝物であり恩寵であり、精霊なのかもしれないですね・・・
困りました。

語るほどに遠くなるなら沈黙もよし。
沈黙しているだけでは何も変わらない。
飛ぶ勇気無かりし吾は・・・ということなんですよね。
善へのベクトル・・・・その反発の大きさを知る私としては、偽悪度という因子がやたらと高くなってしまう。

ふわふわと飛んでいるだけがちょうどいい気がします。


(「独り言という名の対話」より)

 

 

BBSへのカキコありがとうございます

at 2002 08/25 03:59

今回の旅行はわりに短いし、うまく説明できないんだけど、どこか惰性の旅に近い。
以前こういう気分の時、いきなり航空会社がストして飛べなかったこともあるけれど、今回はそういうこともなさそうだし、そそくさと行ってそそくさと戻ってくるだけのような気がする。

いろんな不幸に遭遇しているせいか、こういう旅になってしまったのかもしれないと思うのだけど、実は方位が悪い。
以前だったら絶対に飛ばなかったかもしれないな・・・
だけど、何となく飛ぶことになってしまった。
いきなりキャンセルしようとかとも思ったけど、なんと言うか・・・あまりにも不幸の海を泳いでいるために、これもまた運命ではないかと思うようになった。

普通の人たちにとっての不幸が濃縮されたような生活か・・・
誰かの死とか、不幸な出来事とか、悲しみの世界・・・
もしかすると、自分がこれから先進まなければならないのはそういう世界なのかもしれない。
そういえば嘘か本当か知らないけど、普通の人にとっての凶方位というのが警察官や僧侶などにとっては吉方位という話を聞いたことがある。
つまりは犯罪とか誰かの死とかそういう災いは大抵は不幸を意味するし、人生最大の凶というのは死を意味するから、凶。
生きることが吉で、死ぬことが凶。
当たり前なんだけど、もしかすると当たり前ではないのかもしれないと近頃考えるようになるくらい鬱々した世界に入り込んでしまったのかもしれないし、それはイヤだな〜っと思うんだけど、まぁ、人生を半分以上消耗してしまっているために、それはそれでかまわないのかもしれないと開き直ったりしている。

精神世界か・・・・
案外、知らないのね・・・・・
ということをネットを始めてから初めて気が付いた。

じわじわと腐っていくのはイヤだけど、なんというかね・・・すでに過去は過去として語れるようになったのかもしれない。
ネットを始めてから突然過去の亡霊が出没し始める。
すっかり忘れていた過去だ。
別に不幸な記憶というわけではないけれど、結婚してごく普通の主婦という生活に慣れてしまっていたので、過去の自分を忘れてしまっていた。
そして燃えカスと言われながらも(誰に?)、何となくそれが蘇生の一歩になっているのも事実なのかもしれない。

不遜・傲慢、ワガママ、欝・・・・
自分勝手。
なんでそれが許されるのか不思議だったけど、何となく許されていた気がする。
それを許してくれる人と一緒に遊んでいたからだろうか?
そーかも。

今はどーなのかな・・・
案外、平凡に母親をしながら生きている(つもりだ)から、過去の亡霊は単なる亡霊に過ぎないわけであって、それでいて、どーなんだろう・・・何かどこかが過去と連動しながら動き始めているのを感じている。
やだな・・・・
本気で考えたら、今の自分のほうが遥かにラクだから。
いつまでも親の仕送りで学生やってた女か・・・
あー、やだやだ。
主婦は偉い!
ほんとに主婦は偉いと思ってしまう。
まともだ!
他人に何かを説明する必要性もないし・・・

あたし、昔、バカだったな。
小説を書こうと思ったことがある。
でね、その時に思ったんだけど、一般社会というものを知らないから、あたしには書けないって素直に思ったわけ。
一般社会の住民なんだけど、何かどこかが違っていたのかもしれないし、そこのところを説明することを禁じられていた気がするのよ。
つまり、かったるいから。
でも、生まれて生きているし生きてきたわけで、誰かが知らない何かを知っているからこれだけ嫌がらせされたりしてたのか?
アホらしくて・・・・

そろそろ臆病風とはお別れしたい。
何を怯えていたのだろう・・・

好奇心というヤツに怯えていたのかもしれないな・・・
でも、それもすでに過去の話だ。
”異常”ねぇ・・・・・
笑ってしまう。
ネットの世界では、たしかに何かを実証することができないからプシコが徘徊しているわけだ。
で、彼らにとってはあたしは”お仲間”に思われたらしい。
なるほど。
でもね・・・嘘ではないから、”異常”なのかもしれないね。
自分にとっての当たり前が他人にとっては当たり前ではないという理由だけで、当たり前を共有してくれる人たちとだけ打ち解けるというか?

いっそのこと自分の世界に埋没してしまってもいいのね。
異常ということは狂気ということとは違う。
生きている物差しが少しだけ違っていたというだけのことなのかもしれないな・・・
”職人”の世界に埋没してもいいのかもしれない。
それ以外はごく普通・・・・だから。
そのことを不意に思い出した。
平凡な家庭と”職人”の両立か・・・
男の人なら誰でもやってるじゃない?
ソクラテスの妻か・・・・・
妻がソクラテスだったらどーするんだろー?
って以前考えたことがあったな。

これだけ書いたら、飛行機の中で眠れるかもしれない・・・

っとここまで意味不明なことを羅列したら逆に眠くなってきてしまった。
まとめ更新もしたし・・・・
レスは帰国してからの〜んびり書きますね〜(^_-)-☆

 

 

永遠

at 2002 08/24 20:40

いつくしみかおりてひらく菜の花の春の匂ひの懐かしきかな


夏模様 雲の遮る青空よ 影の過ぎるは風のゆくえか


りんりんと鳴くはこおろぎ呼ばれては元気元気と嘘でも語る


迷いつつ今日も今日とて考える
気分はマクベス
元気か勇気か・・・


モーゼすらシゾではないかと問われては
すべてを神にゆだねるしかなし


陽が落ちてそのまた向こうの水平線
陽はまた落ちるいつまでも燃え


水平線
別れを告げる夕陽さえ
日の出と呼ぶか異国の友よ

 

 

地球の裏側

at 2002 08/24 18:00

太陽が西に沈むことを喜ばねばならないとは・・・

この意味、わかります?

太陽は沈む。
でも無くならない。
あるだけ。

水平線があって、太陽が西に沈むことを喜ばねばならないとは・・・


(「独り言という名の対話」より)

 

 

ナルシスト

at 2002 08/24 14:45

すでに健常者の理解を超えて、それが狂気であるということを説明するというのは自分のサイトの趣旨から大きく外れた行為だ。
荒らしの墓場か・・・・
みんな生温いよね。
健常者のレベルであれば、大したこともないから・・・そんなものなのかもしれない。

誰でも悲しい出来事に遭遇すれば泣きたくなるでしょ?
愛する人が死んだり、激しい自己嫌悪に陥ったり、自分などこの世からいなくなってしまえばいいのに・・などと考えてみたり・・・
大抵の人は、誰もいないところで泣く。
ところが、突然バスの中や電車の中で泣き出してしまう・・・
こころの中が孤独でいっぱいになって泣き出してしまう。
ヘンだ。
悲しくて泣き出すことはヘンではない。
だけど、見知らぬ人に囲まれていたりすると、そこはすでに誰もいない世界となってしまったりする。
それだけ。
家でも学校でも、或いは友達といっしょにいたりすると泣かない。
なのにバスや電車の中で泣き出してしまう。
これをパニック障害と呼んだりすることもある。
だから鬱病やノイローゼと診断されたりする。
だから、特に医者へ行ったり、カウンセリングを受けたりしなくても5,6年で自然治癒してしまうことが多い。
ただ、その間、周囲の人たちからすればどうしてよいのかわからないとか、これが職場などでも発生してしまったりすると仕事が続けられなくなる。
だから、慌てて精神科を受診する人が多いだけ。
中には、医者へは行かず、それこそ宗教とかパソコンとかゲームとか、家の中にひきこもったり・・・というだけの人もいるし、通院しながら経過観察しているだけの人も多いだろう。

そのうちリスカをするようになってみたり・・・
それだけのことだ。
それだけのことだから、癌を告知されたり、いろんな悲しい出来事があったりすると、感受性の問題なのかな・・・そういうことに強い人もいるし、弱い人もいるというだけのことなのかもしれない。

イジメとかね・・・
そういうことがあったりすると、誰にも言えなかったり、自分を責めたりする。
しかもね・・・そうやって鬱々した人間を励ましたりする。
アホでしょ。
おまえがもっとしっかりしろとか、虐められる側にも責任があるとかね・・・これでは誰でも落ち込んで死んでしまいたくなるかもしれない。
励ましてはダメなのだ。
ますます欝になる。
そして人間不信に陥ったり・・・
そして、誰も自分を解ってくれないと思うらしい。

いいのよ。
あっちがヘンなのよ・・・
で、いいのよ。
虐められたら虐める人間が悪いのだし、それを励ましてみたり叱咤したり・・・という無神経な人間にも罪がある。
だから、そういう時は自分を責めてはダメだ。
自分には何の責任もないのだから。

そんなことを言うと、2チャンネルの住人にボコボコにされちゃうよ・・か。
そんなことを言うと、イカレタ連中に虐められるよ・・・とか?
う〜ん・・・・・
40年近く生きてきて、たしかにそういう怖ろしい目には何度も遭遇してきたかもしれないけど、なんか・・・何も困ったことがないという・・・・
どうしてだろう・・・・
自分が潰れているうちに何かが変化していたこともあるし、どんなに鬱々していてもへいちゃらなんだろうな・・・
なんか逆に癒しすら感じたりして。

何を言われてもあちらがヘンなのよ・・・ということを実証してしまうからなのかもしれないな。
あっちがヘン。
ウフフ・・・・
誰でも悲しい時には素直に泣けばいいのよ・・・
それが普通。

共鳴・共感か・・・・
それが癒しとなって、鬱々した人たちが急に元気を取り戻したりする。
なんかうれしい。

ナルシストでよかった。

 

 

何をさらしているのだろう・・・

at 2002 08/23 02:38

サルの世界ではね・・・「さらしもの」にするわけ?
つまりは犯人を捕まえたり、IPアドレスをつきとめたり?
あたしの世界では違うな。
さらすのはこころだ。
犯人像をつきとめて、鑑別する。
行動がすべてだから、特に話す必要性もない。

Aという行動があり、それをほかのデータと比較したり、本人に動機を確認しなくても、一般的なデータから類推され弁別され、鑑別される。
分析などというやさしい世界ではない。
犯罪である以上、犯人が何かを弁解することは逮捕でもされないかぎりありえないだろう。
仮にあたしの書いていることにいちゃもんをつけたくても、最早それは不可能であり、単なるデータとして処理されるだけ。

「さらしもの」か。
行動がさらされるだけの話であって、あたしがしているわけではない。
犯人を特定しているわけでもない。
もしかするとまったく知らない人なのかもしれないし・・・

だからね・・・昔から、うちのサイト、まったく無関係な人が突然怒ったりすることがある。
なんでこの人が怒るのだろう?ということが、こちらにはまったくわからない。
ところが怒っている。
つまり自分のことを書かれたと思ってしまうらしい。

旅行前だから、さっさと殺虫剤でもまいておこうと思ったら、あまりの毒に他の人に危害が広がる恐れがあるな・・・
いやはやなんとも。
つまり、子どもに対して、「甘えるな!」と思って怒る親なんていくらでもいるでしょ?
ってことなんだろうな・・・
虐待があまりにも理解できてしまうということは、逆に恐怖へと繋がる可能性すらある。

上位概念から狂気、宇宙の果てまで飛んでしまうと、異常というものに対するキャパが異常に広くなるのが特徴なのかもしれないな。
「神さまがいる」と思っている人は異常か?
ほんじゃ、神父さんは異常なんだろうか?
或る意味異常かもしれないけど、少なくても狂気ではないから・・・
つまり、異常であるということが狂気というわけではない。
子どもを叱る親がすべて境界例というわけでもない。
が、しかし・・・・どこが違うの?
母集団の問題なんだろうか?

いずれにせよ、あたしは書くだけだ・・・

 

 

女のつもりか?

at 2002 08/22 18:29

クラッキングと同時にリロードが発生したから、クラッキングが男性でリロードが女性という単純な図式を連想したけど、別々に考えてみるとね、女性のクライアントさんに尋ねたら、「(リロードは)疲れるからやらない」というレス。
つまり単純に考えて、10分以上リロードをしているわけで、ヘンだ。
一見女性の犯行のような気がするけど、女性の場合、やらないと答えるほうが多い。
ってことは、リロードをしているのも男の可能性が高い。
女に見せかけた男の犯行か?
「女だったらこーするだろう」という推測の下に行動しているだけなのかもしれない。
これが女の犯行だったら、かなりヤバイ。
男みたいな女というのもいるけど、どっちかというと女としての基本的行動からは逸脱してるな。
言われてみるとそーかもしれない。

怒って鬱々とリロードを繰り返す?
怒って皿を投げつける?

つまりは、「誰に?」ってことなのよね・・・
カップルでいる人たちがこんなに無差別に嫌がらせをするだろうか?
普通はしない。
怒って皿を投げる時、女は無差別に投げない。
本能のように経済を考えたりする。
同じパラノイアでも、かなりヘンだな。
いずれにせよ、女だとしても女の悪いところを凝縮したみたいなサンプルだな。

女のフリをするなよ。

 

 

ダメだ・・・・

at 2002 08/22 16:54

みなさん、ごめんなさい。
自分で自分の近頃の日記を読み返しながら、だんだん気持ち悪くなってきた。

短歌日記もアップしてるから、気分が悪くなったら短歌へ飛んでくださいね・・・


パタッ(←倒れた・・)

 

 

男の世界は厳しい?

at 2002 08/22 16:07

たしかに自分という人間は或る意味において異常だと思う。
つまりクラッキングが発生したとしても、リロード・パラノイアがやってきたとしても、どこか冷たいんだな・・・
とりあえず記録だけはしておこうとか、リロードなんていうのは実は頼んでもやってもらえないわけで、例えばこの人がどの程度パラノイアが進行しているかとか、精神状態が悪いとか、いわばバロメーターみたいなものでありまして、そこを測って記録しようとしてしまう。
例えばね、実験するとするよね。
健常者にやってもらう。
それを精神障害のある人たちにやってもらう。
これを比較したりすることもあるわけで、いわばラインの設定に役立つこともあるかもしれない。
これがね、頼むとするでしょ?病院なんかで、患者さんに・・・
それで、リロードをやってもらったとしても続かない気がするのよね・・・
極めて単調な作業だし、健常者でも続かない。
つまり、やってしまうには相当の精神的負荷が発生しているわけで、そういう作業をするには相応のヤバさがあるわけで、このヤバさも実は常にヤバイというわけではなくて、あるメンタリティが発生してしまうとやってしまうとかね・・・
だから、パターンがあって、断続的に繰り返されていたという事実は案外興味深い。
少なくても能動的な行動だ。
やろうと思わなければ出来ない。
もっとも犯人が多重人格だったりするとわからんけど。

バロメーターとして、うちのサイトには実にいろいろなパラノイアが来訪することがあるけど、今回の人が一番長くて深刻。
でね、女性のアレな人に訊いてみたけど、やはりやらないらしい。
つまり疲れちゃうからね・・・
やたらと攻撃性が高いでしょ?
これって女ではないかもしれないな・・という疑惑が発生したのはその辺でありまして、それでいて男女のカップルでしょ?
なんかヤバイよ。

ホモ?
いわゆるトランスの人だったりすると、彼らは完全に女性だったり男性だったりするから、肉体的な性別はともかくとして、綺麗なのよね。
混濁してない・・・つまり精神的な部分では。
性的にはアレかもしれないけど、それはいわば精神からきているから或る意味において自然なことなのかもしれないし・・・
正常者と同じだから異常なのだわ。

ところが、男なのに男しか愛せないから女性になる人たちがいる。
これは、外見はともかく基本が男だもの。
男としては女性的なんだろうけど、基本が男だから攻撃性は隠せない。
女とは違うよね・・・その辺が。
男しか愛せない男というほうがまだマシのような気がするんだけど。
女をいじめるなよ。

クラッキング犯がオカマなら、あたしは何もする必要性がない。
つまりね・・・何もしないでいられるから女なのかもしれない。
あたしだって焼きもち焼いて、怒って、嫌がらせしたりするかもしれない。
そんなことをしても幸せにはなれないけどね。
嫌われたくてやっているのかもしれないし・・・自分がつらいから。
案外、やるときはやっちゃうだろうし・・・あたしという人間は。
でも、無差別にはやらないな・・・
要するに自分がすっきりしちゃえば終わる。

でもさ・・・すっきりしないよね。
クラッキングして嫌がらせして、ネタにされて、同情されて(してないけど)、たしかにね・・・男ってアレね。
正常な人が犯人だったりすると、「りんちゃん、大丈夫〜?」なんて結構心配してくれるけど、犯人がオカマかもしれないということを示唆しただけで、「それだけはかんべんしてくれ〜」ってなっちゃうもんね。
理不尽だ。
なんか笑っていいのだか、同情していいのだか、男の世界は厳しいのかもしれないし、やっぱオカマやホモの世界って厳しいのね。
セックスだけで愛の欠如した世界みたい。

 

 

”異常”を書くってムズカシイ

at 2002 08/21 18:28

ダメだな。上位概念(神の愛とかね)ならともかく、狂った愛というか、それこそフェチとかはガイアックスみたいな一般サイトに書いてはダメだな。アダルトなコンテンツというわけではないけど、有害図書のような気がするし、書き方によってはまた差別だの偏見だの、こころが傷ついただの荒れたりしそうだし・・・
実名を出してもいいから書いてくれと言われたり、あちらの人たちからすればこちらが躊躇すればするほど前へ出たいらしいし、一体どうしたらいいものやら・・・


(「独り言という名の対話」より)

 

 

恋愛至上主義のフル稼働?

at 2002 08/21 13:35

”本物”と語る意味がわからないわけか・・・困った。
簡単に説明すると、おすぎとピーコはテレビだからあーなのではないってことかな。
中には、面白いからおすぎの真似をしている人もいるかもしれないし、もともとその気があって、彼らが芸能界でお仕事をしているのを見て、自分も真似してみようと思う”本物”系の人の真似もある。
最初からおすぎとピーコであることがわかっていれば、受け手はそんなものだと思うだけなのかもしれないし・・・

彼らが自分でウェブサイトをつくろうと思ったらどんなサイトをつくるだろう・・・
映画やファッションなど、それこそ極めてユニークで面白いサイトをつくるような気がする。
そこに簡単なBBSがあってヤリトリしていても、管理人が男であるとか女であるとかわからないだろうし、本人が女性であると語っている以上、どーやっても女性のサイトなんだから・・・
オカマやホモの人のための相談サイトなんかだったらわかりやすいと思うけど、世の中はそーではないから困ることもある。

この図式は、ほかのアレな人にも当てはまるわけで、そういう人たちが精神系のサイトをつくっている分にはわかりやすいけど、鬱病とか境界例だったりするとわからないよね・・・
何もそーいう人たちがその手のサイトをつくってばかりいるかというとそんなこともなくて、それこそ世にも美しい癒し系のサイトなどをつくっていたりすると感動すら覚えることもある。

何が困るかというとね、彼らには区別がつかないことがある。
例えば、大抵の人にとっては”母乳プリン”なんて吐き気がしそうな出来事のような気がするんだけど、おすぎさんやピーコさんにはリアリティがないからね・・・「あたしだったらいくらでも愛する人のためなら作ってあげるのに」などと本気で思っていたりする。
女性でもたまにそーやって本気で思っちゃう人がいるし、こっちから眺めると単なるアレな人にすぎない。
だからね・・・そーいう人たちが間違わないために、「あたしだったら気持ち悪いわ〜!」っと書いておかなければならない。
一般社会というところには暗黙の了解というものがあって、そんなことをわざわざ書かなくてもわかってるだろうという大前提があるから、どうしてわざわざ書かなければならないのか?ってことが通じないことが多い。

で、パラノイアとかね・・・嫉妬妄想とか関係妄想なんてたしかに誰にでもあるし、大抵の人ならすぐに忘れちゃう。(と思う)
ところが、ずっと忘れない人たちがいる。
忘れないから本物なんだろうし・・・
だから、やるだろうな・・と思っているとやってしまうというのはそういうことでありまして、彼らには彼らなりのロジックがあって、恋愛至上主義なのかもしれないし、どの人にも共通しているけど、愛や恋に賭ける意気込みが健常者の100倍くらいある気がすることがある。
一生懸命で、献身的で、必死で、本気で、あたしなんてちょっとは見習わないとダメかもしれないと反省するくらい凄まじい。
そこだけなんだな・・・
そこのところをちょっと理解すると、一連の愚かな行動がわかりやすくなる。
あまりわかりたくないと常々思うのだけれど、何となくはわかるわけで、あーはなりたくないという消極性があたしの行動特性なのかもしれないと思うことがあるくらいだ。
愛に対するバランスの欠如なのかもしれないし・・・

愛を求めすぎるな・・・か。

もし気が付かないうちに、そういう人たちと仲良くなってしまったらどうするか?
どーしよ・・・
最初から、「自分はこーいう人だから」っとかさ、インフォが与えられているとかなり違うと思うんだけど、映画サイトとかファッションサイトなんかを通して仲良くなったりしたら、実際そんなことなんて関係ないでしょ?
が、しかし・・・・
仲良くなるとね・・・いろいろなのよ。(たぶん)

 

 

Diary Top : Old : New : Home