Rin's Diary
June, 2002
(No.1)

 

飽きたら終わろう・・

at 2002 06/10 13:19

近頃、自分がすっかり活字離れをしているために活字の話が重なると不思議な気分になってしまう。じっくり読むようなものを買っていないのかもしれない。それこそスクリプト辞典とか、短歌関係とか、サイトのネタにでもしようかとちらほら専門書などを買ってみたりしているんだけど、それらは何もじっくりと読む必要性の欠如した本が多いことに気が付く。どちらかといえば、必要なところを拾い読みしたり、パラパラとめくったりするような本ではないだろうか?
小説みたいに途中から読んだら何の意味も無いという書き物とは違って、詩や辞典というのは最初から最後まで読むような代物ではない気がする。
こういう自分の活字への変化は、もしかするとインターネットという世界に慣れてしまったからかもしれない。この世界では、それこそ拾い読みの世界だし、それこそ短期決戦の活字の世界のような気がするから・・・

だから、「日記」なのよね・・・
ウェブで小説などを書いている人がいるけれど、実はあまり読んだことはない。最初から読むとなると大変な時間が掛かる。本なら寝ながらでも読めるけど、PCとなるとそういうわけにもいかないからかったるい。毎日少しずつ購読しているとまた違うのかもしれないけれど、そういう習慣がない。
小説などというものは一気に読むから面白い気がするのに、連載小説などを毎朝読んでいる人の気が知れない・・などと昔から思っていたので、自分が習慣にしていないことを今更始めるというのは酷くかったるくなってしまう。

----短歌と小説とどこが違うの?

わからん。
昔はおそろしいほどの小説を読んでいたこともあったはずなのに、今はまったく読まなくなってしまった。
或る意味において、短歌も単なるフィクションだし、それこそ長さと形式が違うだけのような気がするし・・・テーマというものがあって、それを詩にするか、小説にするか、それぞれに表現方法に違いがあるだけという気がしてしまうくらい、近頃、違いがわからなくなっている。

小説だって、小さな情景や小さな言の葉からイメージが膨らんでいくのかもしれないし、或る意味において、研究だってそんな感じ。その後の手続きが違うだけという気がしてしまうくらい近頃違いがわからない。研究がデータがすべてなら、言の葉の散り行く世界では作品がすべてだ。

ナルシストか・・・・
自分でも自分がナルであることは認めているけれど、昨日や今日、ナルになったわけではないのよね・・・あたしの周囲にはおっそろしいほどのナルシストばかりが何故か集まりやすい土壌があったのかもしれない。
ただ自分に厳しいナルと、「オンリーあたし」系のナルがいることだけは認めなければならないだろう・・・
自分に厳しいナルは、他人にも厳しいのかもしれないけれど、それなりによい仕事をするからわかりやすい。
自分に酔いしれているだけのナルは聞き苦しい。
見苦しい。
どこか苦しさに喘いでいるくせにそれを指摘すると怒り出すので何も言えない。
本物のナルシストは他人が許しても自分が許さないというくらいナルシストだ。他人に指摘されたら、その指摘の10倍くらいの指摘が、自分に対して始まってしまう。そういう意味で、アートな人たちは昔から欝やノイローゼと相性がよいと思うくらい厳しくなってしまう。そういう鬱々とした憂鬱な気分から抜け出すためにアートが生まれたのではないかと、密かに疑っているくらいだ。

でも、惰性で打ってるな・・・あたしは。
そのうち飽きるかもしれない。

 

 

人工知能より人間の記憶だ!

at 2002 06/09 16:55

今更告白しなくても、自分という人間がいかに飽きっぽい人間であるか、充分に自覚してしまっている。しかもワガママだ。そして、いつも何かを考えているようで実は何も考えていないということも告白する必要性もないくらい自明のことである。

或る日突然、「ちょっとやってみよーっかなぁ」病が始まってしまって以来、そのままずっとネットが日課になってしまった。「チャット→メール→BBSの管理人→インスタント・サイトの管理人」というわけのわからん流れの中で未だにサイトの管理人を続けいてる。
どうしてこういう流れになってしまったのかといえば、ごく自然とそういうことになってしまったとしか言いようがない。怒りに押し流されるようにウェブの海を泳いでいる気がする。
サーフィンならいいけど、なんかシュノーケリングに近いような・・・ちまちま覗いて喜んでいるだけというか・・・だから未だにラグーンの外へは出られない。

最初からウェブサイトをつくろうと思っていたのならまた違ったサイトになっていたのかもしれないと思う。ところがネットというものを単なるコミュニケーション・ツールとしてしか考えていないために、インターネット上で発生する不可思議な人間関係に翻弄されるが如く、今のスタンスが定着してしまったとしか言いようがない。
自分が再びPCという箱と向かい合うようになるとは思っていなかったが故に、かつて単なるワープロや計算機だった箱が、ヘンな世界に変貌しているということが妙に面白かったのかもしれない。

非現実的仮想空間・・・
これはネットのことではなく、人間の知覚というものに対してあたしが勝手に命名していた呼び方に過ぎない。感覚受容器からの刺激が脳へインプットされ、外界というものが描かれているに過ぎないという・・・脳というのは、実に不思議な仮想空間だと感じることがある。

ネットという世界はバーチャルであり、擬似空間であり、完全な仮想空間だ。
自分だけの世界ではない。
自分だけの世界ではないから、コミュニケーションの場。
連絡網なのだろうか?
いろんな情報が錯綜しているだけ?
人間の感情というものが、気持ちというものが、こころというものが同時に浮遊している世界でもある。

ウェブに描かれる作品を通してこころを伝え合う?
電子文字の世界なのかもしれないし、画像を提示しているだけなのかもしれないし、それでもそういう刺激を通して相手の中に新たなる知覚が生じる。いわば、こころというのも単なる情報なのかもしれないと思うくらいだ。

それにしても、あたしは飽きっぽいからすぐにサイトをころころ模様替えしてしまう。近頃、ますますそういう傾向が強い。一つには、「良いHP」をつくろうという決意があったのかもしれないけれど、こんなにころころ変わるってこと事態が悪いHPだと気が付いてしまったという情けなさ。

自分のサイトを一番長く眺めているのは自分だと思う。だからすぐに飽きてしまう。自分の書いたものを何度も読んでも仕方がないので、どうせ散り行く言の葉だと思って、そのままうっちゃってしまっているものも多い。そのうちテキストにまとめようと思っているんだけど、何となくかったるくなってしまうというか・・・

近頃、簡単に原稿用紙なら10枚以上のページを一気に書き上げてしまう。画面に向かってパチパチ打っているだけだからあっという間だ。それを毎日数ページは書いている計算になる。だから、毎日来訪してくれている人ならともかく、たまに来訪してくれる人なら読みきれないよね。特に読んでほしいと思って書いているわけでもないから、そういう相手の都合などまったく考えていない。

でも・・・・・・なんでかな・・・・・・・・このところ来ないと思って油断していると、来ちゃうのよね・・・・・なんでだろ?
忘れた頃というか、ほとぼりの醒めた頃に書くようにしているんだけど、ほとぼりが醒めたと思うと来訪が・・・
なんかね、こういうのも一種の以心伝心?

いずれにせよ、何の脈絡もなく書いているわけで、その日の来訪者は日記くらいしか読まないだろう・・・
これだけ書いていると”運”だけだ。
たまたま鬱々とした気分の時に来訪して、たまたま鬱々とした話が書いてあったりすれば、それも運なのよね・・・廻り合わせというか・・・毎日、そういうことを書いているわけではない。
飽きっぽい上に忘れっぽい。
しかも気分屋。
そのくせ来訪者のトーンでカキコのトーンすら変化してしまうくらい気まぐれ。

そういう中で、別館を建設しようと思ったけど、ダメね・・・新館ならいいけど、別館はダメだ。すべてのコンテンツをもって移動するならかまわない。だけど、別館というのは分離するということで、分離してはダメなのかもしれない。むしろ統合するくらいのほうが親切かもしれない。
情報発信というスタンスであれば、たしかにテーマごとにサイトをわけたほうが親切だし、検索にもヒットしやすくなるだろう・・・
が、しかし・・・
ダメだ。

「りんさん」のところへ行けば、こんなことが書かれているという人々のニーズと記憶に頼りながらサイトを構築しているために、人工知能上の検索など役には立たない。人工知能のためにシンプルな信号ページにするよりも、人間のためのページをつくらなければならない。検索にヒットするよりも、誰かの記憶に残るページをつくらなければダメなのかもしれない。

変わらない良さか・・・
それって本当にあるのかも。

 

 

「泣き」

at 2002 06/08 17:38

それにしても出会い系はどこも繁盛していると感心してしまう。
交際相手を募集するようなところだけではなくて、それこそギャルママ同士の会だったり、趣味系の集まりだったり、交流系や出会い系となると、どこのナビでもサイトの登録数の多さに驚く。
それはそれで良いことなのかもしれないけれど、人間が集まるところ、どこもかしこもすったもんだしている。
だって、全部の人と全部の人とが仲良くなるわけがないのよね・・・
で、そういう苦情があちこちで発生してしまう。
それがエスカレートすると、誹謗・中傷になるのかな・・・わからん。
人間のやることだから、そんな程度のことなのかもしれないと、暗闇に慣れるとそれが当たり前になってしまうから困る。

出会い系BBSに自分の個人情報(電話番号とか)を書かれて、しかも中傷まで書かれていたらどうするか?
そこまでなると警察沙汰だ。
なんでネットでそんなことになってしまうんだ?

どこの馬の骨かわからない?

油断しているのよね・・・
チャットなどで知り合ったりすると、それこそオンラインだけの付き合いだと思っている人が多いから親しげにお話したりすることが多いと思う。
ビギだと尚更そんな感じなのかもしれないな・・・いろいろ教えてもらえるし・・・
知らない人と気軽に話せるからネットは人気があるのかもしれないし・・・

ところが、いざオフをするとなるとすったもんだする。
相手がナンパやろーだったらどーする?
とか、
とんでもない人だったらどーする?
とか、
騙されてるのよ・・
とかね・・・
そう思うんだったら、最初からそーゆー人とは仲良くしなければいいのよ。
こういう点では、あたしも他人に何か言えた義理ではないけれど、そんな人とは思わなかったし・・・とかね・・・・よくあるパターン。

ネット人格というのかな・・・
実際にはどんな人かわからないとか?
リアルで交際していたって、相手がどんな人かお付き合いするまでわからないのが恋愛ではなかろうか?
ましてや結婚してから失敗したと感じる人が多いところを見ると、世の中の男と女は互いに相手を騙し合っている?
そーなんだよね・・・
相手を騙すというのは、何も人間に限ったことではなくて、これは一つの本能みたいなものなのかもしれないし、恋は盲目と言うように、恋自体がそんなものなのかもしれないな。
で、ネットだ。
ただでさえ盲目なのに、ネット人格?
「ブラ・ピ」に似ていると本人が言えば、そういうイメージ?
どこまでも妄想は拡大してしまうという恐ろしさ・・・

でもさ・・・
オンラインでもオフラインでも一緒でしょ?
「アンタなんか嫌い!」って思うのはナチュラルなんだけど、相手に逆恨みされたり、腹いせされたりしたくなかったら、「アタシはアンタなんか相手にしないわよ!」という交際の断り方はダメなんだよね・・・
つまりは相手のプライドを傷つけるような断り方はするべきではないという・・・

とにかく、その手の腹いせが発生すると、どこも大変・・・
それこそ嫌がらせや誹謗・中傷、荒らし。
中には犯罪だ。
あたしもずいぶん言われたり書かれたりその他諸々いろいろやられたけれど、あたしの場合、犯人はいつも女だ。
ネットで異性の友達ができると必ずパラノイアが来訪してしまう。
で、メッセンジャーとかメールとかでも告げ口・悪口・噂話、サイトをつくってからでもBBSにその手の中傷が書かれる。
何が言いたいのかさっぱりわからないという場合もある。
「ナンパやろーだから気をつけろ!」という余計なアドバイスが一番多かったかもしれない。
この前なんて、二つのケースが重なったから、主語が欠如していると何のことを書いているのかもわからない。
あっちのケースかこっちのケースか、何がどーなっているのかもわからないという・・・

最初は驚いたけど、近頃すっかり慣れちゃって。
結局、「泣き」が入るのよね・・・
うちのサイトになんで来るんだ?
サイトじゃなくても同じだけど。
あたしは世間知らずでハムスターだから騙されてるとかね・・・
いつ騙されたんだ?
で、どんな被害が発生したんだ?
アホでしょ。
もしかすると、あたしの知らないところではナンパしてるのかもしれないけれど、それは誰かの勝手ではないだろーか?
問題は、自分との関係性なんだと思う。
職場や学校でのセクハラは無くならないかもしれないけれど、それにしてもややこしくて。
相手のナンパがかったるければ、女やめちゃえばいいのよね・・・
結局、あたしが女だから、あっちからもこっちからもトラブルがやってくるかと思うと腹が立つけど、それは何もネットに限ったことではないし・・・

そんな連中と一緒に誰かの悪口を言ってるほど、人生に退屈しているわけではない。
が、しかし・・・・・
あたしにナンパやろーと書かれてしまった皆さまごめんなさい。
だって、パラノイアだとは思わなかったから・・・へへへ。

が、しかし・・・・
そこで一緒になって、「泣き」を聞いてあげないから、いつもパラノイアに虐められるのかもしれないな。
やだやだ。
誰か何とかしてくれよ・・・

----りんちゃん、群れないと何も出来ない?

----(何も答えられないあたし)

一体、あたしが何をしたって言うんだ!?
ねーちゃんやばーちゃんに囲まれて、きゃいきゃい遊んでるのが悪いんじゃないか?

----おまえ、ネットやめろ!

大きなお世話!!
あたしは悪くない!(と思う)

ほんとにネットやめたくなるよね。

・・・・・・・・・・というわけで、階段上っています・・・

 

 

描く

at 2002 06/07 04:39

このサイトはね・・・実はとても軽くつくってある。
サイトの表示速度が軽いというわけではなくて、トーンが軽い。
近頃どうも落ち込んでいるとか、誰かと喧嘩したとか、彼氏とうまくいってないとか、そういうライトな人たちのためにつくっているのかもしれない。
もっと軽くすることもできるのだけど、或る程度、テキスト度というのかな・・・それなりに読み物としての情報発信を考えて、そこそこトーンを上げている気がする。
自分としては無意識に来訪者のトーンに合わせて調整しているのかもしれないし、リクエストがあってそうやってしている部分もあるのかもしれないし、いろいろだ。

自分にとっての創作モードというのかな・・・
実は、短歌などは誰かの欝が鬱々と移った時などにさらさらすらすら湧き上がってくるものであって、いわば短歌も自分にとってはゴミ箱なのかもしれない。
それを何故別館へ移したかというと、もう少し踏み込んだサイトをつくりたかったということなのかもしれない。
欝の人がますます鬱々としてしまうような禁断のサイトをつくってみたいという願望がある。
それでどうなるのかはまったく考えていないけれど、ちょっとしたカラーの違いを演出してみたいだけなのかもしれない。
欝の人が鬱々としてしまった先にまた違うサイトをつくってみたいというか・・・
その世界が光なのか闇なのかわからない。
逆にとても無機質な世界であり、精神というものを単に数値化してしまった退屈な世界なのかもしれない。
実に退屈極まりなく、それでいてそういう世界から浮遊が始まる。
酷く人間臭いトーンと実に相性が良い気がするくらい機械的だ。
人間の欲望が渦巻く世界と無機質さとの調和。

すでに日常的なトーンは諦めている。
微笑ましく平和な世界を描くことは他の誰かに譲るとして、自分がバーチャルという仮想空間に描きたいのは、そういう精神世界の不可思議さなのかもしれない。
とても機械的でありながら、どこかドロドロとした精神というものを淡々と描きたいとすら思っている。
それが自分の発信する「こころのウェブ」の正体なのかもしれないな・・・

こころを繋ぐとかね・・・
友達つくりの場とかね・・・
そんなものは他の誰かがやってくれるだろう・・・

でも、本当に必要なのは、自立するということなのかもしれない。
誰も自分を必要としてくれなくても生きていける強さ。
それを描かなければならないのかもしれない。
無理かな・・・・
無理かもしれない。

この世の中に自分ひとりが生き残ってしまったとしても生きていけるような強さがね・・・必要なんだと思う。
存在の軽さ・・・・
誰かに必要とされている感覚が欠如しているだけ・・・
友達もいる、家族もいる、恋人もいる、すべてが与えられている。
それでも自分の存在が酷く疎ましく軽く感じられてしまうような錯覚・・・
自己嫌悪と呼ぶ人もいるだろう・・・

どうして恋愛が必要なのかといえば、誰かに好かれたいわけではないのかもしれない。
愛されたいわけではないのかもしれない。
時に憂鬱になるくらい、誰かに必要とされてみたいだけなのかもしれない。
そういうアンニュイな気分が必要な時がある。
ゲップが出そうな恋愛というか・・・・
時にそれが必要な人たちもいる。

でも、そんな恋愛では自分を救えない。
求める愛が違う。
自己愛か・・・

いろんな愛の形がありすぎて、すべてをこんなつまらないサイトに描くなんて不可能だ。
思考を広げるか・・・・視線を上げるか・・・・・地獄を徘徊するか・・・・・?

よくわからなくなったから、サイトを分けたのかもしれないな・・・
もっとも分けても一つのサイトには違いない。
そこのところが自分でも未だに混乱してしまう。
1クリックでつくれるサイトだ。
イヤになったら1クリックで閉鎖しちゃうだけだ。

 

 

闇よ、何処・・・

at 2002 06/06 05:59

一体、ネットの闇はどこへ消えてしまったんだ?
女というのがどこまでもリアリストだということを思い合わせると、やはりカオスの中に秩序が出来上がっていく過程を再現されてしまっているような気分に陥ってしまう。

バーチャルな世界でのすったもんだが発生すると、今までだったら電源をオフにしちゃうというのが常套手段だったと思うのよ。それがいつのまにやら、リアルな友達をバーチャルへ引き込んでしまって未来永劫戦いは続いていくらしい。

実際にパソコンを買うとなるとそれなりに高いけど、「携帯から投稿できるのならいいわ!」ということで携帯HPをつくって短歌の輪は広がっていくらしい・・・
いいことなのよね。
が、しかし・・・・

最初はバーチャルな世界のトラブルなのよね・・・
それがAさんとBさんとがオフしてるというか、単に家が近所でお茶してるだけなんだけど、ネットの闇に慣れちゃってると、一応、存在証明というか、オフラインでの付き合いがあると少なくても発言の信憑性というのかな・・架空の人物が無責任に語っているわけではないことくらいは実証できるパワーがあると思うの。
ってことが引き金となって、バーチャル側の反撃が始まってしまったという・・・
たしかにいくらリアルで付き合いがあるからといって、サイトをトロイの木馬攻撃で固めてしまうとは・・・(そこまでやるか?)
って苦情はすでにバーチャルな苦情ではなく、
「そーゆーことをすること自体が信じられないでしょ?」
ってことで怒ってるから、それをリアルな友達に言う→「ひっど〜い!!」→「でしょ?」→「そりゃ怒るのも無理ないわよ!」→「じゃあ、一緒に・・」
という順番なのね・・・きっと。
こーなると、どこまでがリアルでどこまでがバーチャルなのか全然わからない。

なんかね・・・
携帯のパワーってすごいのね。
次第にバーチャルな人間関係がリアルになり、そこにさらにリアルな友達が介在し、そんでもってネットも狭いからそういう人間関係がどこまでも混沌とした中で広がり、誰が誰の友達だとか知り合いだとか、バーチャルだとかリアルだとかが複雑に入り組んできて、しかも世間は狭いしネット人口が増えたせいかどーしてもリアルな知り合いというのに出くわしてしまう。

とりあえずパラノイアには泣かされたけど、それにしてもそういうパラノイアが発生してしまう背景にはこういう伏線が隠されていたりするわけで、それを考えるとどこにもバーチャルな闇など存在しないのではないかという・・・

趣味系のサイトか・・・
でも、なんか楽しそうでしょ?
だからダメなのかもしれないな・・・いつまでも寂しい人たちが荒らしにやってきてしまうのはそういうことなのかもしれない。
でも、荒らしさんの投稿した短歌でもきちんとコンテンツにしちゃうところがまたすごいというか・・・たしかにどんな人でもネットを介在してBBSなどに投稿したものであれば、「誰が投稿したか?」ってことは関係ないです。
匿名だろうと常連さんだろうと区別も差別もなく、荒らしであろうとそうでなかろうとすべてが単なる電子文字の作品なんです。
そういう意味ではウェブ上に置かれたものは公平であり、それでいて今もなお人間関係はカオスの闇を打ち破り、女の派閥のような戦いが続けられていくのかもしれない・・?
女が複数集まればどーしてもこーなってしまうから、そーゆー意味でもどこにもバーチャルな世界なんて存在してないと思う今日この頃・・・

闇。

懐かしい。
静かなる闇の世界はどこに・・

 

 

ログ・ジャンパーかな

at 2002 06/04 07:45

ログ・ジャンプは邪道か?

最初、あたしがガイアにサイトをつくったばかりの頃、ログ・ジャンパー自体が槍玉に挙げられていたことがあった。
今では、大してめずらしいことでもないらしく、話題にもならない気がする。
というのは、1万ヒットくらいまではみんな積極的にログをたどったりしているんだけど、ちょうど1万ヒットを過ぎたくらいから何もしなくなる人が多い。
つまりは来訪者の固定化というか常連さんだけ来てくれればいいや・・という感じね。

サイトをお友達つくりの場にしていると、自然とそういう気持ちになってしまうし、BBSへのカキコもだんだん増えてくるのでレスを書くのが大変という実際的な問題もある。
それと常連さんとオハツの人とが重なるので、これが何かと気を使わなくてはならなくなるために自動的に閉鎖的な気分になってしまいがちなんだと思う。

うちのサイトもそういうのんびりした状態だったのに、或る日突然ログ・ジャンプを始めた。
正確には今年の2月くらいに荒らし対策にアクセス解析をつけたのをキッカケに回るようになった。
もともとそんなに回らなくても、以前使っていたBBSの頃からの来訪者がいたせいか、そこそこアクセス数はあったと思う。

以前、あちこちのログ・ジャンパーたちに、どうしてそんなにアクセス数を気にするのか尋ねたことがある。
大抵の人の答えはシンプル。
「来てほしいから。」で終わり。
中には、一つのコンテンツをつくるのに半年も時間をかけている人などもいて、その苦労を考えると確かに大変だと思う。
1クリックでサイトをつくれるところで、どうして半年もかけてつくったコンテンツを並べないとダメなのか不思議でしょ?
で、訊いてみた。
理由は、コミュニケーションの無いようなサイトはイヤなんだって。
わかりやすい。
どんなに一生懸命つくってもガイア以外だとアクセス数はガイアの10分の1くらいみたいだし・・・これについては実際にガイアのサイトとまったく同じミラーサイトを別サーバにつくっている人はみな同じことを語るのでかなり正しい気がする。
あちこちでリンクしてもらっているようなサイトでもガイアの集客数にはかなわないらしい。
最初からガイアだとそういうことには疎い。

検索のトップになるようなサイトだったら別かもしれないけど、うちのサイトがそういうサイトになるってことはまず考えられないので、それなら地味にコツコツ回っているほうが飽きない。
とはいうものの、にわかジャンパーとしては、アレが苦手なのよね・・・気が短いせいかもしれないけど。
新規入会者のところを回るというヤツ。
そっちのほうが能率的なのはわかっているんだけど、同じ壁紙ばかり眺めていると憂鬱になってきてしまう。
それに、つくってもつくったことすら忘れている人も多いし、そんなところを回っても不毛な気分に陥ってしまう。

ガイアの検索なんていったら、もっと酷い。
30代の主婦で、趣味などを掛け合わせて検索してみたことがあるんだけど、これがかなりのものでして、1日に1人くらい来訪者があるかどうか・・というサイトばかりが何故かピックアップされてしまう。
なんで?

それなら、ちまちまログをたどったりしているところを来訪したほうがまだアクティブだし、少なくてもそこのサイトは廃墟ではないことが多いために何となく救われる。
自分がサイトをつくりたいとか、友達をつくりたいという気持ちの欠片もなかったら、そりゃすぐに廃墟になってしまうし、他の人のサイトだって眺めようという気持ちにもならないよね。
同じ眺めているのでも、つくったばかりの同じ壁紙を眺めているよりも、幾分手入れのされたサイトや、中にはユニークなサイトもあったりするとジャンプして得した気分にもなってしまうし・・・

が、しかし・・・・
ログジャンプは不毛か?
という問題もある。

これはどうなんでしょうね・・・
ガイアックスの場合、最初からサイトのコンテンツに興味を持って来訪してくれる人なんかいないわけだから、もちろん単なる素通りの人も多いし、それこそお互いさまではないけれど、足跡だけ残しに来てくれる人も多い。
それでもBBSにラリーが続くようになってしまうと、レスは戻ってはくるものまったく来訪すらしてくれない友リスの人々のことを考えると(ガイアBBSはメールか?)、一応はサイトをつくっているわけだからコンテンツに興味を持ってくれる来訪者の存在は貴重だと思う。
かといって、BBSにまるっきりカキコも無いようなサイトはつまらないし、足跡を見つけて遊びに来てくれるようなコミュニケーションがあるからログ・ジャンプも続いている気もするし・・・

巨大なウェブ・リングの中を泳いでいる気がする。

 

 

男には”無償の愛”を与えるなかれ?

at 2002 06/03 02:24

カウンセラー泣かせの「無償の愛」か・・・
世の中にはマザコンだのロリコンだの無償の愛を求めて徘徊する男のなんと多いことよ!
結婚生活が破綻して来訪する人たち。
原因は大抵パートナーに対して無償の愛を求めすぎているだけなのかもしれない。
「経済のことをよく考えろ!」と言わなければならないのはその辺に原因があるらしい。

どうしてマグダラのマリアなのか?
彼女はイエスの値打ちがわかるからだ。
大抵の男は女に何を求めるのか?
性欲の処理だろうか?
違う。
実際、そういう側面はあるのかもしれないけれど、男が女に求めるものがあるとすれば無償の愛だ。
どうしてそれを求めるのか?
つまりはそれを与えることができないからだ。
女性を性欲の対象や遺伝子の運び屋としてしか考えられないから。

三位一体の神?
「父と子と精霊」の神?
神さまは父であり子であり精霊らしい。

人は誰でも親であり子であり精霊でなければならない?
ペルソナの問題らしいけど、常々、自分が母であり子でありそれ以外のことをしている自分がいるわけで、それらはすべてあたしだ。
つまりはそれがナチュラルな人の生き方ではないだろうか?
それは誰かに与えられたものではなく、元来、人とはそういう生き物なのかもしれない。

ところが、マザコン、ロリコンときた日には、”女”をどんな生き物だと思っているのだろう?
母も娼婦も女だ。
女を女としてしか扱えない。
だから無償の愛を与えることができない。
与えることができないから相手にそれを過度に望むことしか知らない。

男を識別するとき、パトスが役に立つ気がすることがある。
情念だ。
うまく説明できないけれど、情念があるから男が識別できる。
ジーザスは少なくても無償の愛を与えることができる。
そこが違う。
情念というものを吸引できるのは無償の愛だ。
ベクトルが違う。

情念というのは相手の世界へ浸透するものであり、無償の愛とはむしろ空高くこころを引き上げるもののような気がすることがある。
相手に向かっていくパワーが空へ続いていくときに何かが変化する。

男には無償の愛を与えてはダメだ。
むしろ無償の愛を提供することができるとすれば男だからだ。
無償の愛に守られて生きていく。
無償の愛を与えることのできる男を識別するものがあるとすればそれがパトスというのは何ともはや・・・

 

 

男には”無償の愛”を与えるなかれ?

at 2002 06/03 02:24

カウンセラー泣かせの「無償の愛」か・・・
世の中にはマザコンだのロリコンだの無償の愛を求めて徘徊する男のなんと多いことよ!
結婚生活が破綻して来訪する人たち。
原因は大抵パートナーに対して無償の愛を求めすぎているだけなのかもしれない。
「経済のことをよく考えろ!」と言わなければならないのはその辺に原因があるらしい。

どうしてマグダラのマリアなのか?
彼女はイエスの値打ちがわかるからだ。
大抵の男は女に何を求めるのか?
性欲の処理だろうか?
違う。
実際、そういう側面はあるのかもしれないけれど、男が女に求めるものがあるとすれば無償の愛だ。
どうしてそれを求めるのか?
つまりはそれを与えることができないからだ。
女性を性欲の対象や遺伝子の運び屋としてしか考えられないから。

三位一体の神?
「父と子と精霊」の神?
神さまは父であり子であり精霊らしい。

人は誰でも親であり子であり精霊でなければならない?
ペルソナの問題らしいけど、常々、自分が母であり子でありそれ以外のことをしている自分がいるわけで、それらはすべてあたしだ。
つまりはそれがナチュラルな人の生き方ではないだろうか?
それは誰かに与えられたものではなく、元来、人とはそういう生き物なのかもしれない。

ところが、マザコン、ロリコンときた日には、”女”をどんな生き物だと思っているのだろう?
母も娼婦も女だ。
女を女としてしか扱えない。
だから無償の愛を与えることができない。
与えることができないから相手にそれを過度に望むことしか知らない。

男を識別するとき、パトスが役に立つ気がすることがある。
情念だ。
うまく説明できないけれど、情念があるから男が識別できる。
ジーザスは少なくても無償の愛を与えることができる。
そこが違う。
情念というものを吸引できるのは無償の愛だ。
ベクトルが違う。

情念というのは相手の世界へ浸透するものであり、無償の愛とはむしろ空高くこころを引き上げるもののような気がすることがある。
相手に向かっていくパワーが空へ続いていくときに何かが変化する。

男には無償の愛を与えてはダメだ。
むしろ無償の愛を提供することができるとすれば男だからだ。
無償の愛に守られて生きていく。
無償の愛を与えることのできる男を識別するものがあるとすればそれがパトスというのは何ともはや・・・

 

 

それぞれの人たち

at 2002 06/01 12:46

ネットの暗闇に慣れてしまうと、そこにはどこにもバーチャルな空間など存在していない気がしてしまう。
どうしてバーチャル・リアリティが役立つかといえば、一種の順応効果みたいなものだ。
架空の空間で体験したことがフィードバックされ、新たなる学習が進む。
視覚刺激により脳が働く。

いろんなことがあった気がするけれど、結局、酷いネット妄想だと思っていた人は、まさに実生活上でもその病気に苦しんでいるということがわかっただけ・・・
ずっと嫌がらせしていた人は、きっと嫉妬妄想か何かに苦しんでいたのだろう・・・
どこにもバーチャルな世界なんて存在していない気がするくらい人間なんて同じことをしている気がしてしまう。
ネットでの行動を見ると、大体、その人が普段どんなことを考えて、どんな風に生活しているのかわかる気すらする。

リアルとバーチャルをわけすぎ・・・か。
匿名だと思うから油断するだけなのね・・・
が、しかし・・・・
ほんと、あたしって何にも考えてないのよね・・・
どうやっても自分を偽るなんて不可能ではないだろーか?
偽ることのできる人は、普段から偽ることのできる人だということがわかっただけで、結局、そのように考えてしまうと行動特性・価値観を含めて趣味の果てまで”その人らしさ”というのがあるんだろうな・・・
ほんと、サイトは箱庭。

ネットは自分が幸せになるためのツールなんだとは思うのだけれど、動機というのかな・・どうしてその人がネットを始めたのか?ということがあまりにも個人差があって、そこの区分から考える必要性があるのかもしれないな・・・
それこそ年齢や性別などによっても違うし。
一つわかったのは、老人問題などをマジメに考えている年寄りなんか居ないということかも。
老後なんだから・・・すでに。
或る程度、生活にゆとりがあるからネットをしている人がいるだけの話であって、呆け防止みたいな感じの人が多いかもしれない。
若い人なら、”夢”だな・・・
その夢が結婚なのかもしれないし、仕事なのかもしれないし、それこそ求めるものがある。
中年はわからん。
何となく一番現実逃避的な匂いすら嗅ぎ取ってしまったりして。
どこが情報発信の場なのかわからん・・・
もちろんそういうサイトは多いけれど、中途半端。

なんか・・・・
すぐに飽きるだろうと思いながらも、毎日、パチパチ打っている。
結局、書くのが好きなのね・・・
いっつもくだらないことを考えてるし・・・
人間観察か・・・・・・
これってすでにクセね。
直らない。

 

 

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