Rin's
Diary
May, 2002
(No.3)
カオスの中の秩序
at 2002 05/31 11:00
大昔、おそらくは高校生の頃だったと思うのですが、友人があたしの部屋へ遊びに来た時に、「カオスの中に秩序がある」とのたまっておりました。
カオス・・・・つまり床の上に散らばった書物のことでしょう。
秩序・・・・とりあえずカテゴリー化されて散乱している。
お手伝いさんが床の上にある本を掃除機かける時に邪魔だからベッドの上に乗せちゃうんですよ。
で、だんだんめんどーだからそのままにして帰ってしまう。
で、あたしもめんどーだからそれをまた床の上に落とす。
じゃないと寝れないし・・・・
ということを日課として繰り返していたために、男性原理についてはともかく、『女性原理とは「混沌、カオス、芸術、職人、自由、無原則」などである(ネピロン)』という主張にはまったく反論できないですね。が、しかし、敢えて付け加えるならば、カオスの中にも自分なりの秩序というものが頑として存在しているということでしょうか。
カオスとは自由なものであり奔放なものでありいかなる秩序も受け付けないようでありながら、カオスの中に厳然として存在している秩序なるものを他人に見せ付けた時の快感はそれなりに今の自分という存在を支える柱のようなものなのかもしれません。
カオスの中の秩序を支えているものは何事もそのまま受け入れてしまうという柔軟な姿勢なのだと思うのです。あらゆるものを飲み込んでしまう太母という発想に近いものがあるとたまに感じたりするのですが、あらゆることに責任とかルールとか原理なるものをまったく考えなくなるとすべてのことがどーでもよくなってしまうわけです。
つまり、『地震、雷、火事、中国人のピッキング、ゴキブリの進入、不倫の進入、今ここにない夢へのあこがれというどうしょうもない悪魔のささやきの進入などなど(ネピロン)』の有事が家庭なる世界に発生したとしても物事を深く考えず、すべてを混沌とした世界の中で受け入れてしまうとやはりそれはそれでカオスの中にも秩序が発生してしまう。
ルールなんか何もなくても秩序が存在してしまうというところに女性原理というもののルーツが存在している気が致します。
_________
なんか面白いからBBSからの転載で〜っす♪
この世に男と女が居るかぎり・・・
at 2002 05/31 02:52
インターネット上からハンドル名を無くしてすべて実名になったとしても、誹謗・中傷は無くならないでしょうね・・・
『もし自分のページには本名を明記しなければならないというルールがあったらどーなるか?』というご質問を頂きまして、以下あたしのレスです。
___________
一般論としてのインターネットの匿名性ということで考えると、事実上どこにも匿名性なんて存在していないと言いますよね。
私は最初ネットを始めた時、ハンドル名に実名を使っていたんです。
なんでそれが今のハンドル名になったかというと、女性だと思うとナンパだらけなんです。
それがウザイのでハンドル名だけでは女性か男性かわからない名前を考えたという。
結局、インターネット上のセキュリティの甘さから、犯罪の防止やストーカー被害などから逃れるために匿名性をうたっているだけであって、実質的にはネットにプライバシーなんて存在しないのでは?
誹謗・中傷もストーカーも実はまったく知らない人というわけではないと思うんです。
匿名性のキラクさからリアルだったら絶対に係わり合いにならないような人とチャットやBBSなどでヤリトリしているうちに、どこかで意見的な対立や価値観の相違やそれこそ妬みや僻み、嫉妬妄想などが絡んでそういうことになってしまうのかもしれないと近頃思っています。
こちらがまったく存じ上げない人でも、知り合いのサイトで遊んでいて、それを他の人が見ていろんな空想や邪推をしてしまうと、それこそ感情の嵐みたいな感じなってしまったり。
自分が知らないところで、他人の感情に何が生じているかなんて、その場(サイトやチャット部屋など)の人間関係などを知らなかったらまったくわからないです。
特にサイトだとBBSなどにはカキコがない人も多いし、そういう見えない人たちからの反感だったとしたら尚更。
自分のページに本名を書くという習慣は以前だったら珍しくなかったと思うんです。
それがどうしてハンドル名だけになったのか?というと、実は、こういうつまらない感情の嵐が原因なのではないかという・・・
議論でも熱くなっちゃう人だと大変らしいし・・・
実名の頃からそーなんだから、ハンドル名が実名になったからといってどこが変わるのかわからないです。
ただ、あくまでも仮想空間としてサイトを構築しているサイトを眺めたりすると、たしかに実名では作らないとは思うんですけど、これって水商売や風俗の人が源氏名というか、本名を隠したりすることと同じ感覚なんでしょうね。
___________
世の中、「首相官邸」にまでラブ・メールを書いちゃう人がいかねないわけだから、インターネットの普及で、ほんと政治も政治家も身近になったのかもしれない?
オートマチカルなリズム感?
at 2002 05/30 22:56
どうしてあたしは連歌が詠めるのだろう?
短歌BBSなどを設置するようになってから、短歌を詠んでいることにあれこれ言われなくなった気がする。
昔はそれなりに陰口があった。
ネットで恋の短歌を詠んだり、詩を書いたりしているとナンパなヤツだと思われてしまう。
それを連歌としてヤリトリしていると、”そーゆー関係”ではないかと想像する人が多いみたい。
でもね・・・
連歌のヤリトリしている歌人が男性であるほうが、恋の短歌なんだからナチュラルなのではないだろーか?
が、しかし・・・・
女同士でも平気で恋の短歌のヤリトリをしている。
短歌BBSなどを考えてみてくれ・・・
お初の人の投稿が多い。
艶っぽい短歌だってある。
投稿された作品だ。
あたしは素直にそれに返歌しているに過ぎない。
つまり、相手を意識しているのではなく、作品やそこに置かれたこころを感知してオートマチカルに詠んでいる気がする。
今までそのようなことをあまり深く考えたことはなかったんだけど、つまりはそこなんだな。
書物であれば作品として読むことができる人でも、インターネットとなるとそういう人間関係的な背景文脈を主眼としているために何かどこかが違ってしまうらしい。
ディスコ行って、知らない人と踊れる?
あたしは平気。
で、気が付いたら昔からいつも輪の中心にいる。
特に目立とうとしているわけではないのだけれど、世界中どこのディスコへ行ってもそんな感じ。
相手がどんな人でもかまわない。
相手のステップとかリズムとか、要するにそれだけのこと。
年齢・性別すらそーなると関係ないし、中には呼吸というかリズムの合う人がいると互いに楽しい。
疲れたり、曲が変わったら、「Ciao!」とか、「Thank you!」と挨拶して、連れの待つ席へ戻ったりするだけ。
どこの誰かもちろん知らない。
でも、知らない人が見たらカップルと勘違いされたりとか?
だから、ディスコだけはさすがに一人で行ったことはない。
そこなんだな・・・
誰かとあたしの違いは。
最初は誰でも恥かしいのかもしれないと思うこともある。
が、しかし、夥しい量の短歌を毎日詠んでいたためにそのような羞恥心などはない。
知らない誰かと踊れるということなのかもしれないな。
単純にダンスが好きなだけ。
連れがあまりダンスが上手ではない場合もあるよね・・・
でも、あたしが他の人と踊っていてもあまり文句を言われたことはない。
階段上れ・・・・か。
結局、ダンスもセンスなんだろうな。
というかね・・・サウンドが始まると勝手に体が動いてしまう。
なんか印象違うでしょ?
リズム感だけなのかもしれないな。
というわけで、うちのダンナは妻が詩人でも歌人でもダンサーでも何も言わない。
いちいちパートナーが他の男性と踊っているくらいで怒っているような男はダメね。
一緒にディスコへ行っても退屈なだけ。
そーゆー人は、ひっそりと壁に佇む女性をパートナーに選ぶべきだと思う。
それより、キラクにマイペースで飲んでいてくれる男のほうがいいな。
どーせ疲れて飽きて戻ってくるのがわかってるし?
もともとが一人でいるほうが好きなのよね・・・
でも、ダンスは一人で踊るものじゃないような気がする。
短歌か・・・・
というわけで・・・
at 2002 05/30 02:34
誰がこのギャップを埋めてくれるのだろう?
----サイトをコミュニケーション・ツールにするな!
あのですね・・・
チャットをするほどキーを打つのが速くない人たちが世の中にはたくさん存在しているんです。
だからカキコミュニケーションなんですよね。
----今は簡単に誰でもサイトをつくれるんですよ(*^_^*)
----ねえねえ、りんちゃん、パソコンってどーやって終了したらええの?
(;゜〇゜)
そーですね・・・
とりあえずメルアド作って・・・・・・・・・・おきますね(^_^;)
で、ハンドル名どーします?
----え?
・・・・・・・・・数々の障害を乗り越えて、無事にインスタントサイトを作ったとしても、いきなり来訪したとたんにトロイの木馬攻撃か(;゜〇゜)
----もーええわ・・・・
・・・・・・・・・ほんと、あたしはネットで一体何をしているんでしょうね・・・?
バーチャル・コミュニケーションか。
なんかね・・・・
なんかなのよ。
ニックネーム
at 2002 05/30 00:31
日頃、短歌などをのんびり詠んでいらっしゃる人たちは高齢な方が多いかもしれません。あたしなどはにわか歌人どころか単なるネット歌人だしキラクなものなので、「今は簡単にサイトも作れるしそういう交流もあるんですよ・・」などと言っても作らないですね。
自分の作品を知らない人たちに読んでもらうということに熱心ではないのかもしれないし、それ以上に、「ハンドル名」というのがとても抵抗があるらしいのです。
或る程度年齢を重ねると、ニックネームで呼ばれること自体が少なくなりますし、大抵は、学生時代からの付き合いだったりする人たちがほとんどではないでしょうか・・・
ところが、ネットに参加するとなると、ハンドル名を考えなくてはならないという・・・だから、ネットをするのが恥かしいなどと言われたりすると、どーやってお答えしたらいいものやら困ります。
大抵は、一生懸命、ハコの扱い方を覚えるだけでも精一杯でイヤになってしまうのに、それが出来てもどこへメールを書けばいいかわからないとか・・・もしかするとそれがごく普通の感覚なのかもしれないと近頃反省してしまっています。
ネットの暗闇に慣れると、逆に個人情報が漏れることを懸念しなければならないのよね・・・未だに理由がよくわかってないんだけど、皆にダメだと言われるからそんなものかもしれないと思っているだけというか・・・だって、実名使ってる人のほうが多いから、あたしみたいにハンドル名で遊んでいるほうが逆に恥かしいと思うことなどもあったりして。
ハンドル名だと、ついおバカになってしまう?
・・・・・・・・・・・いえ・・・もともとなんですぅ・・・・・・・・・・( ̄▽ ̄;)
相乗効果
at 2002 05/29 21:48
常々心配したりしていたのですが、変態同士が仮に仮想空間から飛び出してしまった場合どーなるか?という答えが見事に描かれていた事件が発生して、これも一種の猟奇事件の一つにはならないほどにネットには変態が徘徊しているのかもしれないという怖ろしい事実を想像すると、そちらのほうが怖くなったりしますね。
バーチャルという空間はあくまでも仮想空間でありますが、人間というものは朱に交われば紅くなるというくらい簡単に他人のメンタリスティックな状態が移ったりします。
一般的にはサイトに自分のヌードを貼り付けている主婦が居るとすれば単なる変態です。
ところがネットというところは簡単にそういうことができる土壌が用意されてしまっている。
風俗産業の人たちからすればその程度のことでは商売にはならないのかもしれませんが、一般的に生活している人たちにとってはどーでしょう?
恋愛詩を書いてるだけでテンションが高いと言われたこともあるくらい何かどこかが違っている。
社会的に異なる背景文脈を持つ人たちが同じ空間に集まることにより描かれる空間は互いに面白い要素もあるかもしれません。
ところが気が付けばそういうことにいつの間にか慣れてしまう。
それが人間です。
あたしは、「汚染されたくない・・」と言ったりするんですけど、そこまで言うと叱られてしまいますが、他人の当たり前が自分の当たり前になってしまう”場”というものを考えてみると人一人の大きさがいかに大きいか恐ろしくなるほどです。
人間が複数集まれば、さらなる相乗効果が生まれてしまう。
”出会い”とはいうけれど、変態とは出会いたくないよね。
アートな友達ならいいけど・・・
セフレ募集みたいなBBSを出会い系などと呼ぶのをやめてほしい。
「荒らしの墓場」という仮想空間へ・・・
at 2002 05/28 09:03
いわゆる荒らしというか、感情的になってしまった人たちが、自分の板への乱入だったりすれば、そそくさと削除するか無視するのが手っ取り早いということに気が付いたのですが、他人の板に自分の誹謗・中傷を書かれてしまった場合どーするか?
しかも管理人が削除をしてくれないとか・・・
もーね、「隠喩・暗喩」、「作り話」、「単に怒らせたいだけ」、「第3者にはわからない程度に書く」とか、数々の誹謗・中傷を掻い潜ってきたあたしとしては、「全部、自分のサイトのネタにしてしまう」、「正攻法で論破する」、「気長に相手が落ちるのを待つ」などなどいろんなことを試しましたが、一番簡単なのは管理人を怒らせることだと・・・
来訪者同士がドンパチしている分には、大抵の管理人は知らん顔していることが多いと思います。
書かれた側の話を聞いて削除すれば書いた側が怒るし、そのまま放置しておけばどちらも書き手だった場合、ますますエスカレートしてしまうことも珍しくない。
自分のサイトに無関係な話を持ち込まれた場合、管理人としてはひたすら無関係であることをアピールするしかない。
が、しかし、書かれた側としては、管理人が消してくれないとなれば、自分で書き続けるしかない。
よくね・・・カキコを削除されて怒ったりするでしょ?
実際、あたしも削除されて気分が悪かったこともある。
何かというと、都合の悪いことはメールとかね・・・そんな感じ。
悪いことにメールというのは関係者が複数になってくるとますます混乱してしまう原因になったりするし・・・
まぁ・・・削除を卑怯と思っている管理人が案外多いことに驚いたけど。
問題は、感情の嵐を処理しなければならないのよね・・・
ネットだと一体何をそんなに怒っているのかその原因すら不明なこともあるのに、不愉快さだけが独り歩きしていることもあるし、その辺の判断もややこしい。
機嫌の悪い人と一緒にいると機嫌の悪さが移るが如く、機嫌の悪いカキコを読むとそれが移ったりするし・・・なんかすべてがややこしい。
というように、仮想空間が感情の嵐になってしまった場合、その場を提供している人間(一般的には管理人)が関与しないことにはどーにもならない。
しょせん他人の板だったら尚更よね・・・
思い切ってやっちまいましょう!(何を?)
なんか近頃無責任なのよね・・・
荒らしの墓場。
どーやったら「荒らしの墓場」という仮想空間を構築できるか、まだまだ試行錯誤は続いていきそーです。
サングラス越しの海
at 2002 05/27 23:11
フローズン・ダイキリなどをシャーベット代わりに飲みながら、サングラス越しに海を眺めるとちょうど今のうちのサイトの壁紙のような感じ。
そんなことをうすらぼんやり考えながら、夏の海でぼーっとしながら、あたしが今サイトで日記のネタにしているような類の話を考えているのが好きだ。
これは今に始まったことではなくて、昔から・・・・
いろんな書き方があるけれど、結局、どんどんテキストのレベルが上がっていく気がする。
理由というのが情けない。
あまりにもわかりやすく書いてしまうと、”かっち〜ん”とくる人の数が増加してしまうから・・・
いいんだけどね・・・
あたしが自分のサイトに何を書こうと勝手だ。
どうもね・・・
あっちからもこっちからも何か言われる。
世の中には、自分のヌードをサイトに貼り付けて叱られない人たちも存在しているというのに、そんなことを普通の主婦がやっていたらただの変態だ。
研究している人たちにすると、恋愛ネタを書いているだけで俗っぽい印象を持つらしい。
あっちからもこっちからも、だ。
なんでこんな階層化があるのかと思うくらいだ。
そんなことをウダウダ考えながら、だんだんコムズカシク書くようになってしまった。
最初からじゃないのよね・・・
ごく日常的なことから書き始めて、それがいつの間にかトーンが変化してしまったのは、パラノイアが原因。
もーね、このネットにまつわる恋愛・不倫騒動みたいな妄想にはひたすらウンザリ。
自分には関係ないと思っていても、そうは思ってくれない人たちが存在する。
だから、階段を上れと言われてしまう。
短歌がね・・・すったもんだすれば、賞を取っちまえば関係ない。
別に、一杯飲み屋BBSできゃいきゃい遊ぶために短歌を詠んで、「仲間、仲間」と遊んでいるわけではないということをあっさり語れる。
あまりにもナンパな主婦だと思われてしまうノリの軽さがあるために、だんだんテキストのレベルを上げざるを得ない。
ビーチでビキニ着て、”不二子”やりながらバタイユを読んでいるのは罪悪か?
推理小説じゃなくて、バタイユというところがミソなのかな。
眩しい太陽とすごく相性がいい気がする。
潮風が彼の毒を吹き飛ばしてくれる。
鬱々した気分で、サングラス越しの太陽はやさしく、それでいて海は輝いている。
誰にも何にも言わせない・・・・・か。
だからダメなんだよと言われても、それがあたしだ。
ごちゃごちゃ言われたら、写真でもアップする?
要するにそういうことなのだと気が付く。
サイトに写真をアップしてはダメな理由も、アップすればパラノイアが消える理由も、”女は顔”だからだ。
父は正しい。
女をやってると男がウザイ。
学者やってると女がウザイ。
歌人やってると学者がウザイ。
だんだんあらゆることがウザクなってしまうので、だんだんタカピーになっていってしまう。
自分が自分でいられる時間か・・・・
家で昼寝している時間だったりして。
面と向かってお話します?
at 2002 05/27 01:51
よく思うというか言われるんだけど、お話する時に相手の顔を見ながらお話することってどれくらいありますか?
というわけで、テレビ電話ってヘンでしょ?
バーチャル・コミュニケーションで大事になってくるのは、よりリアルに近い感覚。
となると、音声とか?
これはヘッドフォンなどを使えば今でも可能だし、下手な演奏でも酷い音を我慢しながらリアルタイムで聴ける。
メッセンジャーにバチバチ写真を貼る?
撮る角度もそーなると自分の目線でとらえていたり、走っている車で撮影したトンネルや標識、見てきた風景、一緒に遊んでいる仲間の写真とか?
人間の知覚そのものがむしろ仮想空間みたいなものであって、インプットされた刺激が脳内で処理されているに過ぎない。
だから、刺激自体が実際に存在しているものであっても、体験していることであっても、単に本を読んで脳内仮想空間的空想を追体験したりしていることでも変わらない。
というわけで、バーチャルな世界でのコミュニケーションというものは極めて面白い代物なのであります。
問題はね・・・・刺激の種類なんだと思う。
男性というのは視覚的な生き物らしく、よくサイトに写真をアップしてはダメだとかね・・・言われるし。
女性の写真を見ると視床下部が刺激されてしまうらしいのです。
つまり、性的な興奮に繋がってしまいやすい。
特にアダルトな写真じゃなくても、ごく普通のスナップ写真でもダメなんだそうです。
これは女性にはわからないです。
中にはアイドルの写真を眺めるような感覚で眺める人もいるかもしれないけれど、何かどこかが違っているような・・・
仮想空間の中でのコミュニケーション・・・
なんかね・・・・あれもダメ、これもダメ、って言われるとどーしたらいいのか近頃困惑しております。
暗闇に目が慣れると、結局、あちこちで発生するトラブルは大抵は”恋愛”絡みなんです。
なんでそういうことになるのかわからない・・という人もたくさんいらっしゃると思うんですけど・・わからないですよね・・・
アダルト・サイトや出会い系のサイトを運営しているわけでもなく、酷いとBBSのカキコですらそういうトラブルが発生すると、嫉妬妄想・関係妄想・恋愛妄想の餌食にされてしまうという恐ろしさ。
コミュニケーションということだけで考えると、伝達手段はネットでも普通の電話でも直接話していようと、結局は伝達する内容と意味と意味合いと関係性が問題になるだけ。
だから、そういう意味で、バーチャルという仮想空間でのコミュニケーションも面と向かってお話するようなコミュニケーションも質的には何も違いは無い。
人間のコミュニケーションというものが存在している以上、ツールはツールに過ぎないから。
極めて慎重に行動しなくてはならないという息苦しさをネットに感じるというのは自分が描いている仮想空間が歪んでいるからなのかもしれないけれど、一体、あたしがどんな刺激を提示しているというのだろう・・?
誰か知っていたらおしえてほしい。
ツールはツールに過ぎない
at 2002 05/26 08:38
あっちでもこっちでも・・・という感じ。
自分に起こり得ることは他の人にも起こるということなのね・・・
未だにパソコンを計算機としか思ってない人たちからすると、今のインターネットというのは極めて不思議な世界なんだろうな・・というのが何となくよくわかるというか・・・
人工知能の研究とともにどんどんハードが進化する中で、人間だけは変わらない。
道具を使うのは人間だから・・・
ただね・・・
問題は、バーチャル・リアリティ(仮想現実感)という架空の世界の延長線上でしか未だにネットを考えられない人たちと、インターネットの普及に伴い、ごく普通の人たちが同じフィールドでかち合ってしまっているということなのかもしれない。
自分のスタンスの問題なんだろうな・・・
ネットにこころの繋がりを求める人たち・・・
仮想空間の中でのコミュニケーションが癒しになっているのよね。
だから、何かあるとすったもんだしてしまう。
もっとも今の時代はどーなのかな・・・
ネットは単なるコミュニケーション・ツールだと語られてしまうとまさにその通りのような気がしてしまうし、出会い系などだと携帯で知り合ってそのままラブホか?
とりあえず自分のサイトが平和ならそれでかまわないような・・・
近頃、無責任なあたし。
良いHPか・・・
それってクソ面白くもないサイトのことなんだろーか?
ネットといえば、ニフのフォーラムとか、HPとか作って知り合いに教えたり・・・
そーゆー時代はもはやどこにも存在しないのかもしれない。
インターネットサーバ上にある以上、しょせんチャットだろうとメールだろうと単なるバーチャル・コミュニケーション。
弟とメールのヤリトリしてたって、バーチャル・コミュニケーションなのです。
隣の部屋に居る人とチャットで話していてもバーチャル・コミュニケーション。
つまり、コミュニケーション・ツールとして考えた場合、ツールはツールに過ぎず、どんな人とどんなコミュニケーションを取っているか?
というだけのことなのね・・・
だから、いつも問題になるのは「関係性」。
でしょ?
Virtual Communication
at 2002 05/26 10:32
めずらしくサイトの更新をさぼって、あたしが一体何をしていたかというと、実は
Virtual Communication と Verbal Communication
の違いについて調べていたのであります。
Virtual Reality
というのが『仮想現実感』という意味であるならば、Virtual
Communication
というのは『仮想(偽の)コミュニケーション』という意味でしょうか・・・
つまり、人間の知覚というものが実に頼りないもので、ころころ変わり騙されてしまいやすい代物であることを利用した偽のコミュニケーション・・・
これが実はバーチャル・コミュニケーションの正体なんですよね・・・
知覚刺激を提示することにより、遠隔地にいる人と仮想的にコミュニケーションを図るというのがその狙いであるかもしれないし、医療などでは痴呆症の治療などに応用されているのかな・・・
擬似体験することにより、実際には体験したことのない世界を体験する。
そしてその架空の体験が自身にフィードバックされ、知覚・思考・感情などを追体験するとさらなる学習が成立してしまうというややこしさなのでございます。
良いHPということで、一体、あたしが何を始めたか?というと、やはりより良い知覚刺激の提示かな・・・
もちろんタグなどの知識はあまり無いのでワザは無いけれど、それなりに空間を意識し出したということでしょうか・・・
ここで問題となるのが、Verbal Communication です。
これは言語を使ったコミュニケーションのことで、書き言葉はもちろん話し言葉やそれに含まれる音声のトーンなどももちろん含まれます。
あのさ・・・・
テレビ電話ってとてもつまらないと思う。
話している相手の姿が見えたからといってそれが一体何になるのかな・・っと思って。
問題はね・・・
「何を伝えたいか?」
ということなのよ・・・コミュニケーションというのは。
自分が今見ていることや感じていること思っていることを伝えることがコミュニケーションの第一目的かもしれない。
もちろん知識や情報、或いは必要事項の伝達など思考や感情などをまったく含まないヤリトリも伝達には違いないんだけど、人と人との出会いは複雑だ。
言葉・・・・
どうして相手にメッセを贈るか?
自分の気持ちを伝えたいとかね・・・
自分のサイトで単なる情報の羅列をしたがらなかったのは、そういう意味合いもある。
飽きちゃったからかな。
「そんなものは勝手に自分で調べろ!」
という感じが当たり前だと思っていたので、知識や情報を、わざわざ自分がコミュニケーション・ツールというか、遊びとして使っているサイトに並べたいだろうか?
そんなものを並べても言っても書いても、
「りんちゃん、わっかんな〜い・・」
という一言で終わってしまう。
相手にわかってもらえないことをせっせと陳列しても無意味だと思っていたからかもしれない。
ほんで偉そうに偉そうな話を偉そうな人たちとしてるって?
まぁ・・・・・誰が何を言っても関係ないかもしれない。
ハートかマインドか?
ってことより、今はどちらも大切な気がしているから・・・良いHPには。
著作者としての自分が・・・いる
at 2002 05/26 10:34
このサイトはね・・・
ひたすら自分のこころのゴミ箱にするために作ったサイトなのよね・・・
なんかね・・・
言いたいことすら言えないというかったるさをバーチャルな世界に感じて、それは一言で語れば「人間関係」を気にして言えないから、ひたすらウンザリして自分のBBSやサイトを作ろうと思ったにすぎない。
どーして世の中の人たちは言論の自由の欠如した生活を余儀なくされて、それでも黙っているのだか不思議・・・
何が、誹謗・中傷なんだか・・・・
まぁ・・・サイトというのは知らない人たちがたくさん来訪するわけで、伏線の見えない人たちにとっては書かれていることがすべてだし、そこから勝手な邪推をするだけのことだから結局は彼らの想像に任せておくしかない。
で、すったもんだするから大変なのね・・・
パラノイアと言っても、ほとんどが関係妄想・嫉妬妄想・恋愛妄想だもの・・・
まじに病気の人たちはもちろんそれ以外の人たちだってごく普通にパラノイアに陥ってしまう。
狂気と正気の間に明確なラインが存在していればいいのに・・と思うことがよくあるけれど、なんかね・・・はっきりしない。
女性の27%、男性の15%が生涯のうちに何らかのダメージを被りながら何らかの症状が出てしまうらしい。
ほんとわからないよね・・・
あまりにもネット人格にこだわる人たちや区分を明確にしたい人だと、人格統合障害を疑ってしまったりして。
とは言うものの、どーなんだろう・・・
あまりにも毎日書いていると、或る意味、このサイトに書かれているものは駄文も短歌もあたしの著作物。
それをたまに気まぐれにBBSなどに貼り付けてみると、それを読んだ人たちはどう思うのかな・・・
結局、一人の人に言いたいことは他の誰かに言いたいことだったりする。
もしかするとそれがライターというものなのかもしれないな・・・
一人の人に語っている言葉が他の誰かに通じてしまう?
最初からたくさんの人たちを意識して書いているわけでもなく、単に独り言を書きたいという理由で書いている。
一体、どうしてあたしは毎日更新してしまっているのだか・・・
短歌みたいなフィクション性の高いものでも個人サイトにアップしておくと、それをいろいろな側面からあたしという人格に結び付けて考える人たちが多い。
うまく説明できないんだけど、或るテーマがあって、それが「愛と平和」だったり、「テロ」だったり、「恋」だったりするとその世界で揺られている自分が存在する。
そしてその中から言の葉が飛び出す・・・
それは別にその時の本当の状況や過去に体験したことである必要性がなく、単なる想像の世界なのかもしれない。
トレードセンターへのテロだって、実際にその場に居合わせたわけではない。
それでも、抽象的な「テロ」という行為そのものについて短歌を詠んだり駄文を書いたりすることは可能であり、リアルな体験である必要性は欠如している。
それがフィクション・・・・
それでいて、自分という人間の想念の中から生まれたフィクションはまったくのフィクションであるというわけではなく、自分という人間との関連性は高い。
そして、そういうあたしのイマジネーションから生まれた世界が言の葉として独り歩きしてしまった場合、イマジネーションを通していろんな意見交換が発生したりする。
つまりはそれだけのこと・・・
ただ、いつも問題になるのは、著作者である自分とまったく素のままの自分が存在しているということなのかもしれないな・・・
テキストを読みに来てくれる人たちは、自分も書く人であることが多いので、何となくその辺の違いを理解してくれる。
コミュニケーション・・・・
何となく種類が違うような・・・
夥しい数のテキストを整理するのは大変だ。
のほほんと子どもを抱っこしながら、失恋の短歌などをアップしているのかもよ?
人格統合障害というより、その違いをどーやって説明すればいいのか、たまに混乱することがあるだけなのかな・・・
バーチャル・コミュニケーションのややこしさ。
今日も今日とて独り言は続く
at 2002 05/23 22:31
少女から女へ、女から母親へ・・・
という具合に人間には一連の流れの中で生き続けていく自分がいて、その人たちと上手に付き合っていかなくてはならない。
自分は変わらない・・・
役割が変わるだけだ。
役割が変わっていくことを、時に成長と呼ぶのかもしれない。
どつぼに失恋してしまった時などは、きっと酷く傷ついたりしているんだろうな・・と思いつつ、二度と恋愛なんかしないと言っていてもいつしか同じ病気にうなされていたりする?
お産などを考えると、二度と子どもなんか産まないという決意に燃えるのに、気が付いたら増えていたり?
ほんと、人間ってタフな生き物だと思ってしまう。
が、しかし・・・・
世の中には、そーやってタフになれない人たちもたくさんいる。
どーやったらそーやってタフに生きられるのか、実は一番知りたいのはあたしだったりして・・・
とはいうものの、そんなには弱くはないらしく、何となくノラクラしながらあたしは生き続ける。
良いHPか・・・・
その一言に考え込んでしまっている。
というのはね・・・
うちのサイトには致命的な弱点がある。
あたしが管理人であるということなのかもしれない。
こーね、アクセプタブルなサイトを作れない。
例えば、「いのちの電話」というのがあるでしょ?
誰でもいいからムショウに話がしたいとか・・
死にたくて死にたくてのたうちまわっている時って、知らない誰かの声を聴いて、ちょこっと話すだけで落ち着いたりするらしい・・・
知らない人のちょっとした笑みに救われたり?
もしもそのような人たちが間違ってうちのサイトに来訪してしまった場合、どーするか?
メルアドでも一生懸命探す?
BBSにカキコする?
仕事ならね・・・
大変だ。
クライアントさんに携帯を教えたりするでしょ?
夜中でも朝でも電話が掛かってくる。
24時間、仕事まみれ。
サイトでも、メールまみれだ。
うちのサイト、以前はとても閉鎖的なサイトだったと思う。
ログジャンプをしなくてもお得意さまがいるわけで、BBSにカキコがあろうとなかろうと来訪者がいるのね・・・不思議なことに。
BBSがメインコンテンツなどと言われていたのは、あたしがロジャース派のセラピストという単なるスクリプトだったのかもしれないし、実は、そーいう姿勢があるからラリーが続いたのかもしれない。
サイトはね・・・
基本的に電源をオフにしちゃえば終わりだ。
そしたら、リアルとバーチャルをわけすぎと言われた。
仕事が出来ないのは、子どもがいるからだ。
----でも、みんな、保育園に預けて働いてるよ?
そりゃそーなんだけどね・・・
研究しているだけならいいけど、人間相手の仕事はそういうわけにはいかない。
いっつもほかの誰かのお母さんだったり、みんなの先生だったりとか?
考えただけで憂鬱になってしまう。
みんなのお母さまならマリアさまがいらっしゃると思うのよ・・・
ヘンかな。
こころの問題なんだよね・・・
あたしという人である必要性のない人たちがあたしという人とお話をしたいというのはあたしが単なるスクリプトだからなのよね・・・
単なるスクリプトだからお話ができるという人たちがたくさんいるという恐ろしさよ・・・
そういう人たちは時に読書をしながら夜を過ごしていたり?
知らない誰かの言葉を模索することにより、知らない自分とお話できるようになるらしい・・・
あたしというスクリプトを通じて、自分自身とお話している人たちが存在しているとすれば、「良いHP」というのは来訪者が自分自身と会話ができるサイトなのかもしないとふと思う。
自分自身を発見し、自分自身とお話することにより、違う世界へ旅立てるのかもしれない・・・
がむしゃらに自分を描きたいという密かな願望とは裏腹に、どこか透明感を模索しながら、今日も勝手に手が動く・・・
あたしは気が短い?
at 2002 05/23 18:56
人間なんていつの時代も変わらない。
古今東西人間は同じように生きてきただけで、今の自分のつぶやきは過去の未来の誰かのつぶやきにすぎない。
一人一人の肉体が同じ仕組みを持つ程度に一人一人の精神も同じようなものだ。
一人一人の肉体に特徴がある程度に一人一人の精神に特徴がある程度の違いだ。
----良いHPって何?
唐突な質問であるかのような問いは、別に唐突というわけでもなく、同じ問いを神父さんにする愚かさに気が付いただけ・・・
HPは自己満足の世界らしい・・・
ネットをしているとサイトは箱庭だと思うことがよくある。
癒し系のサイト?
ずたずたボロボロの気分の時に作ると、すごく良いHPができる気がするのよね・・・
でね・・・
うちのサイトはいつも「癒し系のサイトではありません・・」って書かなければならないの。
その一言が誰かを怒らせるから。
----どーして怒るの?
いろんな理由があるけれど、幸せな人を見るとそれだけでクサクサする人たちがたくさん存在しているというだけのことなのね・・・
----りんさんは偉いの?
当たり前でしょ!
偉いに決まっています・・・・少なくても家の中では一番偉い・・・・・
家庭内ファシズムという言葉が象徴するように、我が家ではお母さんが一番偉いことになっているんだけど。
偉いという言葉が問題なのかもしれないね。
上からモノを申す時には、そりゃ偉くないと。
実際に偉いかどーかは別として、ガキとプシコに説教する時には気分だけでも偉くないとね・・・
もっとも、説教は嫌いだ。
どっちかというと、説教されやすいキャラでもある。
世間知らず、みつばち、ハムスター、らしいから。
ロジャース派のセラピストだったら、そりゃ説教なんかしないさ。
それよりも相手が自分で気がつくことが狙いだから。
でも、あたしはセラピストではないので、時々すべてがどーでもいい気分に陥ってしまう。
わからんヤツに何を言っても時間の無駄かもしれないという投げやりな気分というか・・・
ほんと、理解がなければ終わるだけなのね・・・
セラピーだけだと思っていたら、世の中の人間関係はすべてそんな感じらしい。
でね、一生懸命に誰かのことを理解したいとか、自分のことを誰かにわかってもらいたいという人々が答えのない答えを求めて模索している。
いわば人生というものに悩み、苦しみ、理不尽さを嘆き、いろんな答えを模索しているらしい・・・
結局、誰かの問いはほかの誰かの問いにすぎない。
それっくらい人間なんて変わらない。
人間なんていつの時代も変わらないから、「神さま」なんだって。
そーやって言われるとあまりにも正しくて反論できないことの一つのような気分に陥ってしまう。
事実、政治家を当てにするより、「神さま」?
少なくても世界平和なるものを念願するなら、そっちのほうが期待できそうな気がしてしまうけど。
一生懸命エッチしている高校生を説教したとしよう。
ムダだ。
結局、父さんや母さんが悪いんだって。
ガキだ。
が、しかし・・・・
世の中何でも親の責任なんだろーか?
だから、親は偉いのね。
責任を一杯背負って、それでもガキを養って、やりたいこともできないで?
アホらしくなるのも無理ないよね・・・
一生懸命自分を殺して生きてきて、ガキはいつまで経ってもガキで、それでいて生まれた順番までは変わらず、一度産んでしまえば自動的に親だからな・・・・
ガキがガキを産んでガキを育てる・・・
平和。
という感じ。
うまく説明できないけど、こういう感じ。
だからすべてがどーでもよくなってしまう。
かったるいから知らん顔しているほうが平和な気がしてしまう。
ほんと、あたしは気が短い。
良いHPへの道は険しい・・・
幸せって・・・
at 2002 05/22 19:10
今日は、お天気だし、サーフィンしていてもネタが見つからないので更新をさぼろうかと・・・
たまには、そーいう日があってもいいよね・・・・
大体、毎日更新するってことのほうがどーかしているのかも。
『日記』とは言うけれど、結構、ヘビーなネタを扱っているために書くほうも案外疲れる。
酔っ払いね・・・
パラノイアに陥りやすい人は、飲みながら、或いは飲んでネットをするのはやめておいたほうがいいかも。
ただでさえ自分の世界に揺られているのに、ますます妄想にのめり込んでしまう。
大抵が、嫉妬妄想とか関係妄想だもの。
その人のこころの中で成長してしまった妄想は、他人にはわからないです。
などと語りつつ、しっかり今日も更新しているあたし・・・
「あ、なんだ、そーゆーことだったのか!」
と思ってくれる人が一人でもいらっしゃる以上、嫌がらせされよーとどーしよーと、鬱々しながらサイトを続けていくしかないのかもしれません・・・
ご奉仕・・・・
溜め息・・
「温もり希求」
at 2002 05/21 18:42
ネットをしていると、言い訳がましく、
「女性の心理がわからなかったから・・」とか、
「女のホンネ」を知りたいと語る輩が結構多いことに気が付く。
が、しかし・・・・
風俗の人と話していてもね、ちゃんと彼氏がいて、結婚のことなどをマジメに考えていることが多い。
風俗で働いてなくても、いわゆる男好きというの?
ちゃっかり「1000人ぎり」とかわけのわからんことを言っていた女が、今では子沢山の母親してたりすることも珍しくない。
「アンタだったら、たしかに子ども増えるわよね・・」
などとは言わないけどね。
隠れて、みんな思っていたりして・・・・
そんなもんさ。
それよりもっと不思議なのは、相手にされないと知りつつ、どーして風俗嬢に恋してしまう男が多いのだろう・・・
援助交際している高校生の特徴は、いわゆる「温もり希求」というか、「金銭至上主義」であるあまり、ムショウに寂しくなって人肌が恋しくなってしまうらしい。
愛の無い家庭より、セックスに走る若者が多いのもそーいうことが原因だったりして。
というわけでね・・・
女という生き物に関する「永遠の謎」というのは少しも謎じゃない。
どーしてセラピストがこーゆーことを聞き続けなければならないか?
ってことなのです。
・・・・・・・・・・子どもは、たくさん抱っこして育ててあげようね(^_-)-☆
今日のご機嫌まではわからないの・・・
at 2002 05/21 22:58
プライミング効果というものがある。
誰かの言葉を悪く解釈してしまいがちなときって、大抵、機嫌が悪かったり、ムカついていたりしていることが多い。
何でもないときには何でもない一言が、精神的なダメージに繋がる。
この日記の冒頭に断り書きをしなければならないのは、そーいうことが原因でもある。
プライミングというのは、先行刺激の効果というか、例えば、引っ掛けクイズで、「ピザ」と10回言ってもらった後で、「ひじ」を差して「これは何?」と質問すると、「ひざ」と答えてしまいがちということに似ている。
先に「ピザ」と言わなければ「ひじ」と答えるのに、「ピザ」と言ったが故につい「ひざ」と答えてしまう・・・
「ピザ」が干渉刺激になってしまい、正しい答えを歪ませる。
相手が最初からムカついているのがわかれば少しは警戒するかもしれないけれど、バーチャルで書かれたものに対してムカつかれたりすると、一体、どーしてそーゆーことになってしまうのか理解に苦しむことが多々ある。
それを含めて、誤解と呼ぶのだろうか?
いつも思うんだけど、そこまで責任持てないよね?
明らかに誤解だとわかるケースはわかりやすい。
ところが相手が誤解だとは思ってくれない場合はどーすればいいのだろう・・?
ネットって、ほんとめんどっちーと感じることの一つに、こーいう誤解やら行き違いやら誤った感情誘発があるのよね・・・
あ、あの人、機嫌が悪そう・・・って思えば、警戒する。
が、しかし・・・・
そこまではわからんでしょ?
その日、その人に何があって、そんなに機嫌が悪いのか?ってことまではわからない。
それに、例えば、BBSなんかに書かれた言葉や日記などは時差がある。
10日前のカキコへのレスが戻ってきたりすると、このタイムロスはどーやって埋め尽くされていくんだろう?と思うこともあるわけで、その時々の気分や機嫌に左右されない分だけ、ラリーは時間が空いたほうが平和な気がすることもあるけど。
人のこころは刻一刻と変化するものだし、同じ言葉でも受け止められ方が全然違うのだもの・・・そこまで責任を持てない。
なんかね・・・
或る程度、ネットでも付き合いが長くなれば、それなりにコミュニケーションが成立している気がするんだけど、この時差と背景文脈のわからなさだけはどーにもならないと思うことがある。
亡くなったお孫さんの携帯が、メールが届くたびに点滅しているのを歌った短歌があったけれど、確かに今の時代を象徴している気がするよね・・・
リアルな知り合いだったら、お孫さんが亡くなったことくらいは知っているのに、メル友は知らない・・・
「なんでメールにレスくれないの〜!」
って思ってたりして・・・
バーチャル・コミュニケーションのムズカシサ、ややこしさを感じる今日この頃・・・
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