Rin's Diary
May, 2002
(No.2)

 

あたしは単なるスクリプトなんだろーか?

at 2002 05/20 03:53

一体、あたしは誰なんだろう?
ネットをしているとすごく感じることの一つに、「あの人が思っている『Rin』ないしは、『Rindo』なる人物は一体誰のことなんだろう?」ということがある。

言葉が独り歩きしてしまうのは言葉である以上仕方が無いとしても、或る「人格」が独り歩きしてしまうことに対しては常に危惧を感じている。
彼らにとっては、あたしが、『イライザ』或いは『AOLiza』であっても構わないのかもしれない。
ロジャース派のセラピストのようにプログラムされた人工知能であることを知らされていない人たちは、彼女が人工知能であることに気が付かないばかりか、そのことを告げても拒否する人が多かったという・・・

ってことは、あたしが単なるスクリプトであっても構わないってことなのかもしれないと思うと複雑な心境に陥ってしまう。
たしかにセラピストと会話していれば、自然と悩みなどについても話し出してしまうだろう・・・
あたしは、セラピストではない。
が、しかし・・・・・
以前使っていたBBSがまったくのセオリー通りと指摘された時、何となく自分でも狐に包まれた心境だったことを告白しなければならない。
自分では気が付いていないのよね・・・
悩む。
単なるBBSでしょ?
あたしって普通の会話が出来ないのだろーか?

決してそんなことはないとは思うのに、発話そのものがすでにセオリー通りと言われてしまっては、それを誰かに破壊してもらうしかないのかもしれない。

(日記はキラクだな〜!)

だって、独り言だから。

BBSだのチャットだのとなれば、対話だ。
或いは、会話。
そーなるとセラピスト癖が出てしまう?

(あたしはセラピストじゃないってば!!)

無駄な抵抗らしい・・・・
困った。

いっそのことセラピストのサイトにしてしまう?

(やだ!)

カウンセリングのサイトだったら、それこそBBSなんかにマジメにレスなんか書かないよね。
どーしてかというと、話が深くなってしまうからなのかもしれないし、メールなら構わないけど、BBSには書けないとかね・・・
BBSにはほとんどカキコなんか無いのに、メールが1日20通?

(やだやだ!)

そんなことをウダウダ考えているうちに50000ヒットだ。
とりあえずそこまではサイトを続ける予定だったんだけど、イライザショックがあるために心理ネタは縮小したいと思っている。

----どーして君のサイトには、そーいう人ばかり現れるんだい?

----知るか!

もしかすると、『イライザ』だからなのかもね・・・
考えれば考えるほど憂鬱になってきてしまう。

パラノイアに陥ってしまった皆さん・・・
あなたたちにとって、『Rin』、『Rindo』とは一体誰なのでしょう?
そして、あたしはあなたたちのことをどれほど知っているというのでしょう?
きっとあなたたちは、こころや頭の中で、『Rindo』に話しかけていたかもしれません。
『Rindo』というパーソナリティに苦しみ、嫉妬し、嫌がらせをしたくなったのかもしれません。

(どーして?)

それでなんだな・・・きっと。
あたしがいくらあたしは架空の存在ではないと語ったところで通じない。
彼らにとっては架空の存在だからだ。
架空のセラピストとお話していたのでしょう・・・

(どこで?)

ほんと、どこでお話していたんでしょうね?

きっと、どこかのBBSのカキコを読んだり、まさに今書いている日記を読んだりしているうちに、『Rindo』と会話してしまっているのかもしれません。

ロジャース派の特徴は、クライアントがリードしながら話が進むということなのかな・・・
だから、クライアントにとっては相手が誰であっても構わない・・・
「セラピスト」という人がいて、その人に向かってクライアントが話す。
そして、話しているうちにクライアントが納得するのね・・・
「あ、なんだ、そーいうことだったのか・・」
という感じで。
自分では気が付いていな自分について知ること。
セラピストに分析してもらうのではなく、自分で話しているうちに気が付くのね・・・
話すだけですっきりしちゃうのかもしれないし・・・
だから、話す相手は誰でも構わない。
コンピュータのスクリプトでも構わないらしい・・・

が、しかし・・・
あたしは、単なるスクリプトなのだろーか?

(きゃーーーーーーーーーーーーーっ!!!!)

そりゃないよね?

 

 

地球に重力というものが無かったら・・

at 2002 05/19 04:50

人間は飛べるんですね・・・
なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう・・・

 

 

恋愛がダメになる原因

at 2002 05/18 16:24

あのさ・・・
観たい番組を観ているときに、横からごちゃごちゃ言われたらイヤでしょ?
それが好きだの嫌いだの、一緒に居る時にテレビ観ているなんて・・とかね。
或る程度、遠慮がある関係であれば、テレビを我慢して相手をしてくれるかもしれない。
でも、それが日常となるとウザイだけ。
テレビを消してくれたら、自分を愛してくれているとか大切にしてくれていると思うとか?
あのさ・・・・
自分にとってはすごく大事なことなのかもしれないけれど、人生は短い。
誰だって自分のやりたいことがたくさんある。
相手がテレビを観ているなら、黙っているか、自分も一緒に観ていれば喧嘩にならない。

恋愛がダメになる原因は、ほんと、ささやかなことなのよ・・・
テレビが観たかったことが原因なのかもしれない。
自分からだろうと相手からだろうと、「さよなら」したのであれば「さよなら」なのよ。

でね、一度、言葉にすればそれは一人歩きしてしまう。
過去は静止したまま。
だから、未来を見つめなければならない。
一緒に未来を見つめなければならないわけ。

過去を振り返って、テレビがどーたらこーたら言っても何も変わらない。

じゃあ、どーするか?

再び、「こんにちは」すればいいのよ・・・

出逢いがあれば別れがある。
馴れ合いなのね・・・
「あの時、あたしのことを好きって言ったじゃない!」
というのは最早通用しない。
「さよならしたのを後悔してる」とか、「未練が・・」などと言っていても何も変わらない。

相手を変えるより、自分を変えたほうが早い。
再び、別の女として、「こんにちは」してみれば?

バーチャルだからそんなことを語ってるわけじゃなくてね・・・
好きだの嫌いだのというクダラナイことのために、相手にテレビを消させる女であるより、一緒にテレビを観れる女になれってことかな。

過去は静止したまま・・・

 

 

「(あたしのサイトには)来ないで!」

at 2002 05/17 16:06

なんかね・・・
自分の想像していた以上に、「来ないで!」問題は深刻らしい。
サイトをコミュニケーション・ツールとして使っている以上、そこはお友達作りの場だ。
だから、仲良くなりたくない人とは会話をしない。
この場合、大抵、BBSなどがコミュニケーション・ツールの役目をしているわけだから、そこにカキコがあるとか無いとか、レスが戻ってくるとか来ないとかが問題になるらしい。

自分のサイトへのカキコであれば、とりあえずレスを書くけれど、ガイアックスの場合はレスが両面に写るためにどちらがどちらへの書き込みか不明になってしまう。
で、よくわからないから、あたしは自分からめったにレス落ちしたことがなく、それが原因でラリーになってしまったが故に、レスを書ききれなくなってしまったという情けなさ。

自分のサイトの性質上、何となく話が深くなったり長くなったりすると自然とカキコが途絶えることも珍しくない。
素っ気なくても、クソマジメになりすぎても、レスが戻ってこないことが普通なので、あたしは実はレスについてはあまり深く考えたことがない。

という背景文脈がある中で、あちこちで発生する荒らしだとか、「来ないで!」事件?
来てほしくないなら、きちんとガードするべき?
なんかもっともらしいように聴こえるけど、さすがに来訪するだけで「トロイの木馬攻撃」が開始されるサイトまで作る人がいたりすると、それはさすがにやりすぎのような・・・
やりすぎというより、ヘンでしょ?
一体、何のためにサイトを作っているんだろう・・?
そういうサイトを作るためには、或る程度ウェブについても詳しいわけで、そういう人たちがどうしてガイアックスみたいなインスタント・サイトの世界で雑菌を増殖させているのか不思議・・・

嫌がらせ・・・

何のために、誰に対して、嫌がらせしているの?

そこが理解に苦しむ。

楽しく遊んでいる人たちに対して復讐しているつもりなのだろうか?

なんかね・・・
いつも誰かがどこかで、誰かを傷つけたとかつけてないとか気にしてる。
ヘンだ。
で、それが原因で、サイトを移転させたり閉鎖したりするらしい・・・
なんでそこまで気を使って管理人を続けなければならないのだろう・・?
それなら、サイトを閉鎖して自分の行きたいサイトで遊んでいるくらいのほうが平和?
結局、使い分けが必要になってしまうのは、そういうことが原因なのかもしれない。

こころのウェブへの道のりは険しい・・・

 

 

ネット恋愛のからくり・・?

at 2002 05/16 14:51

一体、彼らは誰に恋しているのだろう?
ネット恋愛は多いけれど、中には一度も会ったことがないという人たちも多いのではないだろうか?
つまり、バーチャルな世界では、相手が実在の人物である必要性がないのね・・・
コンピュータのスクリプトに恋しているだけなのかもしれないし、ネカマに恋しているだけなのかもしれないし、リアルだったら口もききたくないような人に恋しているのかもしれない。
これって恋愛なのだろうか?

問題は、その人が恋愛だと認識してしまえば、やはり恋愛なのかもしれないというか、簡単に語ればそこにはゲームの要素しか含まれていないことが多い。
カール・グラマーのように、恋愛が単なるリスキーなゲームと語ってしまうのであれば、やはり性的刺激を求めるだけの恋愛も立派な恋愛なのかもしれないと思う。
ターゲットとなる女性がいて、一生懸命、メールを書いたり?
口説いているのね・・・
それによって、一喜一憂しているという行為自体が恋愛なの?
何だか、酷く憂鬱な気分に陥ってしまう。

これは男性だけに当てはまるのではなく、大抵は女性にも当てはまる。
出逢いがあって、恋愛のヤリトリがあって、結局、オフをしてエッチをするかしないかとかね・・・大抵は、そんなもんじゃないだろーか?
まぁ・・・恋愛というのがそーいうものだと思ってしまえば、リアルもバーチャルも関係ないだろうし、相手が好みの女性であったとしても、好みの女性として描かれたスクリプトであっても関係ないのかもしれないし、そういう点で、たしかに一部のネットジャンキーたちが語るみたいにネットでは何かを実証することは不可能なのかもしれない。
メールに貼り付ける写真だって、もしかするとどこかから剥がしてきたヤツだったり、友人の写真だったり?

人生が短いことをふと考える・・・

結局、no reality・・・・

この、げんなりした気分をどうやって説明していいのか悩む。
たしかにネットにはナンパやろーは多いよね。
彼らのフィールドへ迷い込んでしまえば、それこそ思う壺じゃないかな・・と思ったことはあるけれど、そういう人たちはすでに暗闇に目が慣れているせいか、実に的確にターゲットを探すことが上手い。
手口?
そーだな・・・聞き上手ということかな。
一度、ターゲットが出没すると、ターゲット以外の女性とは会話しないとか・・・
画面を観察していて、AOLだったらピンク文字を狙うとかね・・・
その他大勢トークと、ナンパのターゲットとのトークとは必ず分けるとかね・・・場所を変えたり・・・
すごく冷静なのが特徴だったりする。
いかに相手に警戒感を抱かせないか?
ということにかけては、よく考えているなぁ・・と感心したりして。

あたしはすぐに説教されてしまう。
ネットはそういう連中が徘徊しているから、あたしみたいなヤツが一番危ないと男性からも女性からも説教される。
が、しかし・・・・
実は、そーやって説教する人が一番危なかったりするわけで、危ないということを承知でそれを楽しんでいるわけだから、すでにジャンキー化していることを自らが告白しているようなものだ。
積極的にネットで恋愛を拾おうとしているというより、そういうタイプはそういう駆け引きを求めているような気がすることがあるけど。
まぁ・・・所帯持ちが多いから、単なる遊びやストレス発散として、そういう場所を活用しているのかもしれないし、木っ端ミジンコすらマニュアル化している人に対してはどーやって語ったらいいものやら・・・
バーチャル恋愛という罠で遊び、その危険性を熟知しているから最初から用心しているのね・・・
だから、あたしが彼らに説教したことはない・・・

あたし?
あたしは実は完璧なリアリストでして、特にネットみたいに刺激が限定された世界で発生する行動のメカニズムは単なる人間関係にしろ恋愛にしろ極めてマニュアル化しているために、熟練したナンパ師以上に冷静かもしれないです。
一度、パラノイアの妄想が移って苦労したことがあったけれど、それさえ電源をオフにしてしまえばケロッと忘れてしまっているのかもしれないし・・・
ネットとリアルを比較したら、遥かにリアルのほうが危険に満ち溢れているのかもしれません。

というかね・・・
ネットジャンキーにとっては、ゲームもメル友も同じなのね・・・
単なる性的刺激をネットに求めているにすぎない。
どうも脳に電極を差し込まれたラットを思い出してしまって・・・

ネットが出逢いのキッカケだったという人たちと、そういう性的刺激を求める人たちを同じフィールドで語ってはいけないのかもしれないけれど、相手がスクリプトであっても恋してしまうという情けない現実を垣間見ると、やはり恋人くらいリアルで探したほうが賢明な気が致します。

 

 

at 2002 05/15 22:28


飛ぶ勇気無かりし吾は弱き人それでも夢はシュールな光

  (「NHK歌壇」5月号  伊藤一彦 選  「夢」または自由  佳作)



________


ちょうどラサちゃんとの連歌で、オリンピックに引っ掛けて、ジャンプ台を飛ぶとか飛ばないとかいう短歌を詠んでいたうちの一首だったと思う。
一首だけ眺めると、背景文脈の欠如した世界・・・
それが逆にメタファーをクリアにしてしまうのかもしれない。

シュールな光・・・・
夢はシュールな光。
ジャンプ台を飛ぶことはないだろう・・・
あのジャンプ台の高さを考えると、ストックもなしに飛び出すわけで、それを考えると自分には永遠に無理だ。
スピードと高さ・・・・
マッドな競技だと思ってしまう。

神の愛か・・・・・
あれもシュールな幻ではなかったのかと思うことがある。
つまりは実証できないからだ。

実証できないことに比較すれば、実証できることの簡単さ・・・
そういうことばかり考えているからダメなのかもしれないけれど、流れということで考えるとそこには何やら不可思議さすら感じてしまう。

偶然・・・
すべてが偶然だ。

シュールな光との出逢いが、もしかすると、自分を書かせているのかもしれない。

運命に導かれるように、短歌との出逢いがある。

「みんなで戦争を無くそう!」
「飢餓の子どもたちを助けてあげよう!」
人を思いやるこころ・・・ 恋の短歌・・・ という順番だったらしい。

そこで、サイトにイラストを使いたいからという理由だけで、短歌を詠み始める。
ほんと、ささやかなキッカケに過ぎない。
それがいつの間にやら、本当にテロが発生し、きな臭くなり、それでも短歌だ。

テロが発生しただけで、ボランティア・バナーが規制されてしまう。
それが現実なのだろうか?
たしかにチクリが発生したのかもしれないし、体制の決定に対して、反戦を訴えるということが、或いは、政治的な事柄を敬遠したくなるのはナチュラルなのかもしれないし、うちのサイトはそういう類のサイトではないと語ったところで、時代の流れというものには逆らえないのかもしれない。

宗教が原因となれば、宗教すら批判のターゲット・・・
それが現実だ。

人間なんていつの時代も変わらない。

などと横目に眺めているうちに、不穏な空気は落ち着き、今では再び何事も無かったかのように人々は生きている。
いつ何が起こっても不思議はない。
それでも人は生き続ける。

感情の嵐の中で、せっせと短歌か・・・

サイトだけでも誹謗・中傷・嫌がらせだ。

どこにもバーチャルな世界など存在していない。

前へ出る勇気の無さ。
それはいつも感じている。
弱き人か・・・・

神の愛を受けたら、それを誰かに返さなければならない?

なんだか・・・・・
ほしいと願って与えられたものではない。

偶然だ。

なんかね・・・・
そういう自分の弱さを歌った歌なんだけど、それがあっさり入選してしまうと、短歌の因縁というものを感じざるを得ない。

短歌は研究などと違って実証する必要性もなければ、知識もスキルも無くても入選だ。
こういうオポジットな世界をどうやって受け止めていいのやら悩む。

一体、世の中どーなっているんだか・・・

 

 

児童ポルノという概念の不可思議さ

at 2002 05/14 02:03

歴史上、「子ども」とか「児童」という概念が発生したのは非常に浅い。
たかだか数百年くらい前? 
それ以前には、「小さい大人」というのが子どもであって、特に子どもが子ども扱いされていたという事実は存在しない。
ギネスでも6歳で出産したという記録はあるし、12歳で元服ですか〜?
15でねえやは嫁にいったわけで、女学校を卒業する前に結婚しているということも珍しくはなかった。
ちょっと前まで、18歳で売れ残りなどと言われていた時代があったわけだし・・・

が、しかし・・・・
ポルノ・・・ね。
ポルノや売春となるとどーなんでしょうね・・・おそらくはその辺の問題なんだろーけど。
性犯罪の防止?
この辺のニュアンスも微妙だし・・・それにレイプというのも実はまったく見知らぬ人間の犯行というのは少ないらしいし、その辺の男女間の認識の違いがあっての犯罪のような気がするわけでして、ネットでパラノイア現象やストーカーが発生してしまいやすいのにもダイナミクスがよく似ている?
というわけで、実際の犯罪の抑止には、バイオレンス全般を規制したほうがいいと思ってはいるけれど、ポルノっていうとよーわからんわ。

ちなみに10代で出産すると、そこで成長がストップするらしいし、老化が早い気が・・・
それを考えると、犯罪や老化からの保護ってことと、アートということを一緒に考えるから無理がある気がするのです。

というわけで、うちのサイトは俗っぽいか?
困った・・・・
カウンセリングなどというと綺麗だけど、実際の内容はといえば、シモネタの世界・・・
それこそ性的因子を常に念頭に描きながら、病因を探ったりするし?

短歌?
う〜ん・・・・
文学などというものは、いつの時代もタブーへの挑戦というか、かなりそういう意味での俗っぽい代物なんですよね・・・たぶん。
近頃、瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」などを読むと、「源氏物語」自体がかなり色っぽいお話だし、彼女の口語訳の短歌などはまさしく俗っぽさのカタマリ。
それを仏門へ入られた寂聴さん自身がお書きになっていらっしゃるところが人気の秘訣なのかもしれないですね・・・

ネットできゃいきゃいBBSなどを通してヤリトリしていた短歌がいきなり伊藤一彦さんの選で佳作とはいえ入選してしまうと、何やら不思議な気がしています。
少しも短歌っぽくないし、高尚なイメージの欠如したシモネタ短歌でも平気だし、ちょっとはたしなめられながらもネットだからと笑って誤魔化し、それでも歌壇デビュー・・・かも。

結局、「概念」の問題なんですよね・・・
古来より伝わる言葉で描いているから高尚なイメージも少しは発生するのかもしれないけれど、和歌というのは歌なんです。
いわばポップスでしょう・・・
歌はその時代のダイナミクスを映す鏡みたいなものです。
短歌が流行らないのは、今の時代のダイナミクスを映していなかったからで、それこそダイナミクスが投影されれば「サラダ記念日」などのミリオンセラーまで出てしまう・・・
戦時中に短歌が流行ったというのも、いわば国粋主義的な何かがその中にあったのかもしれないし、色っぽい話そのものが禁じられていた時代に、さらりと和歌にして文(ふみ)にする・・・
ロマンチック。

ポルノというと俗っぽいけど、アートとなるとまたイメージが違う?
どこが違うのか?
何かどこかが違うということを言葉にするのは、酷くムズカシイ・・・
詩人や歌人は、そこのところをさらりと詠めなければダメなのかもしれないですね・・・

 

 

殺伐とした恋愛

at 2002 05/12 15:23

失恋して悔しいのね・・・
だから、たまねぎでも切らないと泣けないという・・・・
知らなかった。
吹き出したいのを我慢している。
結構、笑っている。
ゆるせ。
お腹が・・・・・苦しい。

メールが来ないから、HPへ行ったら、

みなさんへ
「お元気で…(謎)」

あーあ・・・・・・
人生は短い・・・・・
別れはもっとロマンチックなもの・・・・のはず。

たしかにこれでは泣けない。
もっといい恋愛しなよ・・・
としか言えない。

久しぶりに、ジョアン・ジルベルトの『三月の水』を聴きながら、なんで自分が近頃プシコネタばかりをアップしているのか考えてしまっている。
うちのサイトは、そーいうサイトではないのだ。
単に、自分の独り言を書きたいというだけの理由で作ったサイト。
それがいつのまにやらトーンが変化してしまっている。

ロマンの欠如した恋愛か・・・

単なる男女の駆け引きしか存在していない・・・

オコチャマの世界だ。

問題は、いくつになってもこーいうオコチャマばかりということなのかもしれない。
殺伐とした砂漠の世界・・・・
これが一生続いていく人たちもいる。
それを考えると、人生が短いことを痛感してしまう。

精神的に未熟な人たち・・・
自立できない人たち・・・
わかっていても、自分ではどーにもならない?
苦しい?
だから恨む?

本当の失恋は、ほろ苦く甘い。
どこが違うのだろう・・・
このどこか違うということを説明することの困難さ・・・

海を見たことのない人たちに海を説明する困難さ。
愛を知らない人たちに愛を伝える困難さ?
本当の恋愛にめぐりあえない人たちに恋愛を説明する不毛さ・・・
それを考えるとかったるくなってしまう。

近頃、「科学的恋愛論」をアップしてない。
かったるいのだわ・・・
駆け引きしか知らない人たちに、恋愛を教える?
ノーギャラ・・・
こっちが学んでしまうような人ならいいよね・・・
大抵は、逆だ。

やっぱり、主婦は天界で優雅にお茶しているくらいがちょうどいい気がしてきたな。

失恋したら悲しくなるのが普通だよね?
なんで悔しくなるわけ?
あのさ・・・・
次に恋愛する時は、後になって振り返ってもいい想い出になるような恋をするべきだと思う。

パラノイアか・・・・

きっと、失恋しても泣けない人たちなのかもしれない。

 

 

仮面の裏側

at 2002 05/11 23:34

なんかね・・・・
暗闇に目が慣れるって面白い。
バーチャルだから気持ち悪いと思っていたけれど、どこにもバーチャルなんて存在しないと思っていたとたんに、「あ! なんだ・・・ Aさんのパターンか・・」という具合に、具体的なイメージが発生してしまう。
すると、プシコでも少しも怖くないから不思議・・・

あーあ、あれじゃぁ、男から相手にされないのも無理ないな・・・とか・・・・密かに想像して吹き出してしまっている。
でね、Aさんがネット人格で可愛い女の子のイメージのサイトなんて作っていた日には・・・ゾーッとしてしまう。
気色悪くて・・・・
どーやって説明していいのかわからん。

ちょっと目つきの怪しい中年のおばさんとかおじさんが、可愛い女の子のサイトを作っていたりとか?
本人はなりきってるし・・・
まぁ、バーチャルだから、いいんだけどね・・・・
なりきってるからな・・・・
その姿を想像するだけでグロテスクな気分になってしまうというか・・・

心理学科は危ないな・・・・昔から。
たま〜に、そーいう人が混じっていることもある。
知的水準が破壊されていないかぎり、そーいうこともあるわけで、少し話しているとまともなんだけど、よく考えると異常というか・・・
妄想というのがね・・・「自分は宇宙人だ」とか、その手の類のわかりやすいものなら大して問題はない。
ところが、貧困妄想だったりすると、家が破産して大変なのに私立の医学部を受験するとがんばっていたり、明日から食べるものがないと言いながら「ダイエットしたほーがいいんじゃないの?」という感じだったり・・・
話そのものがおかしいのではなく、全体として観察すると話に整合性が欠如していることが多い。
だから、ちょっと話してるくらいじゃわからないけど、どこかヘンだと思ったら、やっぱりヘンだったりする。

なんでそんな嘘ばかりつくのか不思議・・・とかね。
相手がまともな人だと思うから腹が立つけれど、よーするに誰かに同情されることが好きなのかもしれないし、一瞬でも誰かの気持ちが自分に向いてくれることが報酬になってしまうから、そーいう妄想が発達してしまっただけなのかもしれないし、普通に生活している「ちょっとヘンな人」というのは案外多い。

そーいう人たちが、ネットにはまってしまうのも無理はない。
ネットだと気がつかないからね・・・
サイトだと、どこまでがしていいことで悪いことなのか微妙だし。
会わなければ、どこかのおっさんだか可愛い女の子なのかもわからないし・・・
でもね・・・・何となくわかってくる。
なんかヘンなのよね・・・・
どこかがヘンなのよ。
一生懸命仮面を被ってはいるけれど、しょせん仮面だ。

あー、アイツだったらやりかねないな・・・
って人、周囲に一人や二人いませんか?

 

 

海鳴り

at 2002 05/11 14:58

『ネットはコミュニケーション・ツールになるか?』
という問いに対して、これは立派なコミュニケーション・ツールだとしか語れない気がする。

ネットを始めたばかりの頃は、せっせとチャット部屋へ行って、何となく常連になっていたり・・・そんな時もあった気がするのだけれど、今はまったくそんなことをする必要性を感じない。
ネット特有の場(チャット部屋やサイト)に密着した関係性や、ハンドル名などにより何となく形成されてしまう共通の磁場を介在した友人・知人関係などをまったく必要としなくなってしまっている。

サイトは自分のお部屋みたいなものなので、あちこちからサウンドをお借りしたり、イラストをお借りしたりしている。
これもひとつのコミュニケーションだろう・・・

以前、友人のイラストをアップしていた。
これが実は格好のパラノイアの誘因となってしまっていたことがあり、彼らにとってはBBSにカキコがあるとか、イラストを使っていたりとか、そーいうことがトリガーとなり発作へ繋がってしまう。
そういう人たちからの災難から逃れるためには、BBSのカキコを停止したり、サイトからイラストを外したりとか?
一時的には有効なんだけど、ちょっとでも彼らの目に触れるところに、『暗喩した関係』を示唆するターゲットが存在すると、さらなる妄想へと繋がってしまう。
カミングアウトを誘うのであれば、逆にこれは効果的なのかもしれない。

永遠にバーチャルの闇から出られない関係性の人たちにとっては、ネットがすべてだ。
それがオフをするとかしないとか?
そういうニュアンスが発生した時などは、サイトを毎日何回にも渡って来訪されてしまう。
それでも無視していると、やがてカミングアウトが始まる。
大抵は、嫌がらせサイトを作ってみたり、あたしの目に触れるところに嫌がらせを書いてみたり・・・
そーなると、自分の正体をあたしに伝えることが狙いとなる。

どうしてそんなことをしなければならないのだろう・・・
そこが理解できない。

呪いという言葉・・・・

なんか、その辺に何かがある気がするのだけれど仕方がない。

ネットもりんちゃんクラスになると、『一言で用事が終わってしまう』という人間関係が増える。
普段はまったくヤリトリしてなくても、何となくノラクラとした関係が続く。
特に会話をしなくても、自分のサイトを見て何となく様子がおかしいとなれば、普段はあまり来訪しなくても何となく様子を見に来てくれる。

そうした小さなコミュニケーションで気持ちが通じ合う関係が存在している。
一生懸命チャットで話したり、無理にオフをしたりしなくても、何となくコミュニケーションが成立している。
つまりは、こころの繋がりがあるからだと思う。
そういう人たちとは、言葉をたくさん重ねる必要がない。

人生は短い・・・

それでいて、ネットも長くなってくると、毎日サイトへ来訪しなくても、仮にネットをしている時間が無くなったとしても、それこそ1年ぶりにサイトにちょこっと来訪してくれても、相変わらず・・という安定した関係性が多くなる。
そういう小さなヤリトリが続いているから、長く続いている気がすることがある。
そのうちネットにも飽きてしまって、自分のサイトも見なくなってしまうかもしれないけれど、時間や場に拘束されていないから・・・関係性は変化しにくい。

リアルでも一緒でしょ?
一生懸命毎日一緒にいなければならない関係もあれば、たまにしか会わないけれどこころが通じている関係もある。
たくさんの言の葉をヤリトリしなければ通じない関係もあれば、一言で用事が終わってしまう関係もある。

日頃、誰かとうまくコミュニケートがうまく取れないと感じている人は、この辺のバランスが欠如していることが多い。

言葉って何なんだろうね?
ヘレン・ケラーでも大丈夫。
声が出なくても、パソコンで会話している人たちもいる。
すべての五感を使っても、苛立ちだけが募る人たちもいる。

貝になりたい・・・・・か。
貝でも巻貝の貝殻なら、海鳴りが聴こえるのに。

 

 

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