Rin's
Diary
December, 2001
(No.1)
場
at 2001 12/10 18:26
この・・・ひたすら静かになりたいという願望はあまり理解されない。
一人の時間の安らぎか。
何だか、いつも賑々しいからかもしれない。
いつもたくさんの孤独に囲まれていると、退屈でどこかへ出かけたくなるし、誰かと話したくなる。
彼氏がいれば、いつも一緒にいたいと思うのはナチュラルだろう・・・
が、しかし・・・・・
今は、孤独が無い。
これを喜ぶべきか悲しむべきか、今の自分には理解できない。
あたしは、いつも両極端だからなぁ・・・・
何となく、たくさんの人に囲まれているか、
ぼーっと一人でいるか、
いつも両極端なのね・・・
時々、対人関係が苦手という印象を持たれたりする。
不思議・・・・
そーやって言われると、そーかもしれないと思うこともあるけれど、
大抵の場合、かったるくなってしまうから逃げ出したくなってしまうだけ。
何故、かったるいかと言えば、「浮世の義理」にガンジガラメにされるのがうっとおしくなってしまうだけなのだと思う。
どーでもいい関係をダラダラと続けているくらいなら、
一人で活字と格闘していたいとすら思ってしまう。
それでいて、何となく一人というのもつまらない。
一度、解放される喜びというものを味わってしまうと、束縛の苦労が苦手になってしまう。
人は誰しも孤独だと言う・・・・・
が、しかし・・・・
孤独の喜びというものもある。
ほんとに、その時々でいろんなことを言われたりするからなぁ・・・
謎のレインボー攻撃か・・・
そーいうわけではなくて、性格は外向的で、思考が内向的という両極端な部分があるから仕方が無い。
しかも、偽悪度が高い・・・・
バランスなのかもしれないな。
ラサちゃん 月を想いて
at 2001 12/10 16:54
★ 女なら 灰になるまで くすぶりて たれかの息の かかるを待ちて
☆ やさしさを寝床に求め腕枕 愛の重みにゆりかご揺れて
★ いつまでも そっとこのまま 抱いていて 貴方のぬくもり それだけでいい
☆ ぬくもりをまどろみながら夢枕 寝ても醒めても恋の残り香
★ 常夏の 小島の磯の 白砂に 我たわむるは 男(おのこ)独りに
☆ 星はなお見つめる者の眼に映り 永久の契を愛で満たして
★ 恋心 忘れないでと 願っても 移ろい流れ 星も消えゆき
☆ ひらひらと雪は舞い降り空からのメッセ伝えて淡くせつなく
★ 隠すから 見てみたくなる ヌードさえ 太陽の下 ただ美しく
☆ 太陽も夜には沈み静寂の月夜の霧に一人佇み
★ 幻に 光まばゆし 立ち姿 君訪ね来る 朝霧の中
☆ 幻を星に委ねて溜め息の聴こえる夜も雪が遮り
★ 寒すぎて 一葉落ちる その音に 春の芽吹きも 聞いておりしや
☆ そこかしこ落ち葉舞い立ち風の中 やがては春の土と変わりて
★ 迷い子の 落ち葉でさえも くるくると 仲間探しの 風の旅かな
☆ 恋するは光と闇の繰り返し行きつ戻りつ心の旅路
★ 恋の傷 隠し塗るより 乾かして そっと触れては それも楽しく
☆ 頬伝う涙ひとすじ傷に落ち 静かな愛に寄り添う二人
★ 寄りそって 傷なめあって 愛求め 心が欲しいと そっと呟き
☆ 引き潮に光輝き永久の夢 愛の記憶に想い溢れて
★ 姫様は 五葉躑躅の 白き花 愛多く持て 純真なれと
☆ 闇の中聖なるオーラに守られて 天使愛しき無邪気な光
★ 願いこめ 愛し愛され 白き花 慈しむ世に 未来背負いて
☆ 守るより守られる身の守り神 古よりの言い伝えにて
☆ 旅路より戻りし友を迎えまし 弾む話に夜が明けるまで
★ 迎えなん 長き旅路の 友来る 月の光に ルビ色うれし
☆ 恋の歌詠む人あれば長き旅 想い残して立ち去り難し
★ ラサちゃん ☆ りん
ちゅんちゅんさん 梢にて
at 2001 12/10 15:29
■ 侘しさや風にまつわる梢かな (上の句: ちゅんちゅんさん)
☆ くるくる回って風見鶏啼く (下の句: りん)
☆ 今日もまた風の悲鳴が木霊するビルの谷間に木の葉舞い立ち
☆ 悴む手指先掠れ血は止まりほのかに香る熱きカフェイン
■ ちゅんちゅんさん ☆ りん
自分の正体?
at 2001 12/09 07:56
子どもの頃の自分を知る人に会うと、「よくこんなことまで覚えてるなぁ」という気になることがある。
幼馴染や親戚の叔母さん、とにかくおちびの頃の面影しかない。
タイムスリップして懐かしいと同時に、どこか静止した過去に生きる自分というものを振り返ってしまう。
学生時代の友達も、気が付けば20年以上経って初めて互いに互いの生活を知らないことに気が付いた。
それまで何を話していたのかと思うくらいだ。
昔話や、どーでもいい話をしていたのかもしれない・・・
それを喜ぶべきか、悲しむべきか・・・
それぞれにそれぞれの人生があり、生活がある。
いつまでも互いに変わらないわけはない・・・
それでいて、何かどこかが変わらない。
ヘン。
そーやって考えると、自分を変えるキッカケはとても小さいことだったことに気が付く。
その時々に、生きる自分、生きていた自分が存在している。
大抵は、社会的文脈の中で、「らしさ」というものを求められて変容してしまうのかもしれないし、幾多の人との出会いの中で、新しい関係性の中から、自分の違った側面が引き出されたりする。
あたしは、昔から旅が好きだ。
背景文脈が消された中で、自分という人間を新しい背景文脈へ置く。
すると、そこには別の自分が存在することに気が付くから。
「一人の自分」になることによって、自分がクリアになる。
大抵の場合、友達が出来たりすると、その人とのイメージの中で自分が規定されてしまうことが多い。
女の子が年頃に集団で固まっていると、同じ格好で歩いていたりする。
すると、グループ特性がその子自身の個性を隠してしまうことがよくある。
逆に、地味だった子が派手なグループに入ることにより、派手な子に変容してしまう。
つまり、他人のイメージにより、それがあたかもその人自身のイメージであるかのような誤解が生じる。
それでいて、他人の見る目が変われば、自然とそれに合わせて行動してしまうというのが、一種の社会性というものであり、人間ならナチュラルな出来事であり、習性であり、だからこそ子ども時代などには、親によっては、子どもの環境や友達を規制してしまうほどだ。
自分では気が付かないうちに、他人との関係性により自分が変容してしまう。
朱に交われば赤くなる・・・ということかな。
ネットでの幾多の「誤解」というものを考えると、やはり個々のヤリトリの中で誤解が生じることは稀だ。
個々のヤリトリが集団化することにより、その集団のグループ特性が発生する。
すると、そこのグループの成員であるかのような錯覚が生じ、そのイメージにより規定されてしまいやすい。
もしもあたしが、或る人に対して、「こーいう人だ」というイメージを勝手に形成していたとしたらどーだろう?
他の人も、あたしが勝手に作っているイメージを通して、その人のことを眺めてしまうのではないだろーか?
これが、そもそものネットの誤解の始まりだ。
いろんな人がいろんなことを言う・・・
つまり、個々の人が勝手に何かをイメージしていると思っていたら、実はそーではなく、一人の人がその人間について勝手なイメージを作っていた場合、それによってさらに別の人に伝わり、自ずと違うイメージが作られてしまうことを繰り返す。
これにより、自分とはかけ離れたイメージが一人歩きしてしまう。
これがネットの誤解の正体なのかもしれないな。
常に、自分をキープしていないと、勝手に乖離した自分が一人歩きしてしまう。
それと同時に、あたしも他の誰かのことを他の人のイメージを通して眺めてしまっているのかもしれないな・・・
ネットで背景文脈を消すにはどーしたらいいのかな・・・・・考えてしまう。
元々、そーいうものが薄いのがネットだと思っていたけれど、ママ友に囲まれていればそのような雰囲気の自分が形成されてしまうのだろうし、短歌のお友達とヤリトリしていれば、短歌というイメージが付き纏う?
でも、、、なんであたしが短歌なんだろー?
イメージ違うだろーけど、それでいてあんまり違和感も無いし、あまりにも雅やかにならなければそれはそれで構わないのかも・・・
イメージ破壊ではないけれど、そーいうことにガンジガラメにされないようにしなくては・・・
デカダンス! デカダンス!! デカダンス!!!
マサピンさん 不毛を踏もう
at 2001 12/09 03:25
○ 踏もうかな 見えてる土地は 不毛かな されど自分が 立ってる大地
○ 見渡せば 広がる砂漠 不毛の地 掘ればあるかも 金銀財宝
☆ 風遥か大洋渡りし鳥は知る 雲の行方を友に知らせて
☆ 日没の赤き夕陽は吹き消され 不毛な大地に我吸い込まれ
☆ 砂浜に置いたビールの生温さ 微かな酔いどれ微かな甘み
○ マサピンさん ☆ りん
ラサちゃん 行ったり来たりの恋
at 2001 12/08 08:54
☆ ウィルスに一喜一憂ウェブの旅 白きページでおニューのPC
★ 醒めてまた 見る夢ならば うつせみの 恋に迷うて 華となりぬる
☆ 夜想曲やがては朝に陽は昇り 夢想きらめき 時の四十万に
★ 女なら 灰になるまで くすぶりて たれかの息の かかるを待ちて
☆ やさしさを寝床に求め腕枕 愛の重みにゆりかご揺れて
☆ 偶然を運命に変え必然に 言い訳するも神の導き
★ 愛与え 敬うならば 愛来たり 敬われては 世界も平和
☆ 幼さを履き違えての世迷いに 老いの侘しさ末尾を歩き
★ 船頭の 舵はひとつよ どこへ行く 数多の女子 ひしめきあいて
☆ 浮き舟に乗りしは舵の波任せ 離れ小島で焚き火を起こし
★ 常夏の 小島の磯の 白砂に 我たわむるは 男(おのこ)独りに
☆ 星はなお見つめる者の眼に映り 永久の契を愛で満たして
☆ 誤解こそネットの真実姿見の鏡を置いて後ろに隠れん
★ 隠すから 見てみたくなる ヌードさえ 太陽の下 開けば良しよ
☆ 太陽も夜には沈み静寂の月夜の霧に一人佇み
★ 冬の中 かじかむ胸に 花の舞う 愛しき君の 言の葉受けて
☆ 苛立ちを隠せぬ木立冬景色 言の葉舞いてひらりと消える
★ 寒すぎて 一葉落ちる その音に 春の芽吹きも 聞いておりしや
☆ そこかしこ落ち葉舞い立ち風の中 やがては春の土と変わりて
★ 恋すれば 抱きたくなるよと 友は詠む 男と女の 宿命なりと
☆ 恋すれば浮世の夢に身を任せ 醒めても美酒は忘れがたしと
★ おまえこそ 最後の女と ささやかれ 抱かれてみても なぜか侘しく
☆ 一度きり逢うが別れの始まりと 黄泉の国まで追いつ追われつ
☆ キューピッドその一言で矢を放ち 恋は気まぐれ星の数さえ
★ お気軽に 恋して愛して 飛んで行く 気紛れ矢でも 鉄砲でもいいさ
☆ 矢を放つタイミングさえ気まぐれに 刺さりし傷は癒えることなく
★ 恋の傷 隠し塗るより 乾かして そっと触れては それも楽しく
☆ 頬伝う涙ひとすじ傷に落ち 静かな愛に寄り添う二人
★ 姫様は 五葉躑躅の 白き花 愛多く持て 純真なれと
☆ 闇の中聖なるオーラに守られて 天使愛しき無邪気な光
☆ 旅路より戻りし友を迎えまし 弾む話に夜が明けるまで
★ ラサちゃん
☆ りん
写真: WOOD MOON
マサピンさん 砂漠の夢
at 2001 12/07 12:38
☆ オポジット暑さ寒さの違いだけ なのに時差ボケ太陽のせい?
○ ボケさそう 長い昼間と 紫外線 狂おしいかな 夏の太陽
☆ 太陽の違う光を浴びながら ネジは巻かれる右に左に
○ うーだめだ、続けらん無い今回は 何にもネタが 頭に出ない
☆ 長レスに疲れた頭引きずって 捻って転んでぼやきもネタに
○ 踏もうかな 見えてる土地は 不毛かな されど自分が 立ってる大地
☆ 今在るは不毛な時間の積み重ね 砂漠のパレス広大なるまま
○ 見渡せば 広がる砂漠 不毛の地 掘ればあるかも 金銀財宝
☆ 荒れた野に聳えるビルの蜃気楼 地下に眠りし夢を醒まさず
○ マサピンさん ☆ りん
ちゅんちゅんさん 蘇生・・・?
at 2001 12/07 12:22
■ 土手の草踏みしだかれて一度は枯れる♪・・露の情けで甦る
■ 露は草と寝たと言い 草は露と寝ぬと言い・・♪
■ 葛の花踏みしだかれて色あたらし この山道を行きし人あり
☆ 月夜の晩狸くりだし三行半♪・・柏葉手の平頭に乗せて
☆ 狸は月が悪いと言い 月は狸が愚かと言い・・♪
☆ 月の色白か黄色か見る夢の ぽっかり浮かんだ狸のおなか
■ ちゅんちゅんさん ☆ りん
雑用まみれ
at 2001 12/07 03:23
思いやりって何だろう・・・
人は皆、自分のことで精一杯なのかもしれないな・・・
そろそろ今年も終わり。
早い。
娘は退院したものの完治したわけではなく、単に薬が経口投与になっただけ。
しばらくは、状態を観察しながら、送り迎えの生活が続く。
今頃になって、いろいろお気遣い頂いたりして、何となく気ぜわしい。
ひたすら眠い。
昔、ネットを始めたばかりの頃、こんな時間に何でこんなにたくさんの人が起きているのか不思議だったけど、案外、子どもが小さいと不規則な生活になる人が多いことに気が付く。
毎日、決まって子どもの夜泣きに起こされてしまう人もいるし、家族が寝静まってからの息抜きをしている人も多い。
学生も、案外、夜更かしで、時間が不規則だったりする。
のんびり本を読もうと思うと、ひたすら眠くなる。
しかも12月。
寒い。
日中の気ぜわしさ。
何だか雑用ばかりが多くて、イヤになる。
ネットしてる時間があるだけ喜ぼう・・・
逃避
at 2001 12/06 06:11
どんな人間にも、一応はペルソナとういものがあって、裏表の無い人間なんてめったに居ない。
とりあえず、他者によって規定された「こうあるべき自分」というのがその人の行動を規定していることが多い。
「こうあるべき自分」と「こうありたい自分」とが表裏一体となり、超分厚いペルソナを形成している人まで居る。
まったくアホらしいのだけれど、こーいう愚かしさはいわば自然の発露らしくて、大抵の人間に、こーいう傾向が備わっている。
あたしの場合は、すでに裏表どころかレインボーとまで言われてしまっている。
つまり、裏表など無関係。
極めて自然色に近いと自分では諦めている。
諦めているからこそ、勝手にカラーを決められて、案外、素直にそれに従う。
すでに、他人に自分を理解してもらおうなどというおこがましさも捨てている。
こー、傾向ってあるからなぁ・・・
パターンというか・・・
そーいうものに当てはめられるのが、単にイヤなのかもしれないし、だからこそ天邪鬼なのかもしれないなぁ・・・
にしても、逆さなのだ。
表に表れた部分は、実は逆さのその人だったりする・・・
ネットは誤解が多いというけれど、慣れてしまえば誤解ではない気がする。
誤解というより、摩擦に近いのかもしれない。
とにかくいろんな人がいるから、ネットは神経をすり減らす?
問題は・・・・ごく自然に自分を表現できない人があまりにも多いということなのかもしれない。
そーいう人に限って、勝手に自分を決めるように他人をも規定してしまう。
こーいう人たちの妄想が大きくなればなるほど、いわゆる「誤解」が発生しやすくなるだけなのかもしれない。
誤解というより、すでに妄想に近い世界だということも、何となくわかってきたし・・・
それでいて、他者の思い込みにより、それにガンジガラメにされてしまうと、なかなか身動きが取れなくなる。
他者の思い込みが、周辺の人や自分までも呪縛してしまうと、ネットではその呪縛を解くのが酷く困難。
こーいう傾向は、ヴァーチャルだけではなく、リアルでも年中起こり得る出来事。
だから、年中、どこかで誰かがすったもんだしているだけ・・・
自分を素直に表現すること・・・
それだけ。
他者に規定されない自分を確保すること。
それだけ・・・
それが相手を自由にし、自分をもラクにする。
ちゅんちゅんさん 古今東西てふてふは飛ぶ
at 2001 12/07 07:30
■ なにはなも命ありとは思はねど定め繁しく現儚し
☆ 幻の花を求めて流離いつ無限の星屑命鏤め
■ 何の花薫る静寂の暗闇に凝らす瞳は滂沱たるのみ
☆ 愛の神黒き瞳を讃えまし静寂なるまま見透かす心
■ 鏡なる水面たたえし水底も流れありてぞ命なりけり
☆ 脈拍を数えて流れ見つめるも水面映すは我にあらずや
■ 古の思いを辿るわが旅は須臾の定めに先切られ思い半ばで蹉跌せし
侘しさを月に見立てし吉野窓
☆ 空には月の輝くさまに我が身重ねて行く雲遥か 隠れし想い月へは届かん
一夜の露と時空を彷徨う
■ 遠き昔も今は只思いの影に操られ我が掌中へと戻れどもそは飽く迄も
影にして現の風に飛ばされて泡沫の夢と消え去らん 茫洋遥か我魂は
悪しき定めに操られ傀儡の如く舞い立ちぬ
☆ 旅立ちは時空の彼方へ続くとも古より人は変わらず その面影を
捜すとも映す鏡にならうとも縁あればの理なりしは彼の人たちに
命預けて現を彷徨わん
■ 絲雪雪絶彷徨えど未だ豁然とせず
☆ 雲に霞に吹雪路を朧月夜は明けやらぬ
■ 氷雨降る暗き道おばさ迷いて寄る辺亡き身の安らぎは霙雪に埋もるる
病葉の袖
☆ 雪道の轍を歩きて振り返り足跡残りて雪は降る降る長き夜 一片なりし
新雪を掬えど吾が温もりに消え雪の味さえ現の夢
■ ちゅんちゅんさん ☆ りん
Copyright:
NEPIRON
ちゅんちゅんさん 釈悟空
at 2001 12/05 13:16
■ 寝し夜らの 胸触る時の、 身に染みて忘れぬものを あわれと思へ
☆ 儚きを現の嘆き夜迷いの受けし愛すら露となり濡れ
☆ 絢爛の雅妖しき世界へと我を誘い伊勢物語
■ ちゅんちゅんさん ☆ りん
ラサちゃん 気まぐれなおしゃべり
at 2001 12/07 07:37
☆ 壁に耳 そぉっと覗いて目を凝らす 妖しき世界そこかしこにと
★ 妖しきと 思えば沙羅に 迷いなり 幽玄にて また楽しからずや
☆ 幽玄の世界はこんな惑い風 迷子になって夢なら醒めて
★ 醒めてまた 見る夢ならば うつせみの 恋に迷うて 華となりぬる
☆ 夜想曲やがては朝に陽は昇り 夢想きらめき 時の四十万に
☆ 偶然を運命に変え必然に 言い訳するも神の導き
☆ 人生は 極楽とんぼの飛ぶ世界 あなたもとんぼ あたしもとんぼ
★ 赤トンボ クルクルまわって 目が回り 思う世界は まだ渦の中
☆ クルクルと舟は回って舵取れず 潮に流され漂うままに
★ 船頭の 舵はひとつよ どこへ行く 数多の女子 ひしめきあいて
☆ 浮き舟に乗りしは舵の波任せ 離れ小島で焚き火を起こし
☆ 誤解こそネットの真実姿見の鏡を置いて後ろに隠れん
☆ その命 可憐な花の立ち姿 何を思いて 花を眺めん
★ 雪割の 咲く春を見て 心溶け また愛し合う 夢の世界よ
☆ 冬空に薔薇は蕾を膨らませ 枯葉に紛れやすらぎ香る
★ 冬の中 かじかむ胸に 花の舞う 愛しき君の 言の葉受けて
☆ 苛立ちを隠せぬ木立冬景色 言の葉舞いてひらりと消える
☆ やさしさは人の心の贈り物 恋はせつなく花は散りぬる
★ 椿落ち 川に流れて 独りぼち 紅き姿に 誰想うかな
☆ 冬の川厳しき流れ近寄りぬ 花は流され見つめるままに
★ 流されて 止めどもなくて 流されて 道行く人の 哀れみばかり
☆ 浮き花に別れを告げて見上げれば 青き空には浮き雲一つ
☆ 奉仕とはかくも哀しきマゾヒズム ナルはゆらゆら風に揺られん
★ 法師奉仕も 放恣許して 自由なり 解き放たれて そは我が心
☆ 自由とは孤独な夜の独り言 愛を求めて心流離い
★ 恋すれば 抱きたくなるよと 友は詠む 男と女の 宿命なりと
☆ 恋すれば浮世の夢に身を任せ 醒めても美酒は忘れがたしと
☆ 隣人を愛せと言われ目を瞑り 何も見ないで波動を感じ
★ 通じ合う 心の不思議 なすがまま 惹かれ引かれて 抱きしめられて
☆ 温もりを心が消して傷だらけ 癒しの涙別れの予感
☆ 恋愛はいつもセットで売られてる 恋を拾って愛を求めて
★ 欲しいよと 神に願いて 叶えられ ただより高い ものはなしとて
☆ 罪人を赦すも神の仕事なり 恋を紡いで愛を織り込み
☆ どこまでもいつも何かが違うから 男と女はすれ違うだけ
★ この世には 男と女の 種ありて 育つも咲くも おもい次第ね
☆ 野の花は風で種まき春を待つ 愛しき君の変わり身求め
☆ 趣味だけで女王している人もいる 過剰な刺激演じる世界
★ すべてをば 喜ばせるに 愛いらず 男迷わす 技ひとつかな
☆ やすらぎを性に求めて忘れ去り 恋の苦労を金で飛ばして
☆ キューピッドその一言で矢を放ち 恋は気まぐれ星の数さえ
★ お気軽に 恋して愛して 飛んで行く 気紛れ矢でも 鉄砲でもいいさ
☆ 矢を放つタイミングさえ気まぐれに 刺さりし傷は癒えることなく
★ ラサちゃん
☆ りん
Copyright:
JAZZ
沖
at 2001 12/05 05:27
ボサノバをノクターンにして夜想う 風は香りて夢路遥かに
朝焼けの強き日差しも和らぎし 冬の木立に鳥が舞い降り
人生を不毛と言い切る深情け 自由を求め空は輝き
旅立ちはいつも別れの挨拶で 賑わう人の送りし言葉
さよならを言わない別れ引き潮の 波に運ばれ茫洋なるまま
妄想は夜に漂うものなりて 暗き闇夜に心閉ざして
汚いと思えばこその嫌悪感 時を轍に一人誘い
偽りの言の葉揺れて風運び 浮き草漂い流れるままに
真実は自分一人の浮き舟に 乗せて運びて沖に流さん
ちゅんちゅんさん 和歌の誘惑
at 2001 12/05 16:07
■ リピドーに傀儡の如く操られなす術もなく襤褸襤褸
☆ 言の葉に隠し給ひたリビドーを十弦爪弾き魑魅魍魎
■ 奥山の岨の立つ木に居る鳩の友呼ぶ声の凄き夕暮れ
☆ 啼く鳥は何処へ旅立つものなのか沈む夕陽に友を求めて
■ 鶯のかそけき足に目を盗られ鳴く春待たず彷徨う黄泉路
☆ 黄泉の国花さえ枯れて飛ぶ鳥の光求めて一縷の望み
■ ちゅんちゅんさん ☆ りん
女
at 2001 12/04 10:54
あたしは昔から、自分が怒っている時には、そんなに自分が怒っているという気がしない。
これは自分が女だからなのかもしれないなぁ・・という・・・諦めに近いものがある。
つまり、あたしが怒らないと相手が怒り出すから、そそくさと怒ったほうが手っ取り早いから怒っていることが多い。
社会的な認識からすると、女性は弱い。
だから、些細なことでも泣いたり笑ったり、キャンキャン吠える生き物であるという定義があるために、こーいう「決め」の中で、キャンキャン吠えてると、「しょせん女だから」ということで世の中が丸く収まってしまうからだ。
まぁ・・・相手が何か言い出したら、めんどっちーからさっさと謝ってしまおうという男性が多いというのと同じニュアンス。
こーいうことは、社会的な決め事の一つみたいなもので、アホらしいくらい相手の怒りを静める効果がある。
ところがだ・・・あたしはいつもめんどっちくなってしまうのだ。
大抵の男性は、さっさと謝ることに慣れているらしいので、謝る意志もないくせにさっさと謝る。
こーいう時には、知らん顔するくらいがちょうどいい気がする。
相手のバカにした態度に対する抗議だろう・・・
世の中には、そーいうつまらないヤツが多い。
怒っても怒ってなくても、言いたいことは変わらん。
つまり言いたいことを言ってるだけなのだから、怒っていようが機嫌が良かろうが言ってる内容は変わらない。
女性は感情的な生き物だけど、実は、男ほど感情的ではない気がすることも多々ある。
だから、女性が本気で怒った場合、逆に何も言わなくなる。
もしもずっと怒っている女性がいるとしたら、彼女は本気で怒るということの意味がわかってないのだと思う。
自分が弱者でいるということはとてもラクなのだ。
何を言っても許されると勘違いしてしまう。
そして、男と女なら、大抵の場合、男が悪者ということで決着する。
というか、決着させなければならないのかもしれない。
社会的に定義された弱者か・・・
すごくラクだ。
芹摘姫さん 生命(いのち)の炎
at 2001 12/07 07:34
☆ 張り詰めて生命(いのち)向き合う時が来る人の想いも右手に委ねて
※ 生きてると流れる息吹確かめつ生命(いのち)の炎燃え尽きるとも
☆ 蒼き水きらめきひかるそのときに生命(いのち)の輝き蘇るなり
※ 清らかに水は舞い立ち空高く生命(いのち)運んで雲間に揺れて
※ 雫落ち清らな調べさらさらと川の流れに身を委ねつつ
☆ 芹摘姫さん ※ りん
写真: WOOD MOON
マサピンさん 夏ボケ?
at 2001 12/03 03:45
☆ オポジット暑さ寒さの違いだけ なのに時差ボケ太陽のせい?
○ ボケさそう 長い昼間と 紫外線 狂おしいかな 夏の太陽
☆ 太陽の違う光を浴びながら ネジは巻かれる右に左に
○ うーだめだ、続けらん無い今回は 何にもネタが 頭に出ない
☆ 長レスに疲れた頭引きずって 捻って転んでぼやきもネタに
○ マサピンさん ☆ りん
感情的老後の話
at 2001 12/03 02:55
内親王が誕生して、世の中は祝賀ムードなのかな・・・
雅子さまの年齢が年齢だから、さすがに男の子が生まれるまで、という厳しい声は少ない。
皇室に男の子が生まれないことは以前から囁かれ続けているけど、これも時代と語る人が多いことに気が付く。
少子化が進んで、娘しか居ない人が増えたことにも原因がある気もするし、実際、どこも昔ながらの家長制の続いているところでは不満がグチグチ蔓延る世の中なのよね・・・
あたしは、娘が生まれる以前は、一人息子をマザコンに育てるのが夢だったけど、いざ姑さまのあのジト目で、「男の子・・」という視線を感じると、クチでは「自分はさんざそーいうことで苦労したから嫁には何も言わない」とのたまいつつも、なんやかやとその手のプレッシャーで代謝異常だ。
今から二人目を出産して育てるとなると、あたしは一体いつが老後になってしまうのだろう・・・
逆に、高齢出産すると、子どもが長く親元に居てくれるからそのほうがいいって言われると、それもそーだと思いつつも、何となくウンザリした気分を免れない。
自分が年取って、息子が結婚ということになったら、いくら自分では子どもの世話にはならないと言い張ったところで、世間はそのようには思わないだろう。
かったるい。
だったら、一人娘で、お気楽にしていたほうが楽しい気がする。
いつまでも、子どもに引っ付いているばかりの親にはなりたくない。
仮に、娘が結婚して、その生活がイヤだったら、「いつでも戻ってきなさい」と言うのは簡単なのだ。
ところが、息子だったら、そんなことを言ったら嫁いびりって言われてしまいそーで、怖くて言えない。
伝統の恐ろしさを痛感してしまう。
子育ては文化だから仕方が無いのかも。
娘はどこかへ行ってしまうから・・・などと簡単に言うけど、今の時代、息子だってどこかへ行ってしまうではないか・・・
老後を子どもの傍で暮らしたいという気持ちは、親ならナチュラルだと思うのよね。
だけど、息子の傍で暮らそうとすると、嫁さんが・・・ウザイ。
娘の傍で暮らしても、婿さんが居るからいっしょか・・・?
息子でも娘でも、結局、孫なのよね・・・問題は。
子どもより可愛いって言うし・・・
孫の取り合いとなったら、もっともっとウザイ。
諦めよう・・・
人生、諦めが肝心だ。
おちびとあたしは仲良しだ。
親子だからな。
それで充分な気がするな・・・
年寄りの孤独か・・・
そこに問題があるのかもしれないな。
どーして、みんな寂しいのだろう・・・
ヘンだ。
独り暮らしの良さと悪さか・・・
人間は、たくさんの人に囲まれていたとしても孤独な人がたくさん居る。
それとは別に、感覚遮断の恐ろしさ・・・
感情か・・・
自分の感情を自分でコントロールする?
結局、自分は自分であり、他者は他者に過ぎない。
思いやりというのも、実は、相手から自立することを意味する言葉なのかもしれない。
自立した自分か・・・
ラサちゃん ワンセット・ラブ
at 2001 12/07 07:33
☆ 壁に耳 そぉっと覗いて目を凝らす 妖しき世界そこかしこにと
★ 妖しきと 思えば沙羅に 迷いなり 幽玄にて また楽しからずや
☆ 幽玄の世界はこんな惑い風 迷子になって夢なら醒めて
☆ 人生は 極楽とんぼの飛ぶ世界 あなたもとんぼ あたしもとんぼ
★ 赤トンボ クルクルまわって 目が回り 思う世界は まだ渦の中
☆ クルクルと舟は回って舵取れず 潮に流され漂うままに
☆ 曲がり角 椿眺めて 立ち止まる 花びら香り 想い募りて
★ 冬冷えに ただ一輪の 寒椿 千利休に 思い葉擦れて
☆ その命 可憐な花の立ち姿 何を思いて 花を眺めん
★ 雪割の 咲く春を見て 心溶け また愛し合う 夢の世界よ
☆ 冬空に薔薇は蕾を膨らませ 枯葉に紛れやすらぎ香る
☆ 紅き花 沿いて歩くは 木枯らしの 君の面影 花に見つめて
★ 垣根越し 逢いたさ見たさ 一枝の 花を誉めるは 惚れた哀しさ
☆ やさしさは人の心の贈り物 恋はせつなく花は散りぬる
★ 椿落ち 川に流れて 独りぼち 紅き姿に 誰想うかな
☆ 冬の川厳しき流れ近寄りぬ 花は流され見つめるままに
☆ 奉仕とはかくも哀しきマゾヒズム ナルはゆらゆら風に揺られん
★ 法師奉仕も 放恣許して 自由なり 解き放たれて そは我が心
☆ 自由とは孤独な夜の独り言 愛を求めて心流離い
☆ 隣人を愛せと言われ目を瞑り 何も見ないで波動を感じ
☆ 恋愛はいつもセットで売られてる 恋を拾って愛を求めて
☆ どこまでもいつも何かが違うから 男と女はすれ違うだけ
☆ 趣味だけで女王している人もいる 過剰な刺激演じる世界
☆ キューピッドその一言が矢となりて 恋は気まぐれ星の数さえ
★ ラサちゃん
☆ りん
写真: WOOD MOON
娘と歩く
at 2001 12/01 18:33
木枯らしのいつもと同じ来た道を おちびと二人並んで歩く
よきことを願いてやすし冬の道 見上げる空に探す病室
いろいろと飛び出す問いに驚きつ 学び屋広がり生きるがすべて
退院!
at 2001 12/01 12:45
やった!
退院だ。
朝から病院、そして、またまたお迎えに行かなくちゃ。
完治したわけではないけれど、悪性のものではないらしいし、気長に治療していくしかない。
ずいぶんお風呂にも入ってないしなぁ・・・
気が付かないうちに、また自転車が盗まれていたらしい・・・
警察から連絡があった。
昨日くらいから見てない気がするけど、全然気が付かなかった。
明日は家でのんびりして、明後日から学校へ送り迎えかな・・・
しばらくは仕方がないし、どーせ冬休みに入ってしまうし・・・
来年からは、普通に登校できるようになるかな。
コンビネーション
at 2001 12/01 05:27
サイトのリニュがかなり進んだところで、ずいぶんスッキリしたなぁって感じる。
物事の両面を考える。
すると、そこには良い面と悪い面が必ずあることを思い出す。
おちびの入院で、学校をお休みさせて、すごく心配していたけれど、気が付けば、この2週間での娘の成長ぶりに驚かされる。
考えてみたら、こんなに長い時間、子どもと離れて過ごすなんてことは今までにはなかったし、子どもにしてみれば、この2週間は大人の2ヶ月分くらいに相当するくらいの長い時間なのだと思う。
可愛い子には旅をさせろと言うけれど、ほんとにつくづくしみじみそーやって感じることがある。
親や学校から離れて、病院という新しい世界で暮らしている。
そこでの生活にも慣れて、一人で何でも出来るし、逆に親の世話を嫌がるのよね・・・
洗濯機の使い方を教えたら、きっと自分で洗濯すらしてしまいそーだ・・・
なんせ今の時代、洗濯は洗濯機がしてくれるわけだから、特にムズカシイということもない。
近く退院にはなるだろうけど、勉強以上の何かを学んだのね・・・
そーやって考えると、ムダな時間など無いのかもしれない。
少なくても子どもにとっては、いくつもの新しい経験をすることによって、新しい彼女の側面が拓ける。
自分にとっても、何となく子離れのキッカケになるのかもしれないなぁ・・・
母親にとっては、おちびはいつまでも赤ちゃんの時の面影しかないのよね。
目の前の我が子は、自分が居なければ死んでしまうという極限の二人きりの陸の孤島を考えると、今は天国だ。
最初がきつかったから、それを考えると、今は何がどーやっても天国にしか感じられないくらいラク。
問題は、いつも小さなキッカケだ。
なんで今更ユングなんだか・・・
世の中の母親を悪者にしたのは、精神分析ではないかと密かに疑っているあたしとしては、とりあえずは読んでおく必要性はあるのではないかという謙虚な発想と、そーいう世界が実際、何を考えてそーいう発想になったのか考えたいのよね・・・
「役割」発想も、やめてほしーと思ってしまう。
父親がどーたらこーたら、母親がどーたらこーたら、養育態度がどーたらこーたら?
アホくさ。
こーいう側面を語るより、素直に子どもの発達を考えた発達心理学のほうがまだ好きだ。
勉強にもなる。
子どもに問題があると、すぐに親だの教師だのの「責任」だ。
こーいう息苦しい社会になったのは何故だ?
母だって、女だっていいじゃない?
いろんなステロ・・・つまり、ペルソナがあるでしょう。
お気楽にとっかえひっかえしているだけでもこーいうアホらしい幻想から逃れられる。
が、しかし・・・・問題は、そーいうこととも違う気がするなぁ・・・・・何かどこかが違っている気がする。
自分はシンプルに母親だ。
娘がいるから母親だ。
他の誰かに対して、母親である必要性はない。
なのに、世の中ってヘンよね。
いっつも母親じゃないとダメみたいに扱われる。
ヘンだ。
つまり、「母親にならない女性」が増えたせいなのかもしれないな・・・
実際に仕事などを持ちながら、結婚もしない人もいるわけで、子どもだけほしいという発想すらある。
子どもだけほしいということは、妻などの「役割」はアホらしいけど、母にはなりたいという・・・
ヘンだなぁ・・・・よーっく考えたら、「母」になりたいという発想自体がなんか歪んでいる気がしてしまうけど。
子どもは自然に生まれる存在ではなく、「子どもを持つ」のね・・・・・
あー、やだやだ。
「子どもが欲しい」のね・・・・・
ヤレヤレ・・・・
なんか、どーでもよくなるな。
「母親にならない女性」という概念は、何も子どもが居ない人のことだけではなく、子どもを産んでもなお「母親にはならない」という発想を含んでしまうのかもしれないなぁ・・・
母親にはならない、というのは、母親という「役割」をしないという意味に他ならない。
アホだ。
だから、「母親のくせに」と言われてしまう。
悪循環だ・・・・・困った。
あたしは、「母親のくせに」とはあまり言われない。
だって母親してるし・・・
ただし、おちびに対してだけ「おかあさん」。
他のヤツがそーやって呼んだら、露骨にイヤな顔をする。
「あたしはアンタの母親じゃないわよ〜!」ってハッキリ言わないとわからないのね・・・世の中の人は。
育児放棄をせず、きちんとおちび以外の人に対しては母親ではないことをアピールする・・・
使い分けなのかな・・・
わからんな。
ごく自然に母親だ。
それ以上でもそれ以下でもなく、役割として母親をしているわけではない。
そーいう母親でも、おちびは文句言わないし・・・
誰も悪いとは言ってくれない・・・
あんまり世話をしなくても、「しっかりしますねぇ」っておちびが誉められる。
どーだ!
親子のコンビネーションだな・・・たぶん。
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