Rin's Diary
October, 2001
(No.1)

 

ユウトくん ある日の二人短歌

at 2001 10/10 14:05

  
  ささやかな 望みひとつも 夢の夢 逢いたいという 小さな望み (ユウト)

  逢いたくて掛ける電話もすれ違い 別れの予感も逢えば消え去り (りん)

  想いだけ空回りしたあの日々も 声聴くだけで安堵に変わる (ユウト)
  
  どこにあるほんとの気持ちがわからない途惑いつづいて華やぐ声に (りん)

  すぐ変わるその表情は秋の空 時折のぞく晴天を待ち (ユウト)
  
  ときめきも嫉妬に変わったその日から ゆるせないことばかりが続く (りん)

  将来はどうなるかなどわからない それでも今は一緒にいたい (ユウト)

  ハイテクに恋の行方をたくしての旅立ち遠く明日は一人 (りん)

 

 

ユウトくん 時事短歌

at 2001 10/10 14:00


  靄かかる夢の世界を駆け続け それでも見えぬあの眼差しへ (ユウト)

  太陽は変わらないのに空は消え眼差し見えずベールの影に (りん)

  目に見えぬ悪魔のような紫外線 UVカットのこの商品を♪ (ユウト)

  テロリストなにをそんなに怒ってるの 天には届かず聖地は遠く (りん)

  ヒーローは瓦礫の下に埋もれた 真の勇気を人々に与え (ユウト)

  永久の夢平和の大地に虹を見る 蜃気楼さえ生きる勇気に (りん)

 

 

もし空から爆弾と食糧が降ってきたら・・・?

at 2001 10/10 02:17

空から食糧をばら撒いてまでしなければならない戦争かぁ・・・・
東京大空襲で、B29が空から食糧をばら撒きながら爆弾を落としていったとしたら、どーだったのかな・・・・
例えば、鹿児島や帯広に食糧を落として、東京へは爆弾?
なんかヘンだなぁ・・・・
どーやってもこーやっても世の中矛盾だらけであり、こんなことで戦争が収まったり、反米感情が収まるのなら誰も苦労しないだろーなぁ・・・
ヘンだ・・・・
自分がまったくテロには無関係だとして、空から爆弾を落とされる?
こんなアホな話はない。
避難していたとして、空から食糧が降ってきたとしたら?
何をどーやってもどーにもならない。
爆弾と食糧を落としてくれる国を好きになれるはずはなく、さらなる難民感情へ走ってしまいそーになる?
援助かぁ・・・・
そんなものの必要のない人生がいいなぁ・・・・
爆弾も食糧も空から降ってこない国がいいなぁ・・・・
爆弾と食糧が空から降ってきて、歩けば地雷が1000万個?
なんだか・・・・・ね。

 

 

at 2001 10/07 23:03

  
  舞い落ちる雪さえ白き想い出の夕暮れ蒼き冷たい吐息

 

 

サラサラと・・・・

at 2001 10/07 16:39

人間やめたくなったら、風になろう・・・・
誰だって、生きていればつらいこと、苦しいこと、悲しいこと、いろんなことがある。
そんなに「いい人」ばかりやってらんない。
それこそ腹が立てば怒るし、それが慢性化すると恨んでみたり、憎んでみたり・・・
それがふつーだ。

問題は、、、やっぱり、そーいうネガティブな自分を持て余してしまうことなのだと思う。
誰だって、いい人と思われたいし、誰だって、好かれたい。
だから、我慢してニコニコしてる?
オイオイ・・・・・
そりゃないよね・・・
やっぱり、嫌いなヤツは誰にだって居るわけだし、そんなヤツとは付き合いたくないだろう・・・
自分が嫌われたら怖い?
う〜ん・・・・・
いいの、いいの。
嫌われてもいいの。
りんは、嫌われると、なんだかすごく幸せだと感じることもあるのだわ・・・・
だって、あちらから去ってくれるでしょ?
日頃、自分が汚染されたくないと思っていると、とにかく逃げ出すことに必死。
もー、とにかく、あの手この手で逃げ出す。

人間不信の強みは、どこか人間に対してドライであることなのかもしれないなぁ・・・・
どこか、醒めてしまう。
自分が酷いことをされて、人間不信になった?
というのとは違うのよね・・・・
例えば、誰かに好かれる。
すると、自然と相手の影響を受けてしまう。
りんは、単純だからすぐに影響を受ける。
それはそれでかまわない・・・・
でも、どーなんだろう・・・・
と、再び考え出す・・・・

すると、やっぱり風になりたくなってしまう・・・・

ノラクラと・・・・サラサラと・・・・・・

 

 

書いたら拾わない?

at 2001 10/07 02:06

すでに一部マニアのための日記になっているのかもしれないなぁ・・・この日記は。
今月のテーマは、何となく「争い」について書いてしまっている。
8月の広島原爆記念日から始まって、それこそ戦争ネタへと走り、9月のテロ・・・・
そして、今月は、「争い」。
どちらかといえば、暗いテーマ。
それでいて、誰にでも共通したネタなのかもしれないな・・・・
ネガティブな感情かぁ・・・・・
こんなことばかりを考えていたら、それこそ屈折してしまうけど、実は、そんなに考えているわけでもなく、その時々にインスパイアされたことを書いているにすぎない。

何度も何度も、この日記は「ゴミ箱」だと繰り返して書く。
それでいて、やはりゴミ箱へ捨てたものは拾うべきではない?
そりゃそーだ。
やっぱり、ササササ〜っと捨てて、ポイ捨てくらいがちょうどいいのよね・・・
自分が汚染されたくない・・・だから、書く。
どこかネガティブな要素を眺めてしまうと、それがどこかへ派生してしまうのかもしれない。
それでいて、自分はサッサと捨てて知らん顔かぁ・・・・
だから、この日記をメインに置かないムーンがメインサイトになってしまっているのかもしれない。
少しサイトをお休みしようかとも思うけど、それでもやっぱり何となくオンしてしまうと、自分の居場所になってしまっているだけなのかもしれない。
それなら、欺瞞に満ち溢れながら、好きなサウンドをアップしたり、優雅な独り言でも書いていたほうがいいのかもしれない?
が・・・しかし・・・・・やっぱり・・・・・・人生にもゴミ箱が必要なのね。。。

 

 

骨肉の争い?

at 2001 10/06 05:26

「憎しみの方程式」って、案外、インパクトがあるのかなぁ・・・
きっと、一度、誰かを憎んでしまったら、それを克服するまでが大変だからかもしれない?
そーなのよね・・・・大変。
それが身内だったりすると、もー、地獄の苦しみかもしれない。
他人だったら、縁を切っちゃえば簡単。
恋人同士でも、結婚していなければ、別れちゃえばすむ。
それが姑さんやダンナ、或いは、実の親ということもあるし、それこそ骨肉の争いじゃないけど、兄弟や姉妹、腹違いなど、とにかく他人を憎むよりももっとしんどい関係が世の中にはたくさんある。
それをどーやって克服するか?
大抵は、離れることにより克服するのかもしれない。
物理的に離れられなくても、精神的に離れる?
震災ですったもんだする中、やっぱり、りんは姑さんの毎日の嫌味で、ダウンしてしまった。
そーなると、ダンナにだって嫌味をやり返す。
それは当然だろう・・・・あたしの親ではない。
それをどーやって克服したか?
う〜ん・・・・・
やっぱりダンナを追い込んだのだと思う。
とりあえず、離婚しちゃえば夫婦は他人だからなぁ・・・
チビはあたしのものだ。
結局、年寄りが原因で離婚する?
そーなれば、結局、誰が一番つらい思いをするか?
もちろん、チビだ。
そーいう状況になると、年寄りって平気なのね・・・
息子は再婚して、また別に孫を、という具合に考えるらしい・・・・
この年寄りの身勝手さが、結局、ダンナの怒りに繋がったのかもしれないな・・・・
親を捨てて、子どもを選んだのだわ・・・・
もっとも親子の縁は切れるわけではないから、親に対してはそーいう甘えがあったのかもしれないし・・・
チビに対しては、男親というのはきっと無力なのかもしれないなぁ・・・
小さいうちに離婚してしまえば、どーせ、チビは父親のことは忘れてしまう?
結局、姑さんが折れた。
その後、しばらく音信不通。

今?
他人だと思うと、なんだか仲良しなんですよね・・・・
そこが不思議・・・・・

 

 

こうさん 中秋の短歌

at 2001 10/04 17:00


  稲穂垂れ 秋深まりし 黄金色 輝く大地 家路忘れて (りん)

  豊穣の 稲田にカマの 老夫婦 豊かさ感じ シャッターを押す (こうさん)

  茜雲 稲穂の束の 美しさ 並んだ稲に リズム溢れん (りん)


  夕闇に 沈む虹を 追いかけて 畔を走りて 虫かご揺れる (りん)

  ふりそそぐ 月の光は 柔らかく 戦意諫める ウサギの声か (こうさん)

  白き月 輝き満ちて 射す光 欠けた形も 紺碧の空 (りん)


********

  名月や 美しすぎて 宇宙図鑑 太古の秋より 光変わらず (りん)

 

 

at 2001 10/08 04:26

結局、人が生まれて死ぬのは自然の摂理。
生まれたら嬉しいし、死んだら悲しい。
それだけのこと。
生物はいつもその繰り返し。
どこにも何も新しいことなどなく、それでいてその枠組みの中で、人間はいつも同じことを考え、苦しみ、そして生きていかなければならない。
極めてシンプルな生き物であり、それでいて酷くややこしい。
どのように生きていこうとも自由だ。
空を見ながら、ぼーっとしているのも楽しい。
生きるためには何をしても許される?
生活とはどういうことか?
何だか酷く虚しい気分に襲われる。
酷く楽しく、酷く虚ろであり、それでいて時間だけが何事もなかったかのように過ぎていく。
大地はいつもそこにあり、樹木を育てる。
空気はいつもそこにあり、香りを運ぶ。
すべてがあるがままに存在し、その中に生きる。
人が生まれて死ぬのも自然の摂理であり、いつかはやがて土に戻る。
それだけのことなのに、悲しみや憎しみは未来永劫であり、人の心の中に染み渡る。
ならば、愛も喜びも希望もやはり未来永劫であり、それは空気の中に満ちているのかもしれない。
悲しみや憎しみで削られた心にやさしく染み渡る。
だから、愛と憎しみはアンビバレントな関係にあるのかもしれない。
人との関わり、そして、外界からの刺激の遮断は、心を閉ざす。
心がどこにあるのかわからない。
だけど、精神が閉ざされれば、人間は育たない。
人との出会いは、時に麗しいことばかりではなく、助け合うことが人生ではない。
人と人が出会えば、そこにはいつも摩擦が生じるのは当たり前。
時にそれが楽しいこともあり、時にそれが酷く煩わしい。
人間やめたくなったら、風になろう・・・・

 

 

憎しみの方程式

at 2001 10/03 10:40

「許せない」のは、怒り方が不足しているのね・・・・
だから、どうすれば許せるか考えてみる?
相手を殺しますか?
拷問しますか?
ギロチンにしますか?
考えることは自由です。
実行すれば犯罪です。
その罪をどこまで自分が許容できますか?
憎ければ殺してもいいのよ。
そのように思い、相手を殺す?
それで自分の気がすむのなら、それでも構わない。
それが精神というものであり、
それでいて、人間には良心というものが、やはりあるのです。
憎ければ、どーすれば許せるか?
とことん、憎めばいいのです。
そして、そういう自分を受け入れること。
そして、そういう自分を自分で受け入れることができないことに気が付けば、やはり許すしかないのかも・・・・?

 

 

ラサさま ナチュラリスト短歌

at 2001 10/03 02:45


  月を愛で 花を愛して 詩を詠む 今日を切にと 生きるしかなし (ラサさま)

  ぽっかりと空に浮かんだお月さま クリアな光 クレーターかな? (りん)

  戦地では 水さえなくて 飢える人 太るからねと 捨てる日本よ (ラサさま)

  テロリスト 果たし状なら 法王へ 届いてないのは 宛名の間違え? (りん)

  何の為 生きているのと 尋ねられ 人の為よと いつ言えるのか (ラサさま)

  いつの日か 子を産むときに ひとは消え 生きるも死ぬも 自然の摂理 (りん)

 

 

無限大の恐怖

at 2001 10/03 01:58

人のエゴとエゴのぶつかり合いかぁ・・・
何だかそーいうことを考えると、酷くアホらしくなってしまう。
人間というのは、一人一人違って当たり前・・・
そのくせ、どこか枠を決めてそれぞれが生きている。
人生とは、カルトとカルトの闘いみたいにアホらしいことが多すぎるかも。
どちらが正しいとか間違ってるとか、優れてるとか?
それを一体誰がジャッジするわけ?
そこなのよね・・・・
どこまで行っても、話し合いなど出来ない。

互いに干渉するのが煩わしい?
う〜ん・・・・
よく考えたけど、実際問題、こーいうことを感じたことがないのだわ・・・このところ。
だから、平和なのかも。
ただでさえ干渉癖のある人間が嫌いなのに、なんで嫌いなのかを説明しなければならない?
他人のことに干渉したがるというのは、やはり固定観念が強すぎるということと密接に関連している。
ある種の人たちと話していると、まるでカルトの信者さんと話しているくらい不愉快になることがある。

干渉しないですむにはどーしたらいいのか・・・?
りんは、ダンナに対して干渉しない・・・・
何故ならとてもわかりやすい人なのだ。
好き嫌いがとてもハッキリしている。
服装から髪型、食べ物、人生観、価値観、すべてが昔から変わらない・・・・
好みがやたらとハッキリしているために、好みを覚えやすい・・・
だから、適当にあたしが選んで買ったとしても、素直に着てる。
作ったものも素直に食べる。
手間ひまかからない、とてもいい人だと思う。
たまには違ったことをやりたくならないのか、昔からすごく不思議なんだけど、いつも固定した人なので、逆にそれが揺らぐとたちまちバランスが悪くなってしまうらしい・・・
だから、「あなたはこーいう人なんですね?」っという具合に、フィードバックしてあげると安心するらしい・・・
ついでに、「偉いわ!」って誉めてあげると、尚更効果的なのかも・・・?
何だかとても扱いやすい人であることは間違いない・・・

あたし?
う〜ん・・・・・
自分のことは自分ではわからない。
でも・・・すごくハッキリしているのだと思うな・・・・
互いに干渉し合わないということは、互いにシンプルなのかもしれないな・・・・
何だか、すぐに影響受けてしまうのだけど、そのくせ、どこかスタンダードな自分というものをキープしているのかも・・・
だから、その基準からあまりにもかけ離れてしまうことがいやなのね・・・
だから、干渉を嫌うのかも。
自分が消えてなくなりそうな恐怖というものを知らない人にとっては、きっとわからないのかもしれない。。。
人間が、実はどこまでも自由な存在であるということを知らない人には、きっと人間がどのようにでも変容可能な怖ろしい生き物であるという恐怖が伝わらないのかもしれない。
他人に気軽に干渉できる人ほど、因習的なことを素直に受け入れていることが多いのだわ・・・
因習的な人々かぁ・・・・・
テロリストは、数百年前の価値観で生きてるの?
マジ?
誰か知っていたらおしえてほしい・・・

 

 

素朴な疑問

at 2001 10/01 18:09

★BBSからの転載です。


   お答え・・・・・ルドビー神父


*********

ルドビーさんは、いつもわかりやすくて驚きます。
素朴な質問なので、お気を悪くしなければ幸いなのですけれど、世界には12億人のイスラム教徒がおり、その中の一部の人たちが”聖戦”を呼びかけています。十字軍以来の確執らしいのですが、実際問題どうなのでしょう・・・
今の時代、ローマ法王が聖戦を唱えた場合、ルドビーさんは聖戦を受け入れますか?

A. 自分の知る信仰篤き母たちは、おそらくユニセフなどを通してアフガンの人たちに寄付などしていると思うんですよね・・・ 残念ながら、輸送路の封鎖により、なかなか現地には支援が届かないというのが実情らしいのですが。やはり、苦しみのもとにいる人たちのために祈ると思うのです。

B. カウンセラーの人が嘆くのです、宗教は人を、思考を狭くする、と。
違うカルトの信者さん同士がそれこそ意見の交換でもしようものなら大変なことになってしまうそうです。かなり脱カルトに成功した状態でも、互いに接触することにより、再び狂信へ戻ってしまう傾向にあるそうです。

素直な感性で語ると、AとBは違うんですけど、そのAとBの違いをうまく説明することが、自分には不可能なんです。人(思考)を狭くする宗教と、人(思考)を広げる宗教があるんですけど、その違いは、単なる人間性の問題なのでしょうか?
自分が素朴であること、素直であること、そして静かであること、そしていくつもの矛盾を常に右と左に置きながら考えないと、自分がどこに居るのかわからなくなってしまいます。

まったくの屁理屈なんですけど、”神の愛”という性質の存在を、心理学的に語ると、”人類共通の波動”という言葉に置き換えることができるのかもしれません。この波動は、やはり心が静かにならないと感じることが出来ないのかもしれません。でも、心が静かになるということを、単にアルファ波で説明するのもどこかムリがある気もしてしまいます。(りん)


*********

2000年の歴史の中で、特に中世と言う暗黒時代にカトリック教会も本来の道からそれていたことがあります。それに気づかしてくれたのが同じ中世に生まれたアシジの聖フランシスコでした。彼はみずから十字軍とイスラム軍の真っ只中に殉教の覚悟で入っていきました。スルタン領主のところの行きました。ところがイスラムのスルタンはフランシスコのやさしさにいたく心打たれ、彼を殺すどころか歓待し互いの宗教の良いところを分ち合いました。
フランシスコの中には狂信的なところは少しもありませんでした。彼は仏教徒からもプロテスタントからも愛され、信仰の普遍性を、神の愛を、福音をだれかれの差別なく示した人として現代もなお多くの人々に影響を与えています。            ルドビーより。

 

 

夕陽

at 2001 10/01 18:07


あんまり綺麗なので、貼り付けてしまいました。
後で、詩を詠もうと思っています・・・





Copyright: Jazz

 

 

ふつー

at 2001 10/01 00:31

結局、異文化なのかもしれないなぁ・・・・
いつも自分と同質の価値観を持つ人間に囲まれていると、いつのまにかそれが常識だと思い込んでしまう。
ところがだ・・・ヘンなヤツばかりに囲まれていたとしても、気が付けばそれがヘンだと感じなくなってしまう。
理性で考えれば、すごくヘンなんだけど、ヘンな人間に囲まれているうちに、それが常識となってしまう。
これが順応なのかもしれないなぁ・・・
だから、頭のイカレタ連中の傍にはいつも似たような連中がいる。
彼らには違和感がないらしい・・・
それがすでに当たり前だと思っているからだろう・・・
文化って、やっぱり順応の一種なのだと思う。
10歳ごろに、そーいう文化的な基準が確立されてしまう。
そして、その後に感じる異文化・・・・
自分が普通だと思ってることが、普通ではないと言われてしまう?
そーいう違和感や異文化的価値観が発生してしまうのは、やはり10歳以降なのかもしれないな。
すると、「もしかして?」と思い始める。
もしかして、あたしはおかしいのではないか?
と感じ出すことから思春期が始まるのかもしれないし・・・

りんは、いつも自分がふつーだと思っている。
そー思わなかったら、何だかおかしくなってしまうからだ。
固定した自分というものが存在してくれないと、自分がどこへ行ってしまうかわからなくなるから・・・

世の中には、ヘンな連中がたくさんいる。
アメリカ人にしてみれば、やっぱりテロリストはヘンな連中なのだろーし、テロリストにしてみれば、やっぱり自分たちがまともだと思っているのかもしれない。
これではいたちごっこなのかもしれないけれど、異質なものに対する取り組み方が、アメリカ人のほうが慣れてるのかもしれないし、それでいて、すごく頑固に感じるのは、やはり、共通した社会通念とういものが存在しないと、やはり国家や文化というものが吹っ飛んでしまうくらい異質なものが混在してしまっている社会なんだろーなぁ・・・とは思う。
が、しかし・・・・

自分が当たり前だと思いつつ・・・

やっぱり、どこか気ままな精神世界を泳いでしまい、気が付けば単純に順応してしまったりしていると、何だかヘンなのだ。
自分がどこに居るのかわからなくなる。
で、自分がどこにも居る必要性を感じなくなってしまう。
何だか娘と居ると、ヘンに安心する部分がある。
彼女にとっては、お母さんなのよね・・・
しかも、りんは彼女にとても好かれている。
学校へ来るなら、お母さんに来てほしいとキッパリ言われると、やっぱりあたしは自分が間違ってない気がしてしまう。
間違ってるという表現は適切ではないのかもしれないけれど、きっと、いいお母さんなんだろーな〜♪ d(⌒o⌒)b♪って思うと、すごく安心するのだ。
自分で自分のことがわからないのね・・・

近頃、娘が常識的な指摘をする。
たまに、生意気なことを語る。
彼女の語ることは或る意味において正しい。
が、しかし・・・・

りんは、屁理屈オンナだ。
チビを論破することくらい朝飯前。
常識が間違っているのだ、ということを無意識のうちに伝達してしまっている。
それでいて、チビはすごくふつーの小学生だし、どこにも違和感なく小学生だ。
尖った部分がない。
でも・・・・

それでいいのだろうか?

誰も悪いとは言ってくれない。
う〜ん・・・・
そろそろ我が子のことも、客観的に判断できなくなってきているのかもしれない。
親バカ的な歪みを差し引いたとしても、やっぱり、ふつーでいなければ、怖い・・・・・のかも。

 

 

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